樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

ウクライナの出口(J-102)

2月24日に準備万端整えたロシア軍が一方的にウクライナ侵攻を開始して、早2週間が過

ぎた。その間これ以上のテーマはなく、またどのように頭の中に収めればいいのか、

考えが纏まらない。そんなわけで、毎日大量の情報をインプットしながらもブログに手

を付けられないでいるのだが、なんとかこの出口が見えない厄介な問題に喰らいついて

みたいと思う。

 

まるで何世紀か前にタイムスリップしたかのような、ロシアの暴挙である。

「ロシアではなく、プーチンのと言ってくれ」

と言いたいロシア人も少なくないかもしれないが、長きにわたり彼の独裁を許してきた

ロシア国民も世界からの非難と無縁ではない。

この戦争、圧倒的な戦力差からして、当初は2,3日程度で片が付くと誰もが予想してい

た。おそらくプーチンもそうであったろうし、私自身もキエフが陥落しゼレンスキ

ー政権が倒れるまで、1週間はかかるまいと思っていた。

ところがロシア軍は、激しいウクライナ側の反撃により各所で進路を阻まれている。

亡命するのではないかと言われていたゼレンスキー大統領も国内に留まり、連日SNS

で国民を鼓舞し、世界に向けてロシアの無法を訴え、援助を求めている。

しかしながら、戦いが長引けば長引くほど悲劇そのものは積みあがっていく。

ウクライナの抵抗を持続させているのは、紛れもなく米欧などの武器供与を含めた間接

的支援だ。つまり、皮肉なことに、世界の“戦争不拡大方針”がウクライナの悲劇を長引

かせているのである。何事もないかの如くパラリンピックを続け、オミクロン変異株だ

のワクチン効果だのと言って騒いでいられるのも、言い過ぎかもしれないが、所詮は

ウクライナの悲劇を”他人事”としてみているからだ。

 

今更に思い知らされるのは、「核」の”絶対的影響力“である。

1991年、ソ連崩壊により独立した時のウクライナは、世界第3位の核保有国であった。

しかしその状態は、当然ながら5大国の望むところではなく、ウクライナは領土の一体

性が守られる保障と引き換えに核を放棄し、中立国として生きる道を選んだ。しかし、

そのような約束が未来永劫守られた例はなきに等しい。今、ウクライナが一方的に攻め

られる羽目になったのも、あるいはこの戦争が拡大せずにいられるのも、善し悪しは別

にしてウクライナが核を放棄したからだと言えなくもない。プーチンは怖い顔で核をち

らつかせ「黙って見てろ、すぐ終わる」とでも言いたげである。

「核」は何度も繰り返されてきた印パ戦争に終止符を打ち、北朝鮮独裁王朝の命綱にも

なっている。畢竟、核を持たざる国は、いずれかの核保有国の傘の内に入れてもらうよ

りほかはない。

ウクライナは、ロシアよりもNATOを望んだわけだが、NATO側にしてみれば喜んで火種

を懐に入れるわけにもいかない。

ではロシア側はどうなのか、ロシア側のベストはウクライナ全土の併合なのだろうか。

プーチンになったつもりで地図を広げてみよう。

バルト海からバルト3国―ベラルーシウクライナを経て黒海に至るこの地域は、ほと

んどが平原で遮るものがなく、しかも東西両陣営の接点となっている。だからこの地

は、否応なく幾たびも戦場となってきた。そればかりか、勝利した側に組み入れられる

という歴史を繰り返し、独立国として存在できた期間はわずかしかない。だから、プー

チンが“ウクライナは同胞・兄弟”と言うのも、一つの時代を指しているに過ぎず、多く

ウクライナ人にとっては、それはむしろ苦々しい記憶の一つなのかもしれない。

長きにわたり他民族の支配下にあったウクライナ人は一枚岩ではない。細部をみると、

東部地域にはロシア人が多く(東部:30%、西部:5%)ソ連時代を懐かしむ人たちが

半数近く存在する。つまり、国民の意識は親EU、親ロで二分されており、そこがプーチ

ンの”大義名分“にもつながっている。

おそらくプーチンは、ウクライナ全土の併合を望んではいない。全土を併合すれば親EU

派を抱え込んだまま直にNATO側と国境を接することになるからだ。

 

3月12日、最新の情報では、ロシア軍がいよいよウクライナの首都キエフを包囲する寸

前にまで迫っているらしい。同時にロシア経済の方は急速に悪化しており、プーチン

無法・暴挙の実態も徐々に国民の知るところとなっている。実はプーチンの足元にも危

険が迫りつつあるのである。

一方ウクライナのゼレンスキー大統領は、NATO側に要請した戦闘機の供与を断られた

ことで限界を感じたのか、“NATO入りを目指さない”と譲歩の姿勢を見せているという。

しかしその程度でプーチンが矛を収めるとは思われない。すでに予定をはるかに上回る

軍の犠牲を払い戦費を費やして、手ぶら同然で"一本締め”とはいくまい。

そもそも、プーチンの“怒り”は、

“1990年に東西ドイツが統一される際、東独に駐留していた10万のソ連軍を撤収させる

条件として、アメリカのベーカー国務長官ゴルバチョフにNATOを東に拡大させな

いと約束したはずである”

ということに端を発している。しかし、国際関係において、約束破りは珍しいことでは

ない。約束を守るのは日本くらいのものである。

だからプーチンは”NATO入りをあきらめる”程度の約束事ではおそらく妥協しない。

もし、数日のうちにキエフが陥落し、ロシアの銃口の下で和平交渉が行われることにな

った場合、おそらくプーチンウクライナの分割を要求するだろう。例えばドニエプル

川以東を東ウクライナとして傀儡政権による独立国家をつくるといった構想だ。

少なくとも、クリミア半島ドネツク、ルガンスクの領有権放棄は認めさせようとする

だろう。

もし、キエフが陥落したのちもゼレンスキー政権が生き残り、例えば西部のリヴィウ

たりを拠点としてウクライナの抵抗が続いた場合は、つまるところは両国民の”我慢比

べ”となる。

色々考えてみても、両者ともにハッピーエンドを迎えるような結末は想定できず、どう

転んでも”火種”を残したままの決着しか思いつかない。

最後にただひとつ言わしてもらうならば、

ウクライナの出口はプーチン失脚の入口へと繋がっている”

という希望的観測である。

                             2022.03.13