樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

WBCの勝利と未来(J-131)

3月22日、マイアミで行われた第5回WBCの決勝戦で、日本代表「侍ジャパン」が前回

優勝の米国チームを下し頂点に立った。

その最後のシーンは、“歴史的な映像”としてこの先何度も目にすることになるだろう。

勝戦、日本は3-2と1点リードして9回表を迎える。この回を無得点に抑えれば優勝

である。最もプレッシャーのかかるこの場面で、マウンドに上がったクローザーは、

何とそこまでDHとして出場し、ユニフォームに泥を付けた大谷翔平だ。

そして自身初めてのクローザーに戸惑ったか、大谷は先頭打者に四球を与える。しかし

そこからは落ち着いて次の打者をを併殺に仕留める。あと一人、とはいえ最後に待って

いるのは、MLB最強の打者でありエンゼルスの同僚でもあるマイク・トラウトだ。

今大会で、野球ファンが最も期待したであろうシーンが、最後の最後に実現したのであ

る。アメリカのファンは勿論トラウトの同点ホーマーを願い、日本のファンは三振を期

待した。私の頭には、大飛球をヌートバーが好捕してゲームセットというイメージがち

らと浮かんだが、大谷は直球で追い込んだ後、大きく横に逃げるスライダーでトラウト

を空振りの三振に打ち取りゲームセットとなった。

この出来すぎたシナリオのような結末にファンは感動し、その余韻は1週間を過ぎた今

も続いている。おそらく、その熱を帯びたまま31日の開幕に繋がって行くのであろう。

大谷は全試合でヒットを放ち、先発した2試合の勝利投手となり、決勝戦では彼の野球

人生で唯一となるかもしれないセーブポイント1をつけ、まるで予定されていたかのご

とくにMVPを獲得してWBCを戦い終えた。

 

メディアはこの優勝を“侍世界一奪還”“3大会14年ぶり”と報じたが、この盛り上がりはそ

のため(奪還)ではない。ファンの心は“遂に真の世界一になった”という感覚である。

前回にも述べた通り、全力同士の戦いで、文句なしに勝ったという実感である。

第1回、第2回はいずれも1次ラウンドを2位通過しており、ベスト4までの戦績は3勝3敗

と5勝2敗で、当時の敗者復活というルーにより救われたものであった。今回の圧倒的な

7勝0敗とではやはり達成感に差がある。特に日本では決勝戦が対米国代表となったこと

で、熱狂ぶりも最高潮に達したわけだが、それを前回のブログでは、”米国が1Rでメキ

シコに敗れたための成り行きで”と書いた。が、実はそうではなかったらしい。

WBCの公式サイトには、“米国が勝ち上がった場合、1次ラウンドの順位にかかわらず、

準々決勝は17日(日本時間18日)、準決勝は20日(21)に行う”という注釈があっ

たと栗山監督自身が述べている。監督は“結果的にはよかったけれど”と多くを語ってい

ないが、監督がもっとも頭を悩ませたのは、おそらく投手起用それも先発の順番であっ

たに違いない。大谷はMLBの開幕戦に投げることが決まっていて、マイアミでは投げさ

せられない。(最後の登板については、前日に大谷から投げたいと相談があり体調が万

全なら野球界のために投げなさいと即答したと後にミナシアンGMが明かした)

米国と当たるのは準決勝の可能性が高い。この二つの条件から、初戦と準々決勝大谷、

準決勝を佐々木・山本という構想がまず監督の頭にあったのではないだろうか。

もしその運びで進んだとしたら、準決勝は19日(20)日本対アメリカ、20日(2

1)メキシコ対キューバとなって、違う結果になっていたかもしれない。実際に行われ

た日程の方が自然なので、あの注釈は何だったのか少々気になるところだが、もし日本

が敗れていたらひと騒ぎあったかもしれない。

 

今回のWBCは、一流選手が集結したことで著しく注目度が上がったが、世界的に見れば

野球はそれほどポピュラーではない。世界ではサッカーが圧倒的人気だし、アメリカ国

内でも人気の点ではアメフットやバスケットの方が上だ。日本での人気は高校野球にも

支えられてサッカーと人気を二分しているが、競技人口は徐々に減少しており、斜陽傾

向にあるというのが実情だ。今後の野球界はファンとしても気になるところである。

世界を見れば、野球はMLBが中心である。WBCにしてからが、MLBMLB選手会が主催

者なのだ。世界大会としては、オリンピックとプレミア12もあるが、これにはMLB

選手は出場しないので注目度には相当の開きがある。プレミアは“主要な”であり、クラ

シックは”最高の“だからネーミング通りだともいえる。

2006年から始まったWBCも、はじめのころはMLBの各球団が中心選手の拠出に消極的だ

ったので、日本や韓国が勝ちあがることが多かった。ところが今回はトラウトが真っ先

に参加を表明し呼びかけたので最高のチームが出来上がった。今回の侍ジャパンは、そ

のチームに勝利したのだから価値がある。

成功の要因はいくつかあるが、まずは選手の選抜が絶妙であったことだ。とくに投手陣

の充実ぶりは素晴らしく、全7試合のうち、準決勝のメキシコ戦以外の6試合すべてで先

発投手に勝ち星がついている。中継ぎ、抑えも崩れることがなかった。

打撃部門では、序盤ではヌートバー、近藤、牧選手などが活躍し、終盤にかけては村

上、岡本、そして大谷、吉田は終始好調を維持して、結果的には全員が輝いた。

その中で最も輝きを見せたのは、やはり大谷であった。

今も目に焼き付いているシーンがある。準決勝メキシコ戦の最終回である。

1点ビハインドで迎えた9回裏、3番大谷からの最後の攻撃、ここで大谷は初球のボール

気味の高い球を叩き落とすように強振、ヘルメットをかなぐり捨てて激走し、2塁上で

ベンチに向かって吠える。それに触発されたように、ここまで不振の村上が逆転サヨナ

ラ打を放って試合を決めるという場面なのだが、このときの大谷のヘルメットがふと昔

の記憶を呼び戻した・・・長嶋である。

1960ごろまで、プロ野球人気はそれほどでもなく、高校や大学野球の方が好きという人

も多かった。そこにインパクトをもたらしたのが長嶋である。長嶋がしばしば見せるヘ

ルメットや帽子を飛ばしての目いっぱいのプレーはファンの心をつかみ、結果として、

それはプロ野球全体の発展に大いに寄与することとなった。

♪ 背番号3 言わずと知れた おとこ長嶋イカスじゃないか・・♪

これは「男の友情背番号3」という歌の出だしなのだが、歌っているのは当時の大スタ

ーあの石原裕次郎なのである。

長嶋が日本プロ野球発展のキーマンになったように、個が全体の変革のきっかけをもた

らすことはよくあることだ。大谷にはその力があるのではないかと思う。

MLBには、サイヤング賞、ハンクアーロン賞、ルーゲーリック賞など、個人の名が付さ

れた賞がいくつかある。二刀流の大谷にとっては、これらの賞や、通常の個人タイトル

を取ることは容易ではない。

しかし彼が、二刀流を今後も続けるならば、自分自身が打ち立てた記録の数々を更新

し、複数回のMVPを獲得し、最後には「大谷翔平賞」が新設される可能性が高い。

WBCが終わった後、彼は“WBCの優勝は目標であった”とコメントしたが、彼にとってそ

れは単なる一つの成功体験であって、”夢の途中“であることに変わりはない。心は既に

次に向けられている。

彼がそのパフォーマンスをさらに向上させ得るかどうかは分からないが、ファンはもと

より彼自身がそれを期待しているので可能性は十分ある。可能な限り二刀流を続け、野

球以外の分野にも”大谷効果“が波及されることを願ってやまない。

                           2023.03.29

 

サクラサクWBC(J-130)

球春という言葉は「広辞苑」には載っていない。しかし、よく目にする言葉でもある。

一般的には、プロ野球チームがキャンプをはり、オープン戦が始まる頃を言い、なんと

なく桜の開花と合わせて”もうすぐだな“という気分が徐々に高まるシーズンである。

ところが今年は、いきなりピークがやってきたような感がある。WBCの開幕である。

WBCが始まったのは2006年だから歴史は浅い。今回は第5回目だが、コロナのせいで2年

延期されたので6年目ということになる。大会がこれまでにない盛り上がりを見せてい

るのはそのせいでもあるが、何と言っても今回は、各国がMLBの主力選手中心のベスト

メンバーを組んできたことにある。だれもが今回の優勝チームこそが世界一の名にふさ

わしいと認め、選手も目いっぱいのプレーを演じているからだ。

だから、横綱大関を欠く大相撲は言うまでもなく、センバツ高校野球もサッカーも

その他もろもろのイベントも“そういえばやってたね”程度の扱いになっている。

日本チームも歴代最強との呼び声高く、優勝候補の一角と目されているが、他の有力チ

ームもほぼ歴代最強なので、決勝戦までの道のりは険しい。願いは米国チームと決勝戦

で戦い勝利することだが、幸か不幸か、米国がグループリーグでメキシコに敗れCグル

ープを2位で勝ち上がったので、顔を合わせるとすれば決勝以外にはない状況となった。

その米国は、昨日(3.20)キューバを14-2の大差で粉砕し、一足先に決勝の舞台で待ち

構えている。それに挑戦できるのは日本対メキシコの勝者である。

その試合が今日(3.21)行われ、日本は村上のサヨナラ3ランで劇的な勝利を収めた。

その興奮がまだ冷めやらない状態なのだが、そのゲームをプレイバックする前に、ここ

までの経過を振り返ってみたい。

 

今回のWBCは、参加20チームがA~Dの4組に分かれ総当たり戦を実施し各組の上位二チ

ームが準々決勝に進みそこからは敗者復活のないトーナメント戦となる方式である。

そしてベスト8に進んだのは、やはりランキング上位のチームであった。

D組ではランキング2位のドミニカが敗退したが、これは、プエルトリコ、ドミニカとい

う三つ巴の中での結果であり、いわゆる番狂わせには入らない。唯一の番狂わせに該当

しそうなのは韓国(7位)の敗退で、その代わりにオーストラリアが勝ち上がった。

ベスト8のチームの成績は下表のとおりで、実は日本の成績が際立っている。

 

            ランキング  勝  負  総得点 総失点 得失点差

A組  キューバ     8   2  2   25   15   10

    イタリア     10   2  2   20   17   3

B   日本       3   4  0   38   8   30

    オーストラリア  16   3  1   29     19   10

C   メキシコ     6   3  1   26   16   10  

    アメリカ     1   3  1   26   16   10

D   ベネズエラ    5   4  0   23   9   14

    プエルトリコ   4   3  1   30   12   18  

 

この結果を見て、アメリカのスポーツ誌などで日本チームの評価が急上昇し優勝候補の

最右翼に上げられるようになった。とくに、日本の投手陣は間違いなくトップであり、

懸念材料は”時差“だけだという評判が立った。

そして準々決勝では、日本がイタリアに9-3、アメリカがベネズエラに9-7、キューバ

オーストラリアに4-3、メキシコがプエルトリコに5-4で勝ち、勝利した4チームがマイ

アミのローンデポ・パークに集うこととなった。日本とキューバは東京から海を渡って

時差ボケと闘いながら中三日で戦う不利があり、その影響もあったのかキューバは元気

なくアメリカに大敗を喫した。

何となく不安感が漂う中で、3.21春分の日、日本時間朝8時から準決勝対メキシコ戦は始

まった。

後攻日本の先発投手は佐々木朗希、メキシコは大谷と同僚のサンドバルである。

両投手の好投で、3回まで両チームとも無得点のまま試合は進んだが、4回表“わずかば

かりの運の悪さ”が佐々木を襲う。2死走者なしから4番テレスのバットの先に当たった

球がシフトを敷いた守備の裏をかく形でヒットとなり、続く5番パレデスの打球がサー

ド後方へのポテンヒットとなって2死1,2塁、ここで6番ウリアスに左中間へのホームラ

ンを打たれ3点を先行される。

日本もそこから必死の反撃に出るがなかなか得点に結びつかない状況が続く。

4回裏は2死1,3塁で村上が見逃し三振、5回裏は2死満塁で近藤がレフトフライ、6回裏

は大谷のヒットと2つの四球で2死満塁となるが源田がレフトフライ。

ここまで日本のチャンスにおける打球は、メキシコの元気印アロサレーナ(レフト)の

好捕に阻まれイライラは募るばかりである。嫌な雰囲気が漂い始める中、7回裏に転機

が訪れる。この回2アウトから近藤のヒット、大谷の四球で走者2人となったところで4

番吉田がその2球前に空振りしたチェンジアップを見事に捉え3ラン、同点に追いつく。

ところが8回、山本がメキシコお得意の集中打をあびる。1死のあと1,2番に連続ツーベ

ースを打たれ1失点。さらにヒットを続けられてマウンドを降りる。救援の湯浅は4番

テレスを三振に切って取るも、5番パレデスにレフトに運ばれる。ここでさらに1点を奪

われるが、続く走者を本塁上でタッチアウトとし、この回の失点を2点に食い止める。

8回裏日本は、岡本のデッドボールからチャンスを広げ、代打山川の犠牲フライで1点差

に詰め寄る。

9回表、日本は大勢がマウンドに上がりデッドボール一つを与えるも12球で締め、最後

の9回裏の攻撃を迎える。

9回裏は3番大谷、4番吉田、5番村上と続く好打順だが、相手は実績のあるクローザー

G.ガイエゴスである。何とかして1点もぎ取れば延長に入り投手力と小技で日本が有

利になる・・と思う間もなく、世界のショウヘイが初球を打ってツーベースだ。つづく

吉田が四球を選んで村上を迎える。ここで普通の監督なら不振の村上に代えて周東を代

打に送り、1死2,3塁とすれば何とかなる、周東の足なら無死満塁もあり得ると考える

だろう。ところが周東は吉田の代走として1塁に向かい、打席は村上のままだ。栗山監

督は“この回で決めるぞ”という意思を示したのである。これに村上も応えないわけには

いかない。1-1からの真ん中付近の球を見事にとらえると球はセンターの頭上を越え、

大谷に続いて周東が一塁から俊足を飛ばして一気にホームイン。歴史に残る劇的な逆転

サヨナラゲームとなった。

 

世は桜の季節である。

その昔、スマホやインターネットがなかった時代、「サクラサク」は、物事が成就した

ことを示す暗号としてよく使われた。例えば、受験などをした場合、その合否をすばや

く確認するには、張り出される受験番号を確認しにいく必要があった。だから、遠くに

住む受験者は代わりに確認して知らせてくれる業者と契約を結んでいた。それを電報で

知らせてくれるのだが、合格なら「サクラサク」で不合格なら「サクラチル」というの

が決まり文句であった。

明日の決勝戦、勝てば「サクラサク」ということになるが、それが決まるのはあと10数

時間後である。何とか満開の桜を見たいものだが、その結果が分かる前にワクワク感の

ままで一旦このブログを区切っておこうと思う。

                            2023.03.21

 

ペンと剣(Y-47)

「ペンは剣よりも強し」という言葉があります。

一般に、“文は武に優る”という意味で使われていますが、現代民主主義の世界において

は、“言(論)は権(力)に優る”という意味に特化されているようにも思われます。

とくにメディアの世界に生きる人たちにはその傾向が強いのではないでしょうか。

ところがこの名言、出所を辿ってみると、現在の意味とは全く違っていたようです。

それは、19Cイギリスの劇作家で政治家でもあったリットンの戯曲「リシュリュー

の中で、主人公リシュリューが発した言葉として登場します。 リシュリューは実在の

人物で、17Cのフランス王国の宰相です。

強大な権力を誇るリシュリューは、ある時軍部に自分の暗殺計画があることを察知しま

した。そして、動揺する配下のフランソワに言います。

“真の力を持つ者の手にあるならば、ペンは剣よりも強い。見よこの魔法使いの棒を!”

つまり、“軍を動かす命令にサインするのはこの私なのだから、私が優位にあるのだ”

と言ったのです。なんと、現在とはむしろ逆の意味だったというわけです。

だからと言って、現在の使われ方が間違っていると言ってみたり、この名言を図案化し

て校章にした開成や慶応を笑ったりするのもどうかと思います。

これに似た名言は、紀元前のアッシリア古代ギリシャの時代から残されており、この

シンプルな言い回しが、それらの代表として生き残ったと見ることもできるでしょう。

朝日新聞は2016年10月25日の「折々のことば」で「ペンは剣よりも強し」の由来を紹介

した上で、“その意味が元に戻ってはいないか。この自己検証に堪えてこそのジャーナ

リズムである”と結びました。元に戻るとはリシュリューに戻るということであり、そ

れは権力に負けるということですから、“ジャーナリズムは権力に阿ることがないよう

常に自己検証しなければならぬ”といっているわけです。それはそれで結構なのです

が、まるで正義のヒーローか裁判官にでもなったかのようにペンを振り回されると、

少々度が過ぎるのではないかと思うこともあります。

例えば最近の例として、つぎの二つが挙げられます。

一つは、毎日新聞のオフレコ発言実名報道です。

2月3日、荒井元首相秘書官へのオフレコ取材において、荒井氏にLGBTQなど性的少数者

同性婚に対する差別発言があったとして、毎日は実名報道を行い、その結果荒井氏は

更迭されました。実名報道毎日新聞のみで、読売は7日の社説で“本人に伝えればオフ

レコも一方的に「オン」にして構わないというなら、オフレコの意味がなくなる。取材

される側が口をつぐんでしまえば、情報の入手は困難になり、かえって国民の知る権利

を阻害することになりかねない”と懸念を示し、毎日は17日に”オフレコ取材のあり方“

という検証(釈明?)記事を発表しました。

その中で、過去のオフレコ実名報道についても次のような実例を挙げています。

 

  年       発言内容            発言者     結果

・1995 植民地時代には日本が韓国にいいこともした 江藤総務庁長官 引責辞任

・2002 非核3原則について、国際緊張が高まれば  福田官房長官  首相が罷免要                                           

    国民が持つべきではないかとなるかも            を拒否

・2011 放射能を付けたぞと記者に防災服をすり   鉢呂経産相   引責辞任

    つける

 

・・・いかがでしょうか。一見して“しょーもない話”ではありませんか。これが国民の

知る権利にどう結び付くというのでしょう。一言で言えばいずれもメディア(記者)

が”首をとったぞー“とガッツポーズをしたかどうかだけの話ではありませんか。今回の

荒井氏の発言にしても、”LGBTQの人権は尊重するし、協調してやっていくけれども、嫌

な人は嫌なのではないか、僕も隣に住んでいたら嫌だと思う“(見るのも嫌だと言った

と書かれたことに対してはは本人が否定している)“ という程度の失言です。

プライベートな雰囲気の中で、この程度の失言が命取りになることは、果たして正常と

言えるのでしょうか。

LGB(Lesbian Gay Bisexual)は同性愛と両性愛性的指向の問題であり、TQ

(Transgender Queer)は性自認の問題であって別物です。それらをひっくるめて「性

的少数者」と呼ぶこと自体どうかと思うし、「Queer」という用語自身がかつての「性

倒錯」という用語を思い出させる差別的用語ではありませんか。宗教的な理由や長い歴

史習慣、或いは動物的本能を含めて考慮するならば、この問題は所詮荒井氏の発言にあ

るように“人権を尊重し協調してやっていく”しかないようにも思われます。

身近なところで考えても、女性専用車両、トイレ、浴場をどうするか、公的空間におけ

る同性愛カップルの愛情表現をどう受け止めるか等々単純ではありません。「性的少数

者」のために「性的多数者」が差別されてはおかしいのです。

一連の「検証」記事の中で、アメリカの取材ルールに触れているところは注目すべきと

ころだと思います。

日本では「オンレコ」と「オフレコ」の二つしかありませんが、アメリカではその間に

「バックグラウンド」と「ディープ・バックグラウンド」の二つがあり、厳密に区別さ

れているのだと言います。「バックグラウンド」は発言者の言葉は引用できるが発言者

は特定されないように「○○関係者」などと表現され、「ディープ・バックグラウン

ド」は発言者の属する組織や立場などを一切明らかにしないで内容だけを報じるやりか

ただそうです。

しかし、記事はそこまでで、日本もこれに倣うべきだとは書かれていません。

意地悪な見方をするならば、ときどき小物の政治家や役人の“しょーもない失言”を大袈

裟に取り上げて首を取り、勇気あるヒーローになるには今のままがいいと考えているの

だろうと疑りたくもなります。

「ペンは剣よりも強し」を言い換えれば「ことばは刃物よりも人を深く傷つける」とい

うことにもなるでしょう。

実はこのような名言もあるのです。

“ペンの一撃は剣の一撃よりも強い。それ故にペンは剣よりも残酷であることは明白である”

この名言を残したのは、やはりイギリスの古典文学研究家兼牧師のロバート・バートン

で実はこちらの方が300年も古いのです。

メディアの人たちには、この名言を自己検証のために、そしてSNSの健全な発展のため

には適切な管理のために活用していただきたいものだと思います。

                         2023.03.03

追記

侍ジャパンと中日の試合を見てから書き始めたので、さすがに眠くなってきまして、二

つの例と言っておきながら二つ目を書かずに締めくくってしまいました。

今更とは思いますが、その二つ目を追記します。

2月17日JAXAは、大幅なコストダウンに成功し内外の注目を集めていたH-3初号機の打

ち上げを発射直前に中止しました。直後に行われた記者会見では、岡田プロジェクト・

マネージャーが、専門知識のない記者たちの質問に気の毒なほど忍耐強く対応されてい

ましたが、共同通信の記者はちょっとひどすぎました。

彼は「打ち上げ中止」ではなく「打ち上げ失敗」と言わせたかったようで、岡田氏が

”異常を検知したら安全に停止するという設計が正常に機能したもので失敗とは考えて

いない”という説明にしつこく食い下がり、”それは一般に失敗と言います。有り難うご

ざいます”と捨て台詞を吐いて質問を終えました。

彼はどうしたかったのでしょうか。これも意地悪な見方をすれば、失敗を認めさせれ

ば、次には「責任者は誰?」「どう責任をとるつもり?」といった展開を意図してい

たのではとも考えられるのです。それは、失言や不祥事の追及において常に見られる

傾向で、製造物責任や事故調査などでも原因の究明よりも責任者の追及に重点が置かれ

ているのではないかと感じることが良くあります。

「何をしたか」よりも「何をしなかったか」が評価される世の中は、あまりいい世の中

ではないように思いますけどね・・・。

 

 

魂の衰弱(Y-46)

 

月刊誌「文芸春秋」の1月号は、“創刊100周年新年特大号”としていつもより存在感を示

しながら売り場に並んでいた。文豪菊池寛が“頼まれてものを言うことに飽いた”と言っ

て1923年(T12)に同人誌「文芸春秋」を創刊してから100周年になるという。

記念号の大型企画は「100年の知に学ぶ」で、その筆頭を飾るのが京都大学名誉教授佐

伯啓思先生の“「日本の自殺」を読み直す”という論文だ。これほど見事に日本の没落を

分析したものはないような気がするので要約してみたいのだが、この論文自体が1975年

2月にこの文芸春秋で発表された「日本の自殺」の要約なので、私ごときが手を加える

余地がない。

「日本の自殺」は2012年3月号で再録され、単行本にもなったらしいが、著者名(複

数)は明らかにされていない。その裏には、今再びメンバーの選出方法などをめぐって

議論されている「学術会議」あたりの圧力が想像されるが、名を伏せた理由は少々気に

なるところではある。

いずれにせよ、この論文を料理する資格も能力もない私としては、部分的にコピペし

て、あとは読者に考えてもらうということで話を進めたい。以下、引用する。

 

“戦後の民主主義はまた、次のような特徴を示していた。

第一に、それは、批判を許さない独断的で非経験科学的なドグマであった。

第二に、それは、多元性を認めない全体主義的要素を持っていた。

第三に、それは、もっぱら権利の主張に傾き、責任と義務を軽視した。

第四に、それは、政治的指導者に対して強い批判をするが、建設的な提案はしない。

第五に、それは、エリート否定の半面として大衆迎合的であった。

このように著者たちは主張している。

戦後民主主義は「疑似民主主義」であった。日本の戦後民主主義の持つ平等主義(悪平

等)のイデオロギーこそが、社会の均質化と画一化を推し進め、社会から活力をそいで

いった。

これが「日本の自殺」のプロセスだ。しかもそれは、ほとんど「文明の法則」とでも呼

びたくなる歴史過程にほかならない。そこで著者たちはいくつかの教訓を引き出した。

列挙しておこう。

第一に、国民が狭い利己的な欲求の追及に没頭したとき、経済社会は自壊する。

第二に、国民は自分のことは自分で解決するという自立の精神をもたねばならない。

第三に、エリートが「精神の貴族主義」を失って大衆迎合に陥ったときに国は滅ぶ。

第四に、年上の世代はいたずらに年下の世代にへつらってはならない。

第五に、人間の幸福は決して賃金の額や年金の多寡や、物量の豊富さによって計れるも

のではない。人間を物欲を満たす動物と見なすとき、欲望は際限なく膨らみ、人は常に

不平不満にとりつかれる。”

“自壊をもたらすものは、制度の疲労や政府の失策や外部環境への不適応ではなく、

人々の、いわば「魂の衰退」だというのである。自らの「文明」を客観的に分析し、そ

の中に在って自らの立場を選択する自立的な意思の欠落、誰かが(「アメリカが」、ま

た「国が」)何とかしてくれるという依存心、それに自分で物事の適宜性を判断する倫

理観念や道徳意識の崩壊、情報処理装置の高度化と裏腹の人間の知力や常識、言語能

力、感受性の衰弱。それこそが日本を衰退に向かわせる。これは、日本の精神的な、つ

まり魂の「自殺」なのである。

 

“今日、われわれが直面している問題は、ただ「日本の没落」というだけではなく、

「現代文明の没落」そのものというほかなかろう。「日本の自殺」は、戦後日本の特異

な構造(戦後民主主義、対米依存、経済第一主義、画一的大衆社会など)だけの問題で

もない。とりわけ冷戦後、そこに西洋近代主義に覆われたグローバル文明の没落、とい

うさらに大きな事情が重なりあったのである。グローバルな現代文明自体が壮大な自壊

のプロセスにある、ということにもなろう。(中略)

だが今日のグローバル文明には(ローマ帝国とは違って)外部はなく後継者もないとす

れば、この巨大な地球一体文明の内部にこそ、多様な文化による多元性を確保し、それ

を維持していくことが決定的に重要となるだろう。そのためには、何よりもまず、この

現代文明の持つ矛盾や陥穽を見据えなければならない。東洋に位置しつつも西洋から多

大の影響を受け、相当に独特な風土のもとで独自の文化をつくりあげてきた日本にそれ

が不可能とは思えない。日本だけの課題ではないものの、それが没落の先頭に立つやも

しれない国家の責務というものであろう。”

 

要するに、現代文明は自壊のプロセスにあり、世界は下り坂に突入している。日本はそ

の先頭に立っているのであり、否応なく「下り坂の思想」が求められる。

それをわれわれは、”借りもの“でない、われわれの内にある価値観(自然観、死生観、

歴史観、人生観など)を頼りに探っていかなければならない。日本はそれができるはず

だし、それこそが日本という国家の責務だというのである。

日本はダメだと突き放したような意見や、犯人捜しばかりが横行するなかで、このよう

な意見は珍しく貴重である。しかし、しばらく待ってみたが、この論文に対する反響が

聞こえてこない。はたして日本は、衰弱した魂を復活させることができるのだろうか。

今のところ、その兆しがうかがえるのはスポーツの世界だけである。

 

気になっていることが一つある。

それはグローバリズムについての考え方だ。

グローバリズムとは、地球全体を一体として考える思想で、具体的にはグローバル・ス

タンダードを構築する活動だと思う。しかし、その実態は、端的に言えば米・欧価値観

の押し付けになっている。

真のグローバリズムは、”統一“或いは”均質化“ではなくて、多様化を保障するウィンウ

ィンのルール作りではないかと思う。言い換えればローカリズムの尊重だ。

かと言って、“中国には中国の民主主義がある”という主張を認めるわけではない。

民主主義はあくまでも民主主義であって、一党独裁はその中に入らない。

しかし、濃淡は別として、お付き合いのルールは作れるはずである。

“和をもって尊し”とする日本にその資格と使命があるといえば、それは”危険思想”だと

罵られるのであろうか。

                           2023.02.21

 

「どうする家康」「どうする日本」(その3)

この正月、近くの山に登った。山と言ってもトレッキングコースの途中にある1時間ほ

どで登れる山なのだが、それでも、南には名古屋方面の市街地、北には恵那山や御岳山

が望める眺望の良さもあって人気がある。家族連れも多いが、そのお目当ては頂上のベ

ンチ付近に集まる野鳥たちだ。ヤマガラソウシチョウが群れを成して寄ってくるので

ある。どちらも手から餌をとるほど人慣れしている。

その日の頂上付近にはヤマガラの姿しかなかったが、下る途中の東屋付近にソウシチョ

ウの姿が見えたので足を止めた。ちょうど数人の若者グループと私と同年配の男性が別

れの挨拶を交わしているところであったが、よく見るとその男性は先ほどの登りでも見

かけた人物であった。

「ここにもソウシチョウが来るんですね」と彼に話しかけると、

「ええ、でもヤマガラが来てるときは遠慮してますけどね。餌やってみます?」

とピーナッツを砕いたものを出してくれた。

貰った餌を掌に載せて差し出すと、さっそくヤマガラが手から餌をとって行く。

ソウシチョウはと見ると、なるほど少し離れて様子をうかがっている。

「しかし、こういうことも人間の余計なお世話なのかもしれませんね」

と、つい余計なこと口走ると、得たりとばかりに彼がこう返してきた。

「今の世の中どう思います?・・実はこれ、私の思いをまとめたものだけど・・・宗教

ではありません」

そう言いながら、彼はA4二枚にびっしり書き込まれた資料を紙袋から取り出した。

どうやらこの御仁、それが目的でここで網を張っているらしい。

帰宅後読んでみると、タイトルは「乗っ取られた宇宙船地球号」となっている。

その内容を要約すれば、“人口爆発を放置している世界のリーダーたちは方向を間違え

ている。一人当たりの自然を増やし争いの元を絶つよう、向きを180度変えなければな

らない”

という主張で、意見交換しましょうと連絡先なども記してある。

そう言えば、2,30年前までは”人口爆発“をどう抑えるかが世界の課題だとしてしばしば

話題になった。世界人口はこの40年で2倍に膨れ上がり、今現在も世界人口時計は1分間

に150人のペースで増加し続けている。

ところが、1月23日に召集された第211通常国会の冒頭、岸田首相が施政方針演説で掲げ

た最重要政策は「次元の異なる少子化対策」である。一方、先の御仁は日本の適正人口

は3000万人程度ではないかという。それは明治維新当時の人口だ。

このギャップ、まさに「どうする日本」とも言うべきテーマなのである。

ここまで書いたところで、“これっていつか書いたような・・・?”と気が付いた。

調べてみると、「日本の少子化と世界の人口」と題して昨年9月に取り上げている。

思うところは、基本的に当時と同じなのだが、なるべく重複を避けながら少々掘り下げ

てみたい。

岸田総理の”異次元“が、これまでにない対策なのかそれとも従来対策のレベルなのか、

あるいはその両方を指すのかは定かでないが、まずは令和2年5月に閣議決定された

少子化社会対策大綱」の中身を見てみよう。

少子化社会対策大綱では、少子化の主な原因として、

“未婚化、晩婚化、有配偶出生率の低下を挙げ、その背景には個々人の結婚や子育ての

希望の実現を阻む様々な要因がある”とし、

“「希望出生率1.8の実現に向け、令和の時代にふさわしい環境を整備し、希望する時期

に結婚でき、かつ希望するタイミングで希望する数の子供を持てる社会をつくる”

を基本的な目標として掲げている。

要約すれば、“いろんな原因があるのでいろんな対策をして出生率を1.8まで上げる”

ということになる。

重点課題として挙げているのは次の5項目だ。

  • 結婚・子育て世代の将来にわたる展望を描ける環境をつくる

   正社員化や働き方改革など

  • 多様化する子育て家庭の様々なニーズに応える

   児童手当などの経済的支援

  • 地域の実情に応じたきめ細かな取り組みを進める

   地方創生との連携

  • 結婚・妊娠・出産・子育てに暖かい社会をつくる

   子育てに優しい環境整備

  • 科学技術の成果など新たなリソースを積極的に活用する

   ICTやAIの活用

ということなのだが、重点課題というよりは思いつくことすべてを列挙したのではない

かと思うほど網羅的で焦点が定まっていない。

仮に、それらの対策が実を結んだとしても、それが直接少子化の解消につながらないこ

とは現実のデータが示している。第一、この先ずっと出生率1.8では人口は減少を続ける

ばかりである。どこかの時点で人口維持に必要な2.08以上に上げなければならない。

世界の人口事情を眺めてみると、出生率が高いのは例外なく発展途上の国々で、同時に

平均寿命短い。逆に社会福祉が充実している北欧やその他の先進国では、出生率は低く

平均寿命は高い。皮肉なことに、恵まれた環境よりも恵まれない環境にある方の出生率

が高いのである。例えは悪いが、最高に恵まれた環境にある動物園で子供が沢山生まれ

ているわけでもないことに通じる現象だ。

ほぼ例外なしに少子化問題を抱える先進国の中で、1993年の1.66から2020年の1.83まで

合計特殊出生率を回復させたフランスは”成功事例“として取り上げられることも多い

が、その実態は「移民受け入れ」と「婚外子」の増加にある。フランスでは婚外子の割

合が57%に達するというレポートもある。ちなみに日本は2.3%である。

蛇足ながら、ある衛生具メーカーが05年に41か国35万人を対象に実施した調査による

と、年間の性交回数第1位はフランスの137回で、最下位は日本の46回だそうである。

アメリカもフランスに似たようなところがあり、10代の妊娠・出産率が他の先進国に比

して飛びぬけて高い。それらの多くは予定外の妊娠・出産だ。

だから、仏米が少子化の流れを改善したからと言って、「日本も仏・米に倣うべし」

という人はいないだろう。

残念ながら世界を見渡しても、見習うべきモデルは存在しないのである。

ここで日本の人口事情を見てみよう。

日本の人口は室町時代に約800万であったが、江戸期に3,300万程度まで穏やかに増加

し、明治以降急上昇モードに転じて、2004年に12,784万人というピークを迎える。明治

からの136年間で人口は3.8倍まで膨れ上がったわけだが、注目すべきはその前半分は戦

争が繰り返された時代でありながらも一貫して上昇し続けていることだ。若者は知らな

いだろうが、少し前まで日本は人口増に悩んでいたのだ。今は「移民」と言えば

”受け入れ“をイメージするが、かつては”海外移住“を指す言葉であったのである。

人口と豊かさは、大雑把に見ればあたかも反比例しているかに見えるのが実情であり、

そこが対策の難しいところだ。

男女共同参画会議の報告によると、“OECD諸国の女性労働力率と出生率には相関があ

り、女性労働力を高めれば出生率も上向く”とされているが、必ずしもそうではない。

長期的に概観すれば、女性労働力率と出生率の低下は同時に進行している。この二つは

別の問題としてとらえるべきだろう。

もしかすると、我々は大いなる誤解に中にあるのかもしれない。それは女性の社会進出

を「絶対善」とする考え方だ。男女の違いには目を向けず、両性はあらゆる点で公平・

平等でなければならないという一種のイデオロギーである。しかし、肝心なのは“何が

幸福か”なのである。世の中には、多くの専業主婦を望む女性とできればその方がいい

と考える男性がいる。そしてまた、少数かも知れないが、逆の“専業主夫”タイプを望む

男女も存在する。

それらを一律に”古い価値観“として批判するのはいかがなものであろう。

奈良時代の昔から、我が国には「元服」(女子は裳着)という儀式があった。

男女ともに12歳から16歳で成人として認める儀式であり、結婚が許されることでもあっ

た。例えば、織田信長は13歳、徳川家康は14歳で元服している。当時は男女ともに10代

で最初の子を設けるのが普通であったが、今は10歳以上遅くなっている。未婚化・晩婚

化の原因はさまざまであるが、その背景に先ほど述べた”イデオロギー“の影響が少なか

らずある。反撃・非難を恐れて誰も口にしないが、これほど(猫も杓子も)大学に進学

する必要があるのだろうか。それほど、学問を志す若者が多いのだろうか。

私には、現在の大学は“大人になりたくない子供たちの巣窟”のごとくに見える。

これも批判を恐れずに言えば、日本の中で出生率1位の沖縄は大学進学率最下位で、少

し前までは世界屈指の長寿を誇り、「TIME」が”沖縄のライフスタイルに学べ”と言う記

事を書いたほどだった。

昭和の時代、”花嫁修業“という言葉が普通に使われていた。結婚適齢期を迎える女性た

ちは嬉々として料理・生け花、洋裁・茶道などの素養を身に着けようとしたのである。

人が平凡でも人間らしい幸せを求めるとき、「家庭」は極めて重要なファクターとな

る。「家事」と「育児」が”大事“なのである。

またまた批判を恐れずに言えば、その中心的役割を担うのは女性である。

家内が入院した時、一時“専業主夫”経験したことが在るが、家事はなかなか骨が折れる

労働である。次から次へとやらねばならないことが続いて、なかなかまとまった余暇時

間を取ることができない。

ところが家内の様子を観察すると、切れ切れの小さな暇をうまく使って、それなりに自

分の時間作っている。それが、経験からえられたものか、初めから備わっているものな

のかはわからないが一つの才能である。しかしながら、「仕事」と「家庭」となればそ

うはいかないだろう。そのどちらか、たいていは両方が疎かになるのは必定で、畢竟

ストレスの多い生活となる。

勿論上手くいっているケースもある。その一つは夫婦の収入が十分で、ベビーシッター

や家政婦の助けを借りるケースだ。そしてもう一つは、夫婦の親(とくに祖母)の協力

が得られるケースである。昔はいわゆる「おばあちゃん子」がずいぶんいた。今は核家

族化が進んでいるが、二世代同居を促進する施策も少子化対策としてはかなり効果的か

もしれない。そして、それは高齢者対策にもつながっている。

少子化対策」を考えるとき、“見習うべきモデルはない”と先に述べたが、反面教師的

な存在はある。お隣の韓国である。

1970年から2022年にかけて、日本の合計特殊出生率は2.13⇒1.34へと減少したが、韓

国のそれは、4.53⇒0.84と極めて激しいものであった。しかも、日本は05年の1.25から

やや持ち直しているのに対し、韓国は下がりっぱなしの危機的レベルにある。

韓国の少子化の原因は、「超学歴社会」と「不動産価格の高騰」にあると言われてい

る。一部の大企業に就職できたものしか家庭を持てないという状況が悪循環を引き起こ

しているのである。

日本はそれほどではないが、出生数は減り続け遂に年間80万人を切った。

これは戦時中(1943年)の225万人と比べても1/3ほどでしかない。出生率が少々上がっ

ても出産適齢人口が減っているので、少々出生率を挙げても出生数の増加には結びつか

ないのだ。仮に出生数80万を今後もキープ出来たとすると、将来的には人口7~8000万

の国が出来上がる。そのあたりを日本の目標として政府はプランを示す必要がある。

批判を恐れ、あるいは責任をとるのが嫌だからと具体的なプランを国民に示さないのは

怠慢というより卑怯である。

根拠が薄弱で申し訳ないが、給与面では家族手当、税制面では扶養控除の拡大、行政

組織・機構としては地方分権道州制でもいい)が効果的ではないかと私的には思う。

しかしその前に、日本人の心が“動物園の動物たち”のようになってきてはいないだろう

かという心配がある。この「魂」の部分については、また稿を改めたい。

                              2023.02.6

 

 

「どうする家康」「どうする日本」(その2)

古今東西、民の願いは「安寧」であり、国家或いは為政者が国民に提供する最大の福祉

事業は「安全保障」に他ならない。

50年前、イザヤ・ベンダサン山本七平)は「日本人とユダヤ人」の中で、”日本人は

安全と自由と水はタダだと考えている“と”平和ボケ“に警鐘を鳴らした。近年はそれほど

でもないが、依然としていわゆる”空想的平和主義“から抜け出せない一派が勢力を維持

している。しかし、昨年2月に始まったウクライナ戦争は、日本人の意識をガラリと変

えた。防衛費の増額や今は”反撃力“と呼ぶ「敵基地攻撃能力」についてもこれを容認す

る声の方が多くなっている。驚いたことに(驚いてはいけないのだが)、15日(日)の

「日曜報道」(フジ)の番組の中で”台湾有事に日本がとるべき行動“を視聴者に問うた

際、”軍事を含め関与すべきである“と答えた者が83%に達したことである。しかもそ

れが、CSIS戦略国際問題研究所)が、中国の台湾侵攻シミュレーション結果を公表し

た後のことであっただけに驚いたのである。そのシミュレーションとは、2026年侵攻開

始という設定で、24ケースのうち米軍が参戦しない場合と日本が完全中立の2例を除き

すべて中国が失敗に終わるけれども米・日側にも2隻の空母を始め多くの人命が失われ

るというものであった。この放送が日曜日の午前中であったことを踏まえると、男女別

や世代間の偏りは少ないと思われ、これが直近の国民の意識レベルなのであろう。

前回、「小説徳川家康」を書いた山岡荘八が読者に“弱小国三河を日本になぞらえて描

いたのではと問われ「そうかもしれない」と答えた”というエピソードを紹介したが、

当時の三河と現在の日本の置かれている立場は、スケールの差はあれ通じるものがあ

る。実はそれはウクライナも同じで、であるがゆえに、ウクライナ戦争は日本に”黒船

効果“とも呼ぶべき影響をもたらした。(”黒船効果“私の造語ではあるが、その意味を説

明する必要はないと思う)

 

1998年に設立されたアメリカの政治リスク専門コンサルティング会社ユーラシア・グル

ープは毎年世界の10代リスクを発表しているが、今年のランキング1,2位は「ならず者国

家ロシア」、「習主席への権力集中」で、8位に「米国の分断」を挙げている。

そのような国際環境の中で日本人の意識が明らかに変化しているのである。電波メディ

アは概して世の空気に敏感で、既に右寄りに舵を切った感もあるが、ペーパーメディア

はまだ態度を決めかねているようだ。

その例として、毎日新聞の元日からの連載記事を取り上げてみたい。

 

2023年1月1日、配達された毎日新聞を見て”これが元旦のトップ記事か“と少々驚いた。

「日台に軍事連絡ルート」という太い文字に意表を突かれたのである。

その記事は1面と3面の大部分を占め、“「平和国家」はどこへ①”となっているのでこれ

が連載の始まりであることを示しており、1月10日目まで7回の連載となった。

詳細を書くわけにはいかないので見出しを中心に超要約して、各回のテーマを取り上げ

てみたい。斜め文字部分は記事に対する私のコメントである。

第1回(1.1)

「日台に軍事連絡ルート」

中国の台湾侵攻に備え、水面下で構築現場同士通話、台湾有事連携強化探る日本、

中国反発のリスク、「国民守る」退避計画始動、

“岸田政権は安保関連3文書を改訂し「盾」だけでなく「矛」を持つ方向に舵を切った。「平和国家」はどこへ向かうのか“という論調は、その昔中曽根首相の靖国参拝を”中国が厳しい目で見ている“と書いた朝日報道を思い出す。

第2回(1.3)

台湾有事日米の作戦計画、

21年12月安倍氏は講演で「台湾有事、それは日本有事だ」と発言した、

作戦計画は有事の備えとはいえ、中国を「敵国」扱いすることになる。中国と対峙する

日米の軍事協力はひそかに、そして急速に進んでいる

“日本政府は中国が台湾に侵攻した場合、同時に尖閣にも攻め込む「複合辞退」になる可能性が高いとみている”という記述があるが何を根拠としているのだろうか。尖閣には何もなく、台湾侵攻において利用価値はない。もし占領してもそれを維持するのは大変なことで、中国側もそのような作戦はとらないだろう。

第3回(1.4)

反撃能力乏しき信念

2022.12 政府は「反撃能力」の保有を決めた。そのきっかけは2020年9月の総裁選で菅

氏に惨敗した岸田派が細田派の支持を取り付けるために方針転換したもの

反撃力保有声明は元をたどれば総裁選という権力闘争を利するための戦略であったという論調は、いかにもこれまでの政治部らしい表現だ。

第4回(1.6)

海底ケーブル露の影

ロシアの調査船が太平洋上で不審な行動

調べてみると日米間の光通信ケーブルの位置と一致

台湾は海底ケーブルの切断に備え「スペースX」社の「スターリンク」を利用する計画

日本のサイバー防衛体制は「中国を高校生とすれば日本は幼稚園児」と言われるほど遅

れている。しかしその対策は憲法21条に定める「通信の秘密」に抵触する。

今回の連載の中で、題材としても論調的にも注目に値する記事かと思う。この連載記事の担当者は“「平和国家はどこへ」取材班”となっているが、その氏名は最終回に明かされるので取材班に対するコメントも最終回送りとする。

第5回

防衛力強化追い風に

国産ジェットからミサイルへ

岸田政権は防衛費をGDPの2%にする目標を掲げ今後5年で43兆円に増やす方針

国産ジェット開発が事実上の凍結となった三菱重工にとっては「渡りに船」

輸出三原則なし崩し

日本は「死の商人になるべきでない」(名大教授)

日本は1967年、共産国、国連が禁止した国、国際紛争当事国の三者には武器を輸出しないといういわゆる“武器禁輸三原則”を決定した。これは当然と言えば当然の方針なのだが、76年三木内閣が政府統一見解として発表した“それ以外の国々へも慎む”というという表現は、やがて”全面禁止“として強力な”縛り“となり、結果として大きく国益を損なうことになった。国益の損失とは、現代では、部品レベルはもとより様々な製品において軍用・民用の区別がなくなってきたことがひとつ、もう一つは“日本はこちらの武器を買うくせに売ってくれない、本当に友好国なのか”という不信感を与えてしまったことである。これほど思いとは裏腹の愚かな方針はないと思うが、”慎む“がここまでエスカレートした背景についても反省すべき要素がある。

第6回(1.9)

防衛研究外れる重し

北大需給審査整備へ

政府が安全保障研究を重視する狙いは学術界が軍事に関する研究をタブー視してきたこ

とが科学技術の進展を遅らせてきたとの危機感が反映されている。ロケットやAIなどの

先端分野は「デュアルユース(軍民両用)」の技術が多い。

学者の国会とも呼ばれる「日本学術会議」が17年に出した軍事研究忌避方針の“重し”が取り払われる傾向にあることに言及した記事であるが、内容的には偏りがなく”まともな感じである。裏返せば「日本学術会議」が“まともでない”ということか。

第7回(1.10)

防衛装備進むAI活用

民間AI技術導入加速

暴走の不安 ルール後手

AIの軍事利用が拡大すると人間の意図から離れて暴走することはないのか

中国は19年にAIと無人機を融合させる「知能化戦争」の進展を掲げた

自律型致死兵器システム(LAWS)の規制については「特定通常兵器使用禁止条約」

CCW)の枠組みで乱用を防ぐための協議を始めた。CCWには中・露を含む130か国が

参加しているが、各国がAIを利用した兵器開発を競っているのが実態だ。

“ある日気付いたらAI兵器によって戦争が起きているということが在るかもしれない。早期に規制を設けて実効性を持たせなければならない”という拓大佐藤教授の言葉でこのテーマを締めくくっており、それがこの連載の結びである。つまり、連載そのものの狙いなり主張と言った記述がない。ただ、“「平和国家」はどこへ”だけで”私たちは心配だ“といっているわけである。

そして最終回には担当記者10名の名前が明かされている。調べてみると約半数が2010年以降入社の比較的若い人たちで、地方支局から本社に(抜擢?)された人が多いようである。誰がどの回を担当したかはわからないが、「海底ケーブル露の影」に関係したとみられる創価大出身のY女性記者のツイッターによれば、安全保障分野は専門ではないらしい。しかし、その内容は新鮮で好感が持てる。逆に、第3回「反撃能力乏しき信念」や第5回「防衛力強化追い風に」などは昔ながらの感がする。

 

 新聞が今回の毎日新聞のような連載記事に力を入れることは大いに結構なことだ。

新聞が“News Paper”であった時代はとっくに終わっている。速報性では電波メディアに

かなわない。しかし電波メディアは時間的制約から中途半端に終わることが多い。また

新聞以外のペーパーメディアは、偏りが強いのが常だ。新聞にもそれはあるにせよ、曲

がりなりにも対立する両者の意見を取り上げ論評する姿勢を保っている。新聞の生きる

道はそれしかない。

ロシアのウクライナ侵攻は、紛れもなく空想的平和主義者の口を封じてしまったが、そ

れを”あり得ないこと“と感じてしまうのは、これまで軍事に関することは考えたくな

い、話題にさえしたくないという学術会議的世界に没頭してきた報いでもある。

ならず者国家」にも言い分はある。ウクライナは8年前までは親ロ派のヤヌコヴィッ

チが大統領で両国の関係は良かった。それがポロシェンコに代わり現在のゼレンスキー

へと続いて親EUへと態度を変えた。ウクライナ、とくに東部には親ロ派が多い。だか

ら、プーチンは“8年間虐げられてきた親ロ派の人々を保護するため”を大義名分として攻

め入ったのである。防衛力の前に国の立ち位置と国内政治の安定が抑止力の第一歩であ

り、最大の抑止力であることを忘れてはならない。

先に述べたユーラシア・グループが、2010年のリスク第5位に鳩山政権を挙げたことが

在るが、それは鳩山政権が日米同盟を軽視し中・韓に接近する姿勢を見せたからで、

それは台湾にも当てはまる。台湾の政治が不安定になり混乱が生じたならば、それは中

国にとって絶好のタイミングとなる。武力行使の前にそのような状況に仕向けるのが中

国の戦略で、軍事行動は「治安維持」或いは「内乱の鎮圧」という大義名分の下に行わ

れるに違いない。1.20の日テレ「深層NEWS]では、CSISのシミュレーションの中で最も

あり得るケースは、”中国が演習を装って兵力を展開し攻撃を仕掛けるケース”であると

明かされたが、それは台湾が独立を宣言したような場合で、想定の2026年では起こりえ

ないのではないだろうか。

詳細は分からないが、本国では私有地を持てない中国人や法人が近年日本のあちこちで

不動産を購入しているという情報がある。それ等の動きが拡大すれば、やがて中国に大

義名分を与えるような事態に発展する恐れがないとは言えない。やはり心配なのは沖縄

である。沖縄の情報環境は特異だ。沖縄以外の都道府県では、全国紙の比率が結構高い

が、沖縄では二つの地方紙、「琉球新報」と「沖縄タイムス」が約15万部ずつで2分

し、他を寄せ付けない。全国紙を買うことは出来るが、「日経」以外は数百部のレベル

である。しかもこの2紙は「反米・親中」で一致しており、競うが如く「反米軍基地闘

争」の先頭に立っている。数々の誤報や恣意的な報道も問題となってはいるが、朝日新

那覇総局が「沖縄タイムス」本社ビルに居候している現状ではいかんともしがたい。

全国紙各社には、デジタル発信を含めこの特異な環境の壁を打ち破る責務がある。

 

支持率低下に悩む岸田内閣が「聞く」から「話す」へと態度を変えた。

打ち出した2大方針が「大幅な防衛費増額」と「異次元の少子化対策」である。

しかし、その内容がイマイチはっきりしない。防衛力については、どうやら「継戦能力

の増強」と「反撃能力の獲得保有」を指向しているようだが、果たしてそれは正しいの

だろうか。ウクライナ戦争において、ウクライナに反撃能力(敵基地攻撃能力)がない

わけではない。しかし、国境を越えてロシアの基地なり拠点なりを攻撃することはしな

い。しないというよりできないのである。それが、核を持つ国に対する持たざる国の限

界だ。”ロシアは劣勢になれば核を使用するかもしれない”という強迫観念は常に付きま

とい、これを排除するには、核を持つか確かな核の傘に入るしかない。だからこそ、プ

ーチンはウクライナNATO入りする前に行動を起こしたのである。

中国についても、台湾を統一する前に日本を本気で攻撃することは考えにくい。その意

味で台湾は紛れもなく日本の防波堤になっている。しかし仮に台湾有事に、例えば沖縄

で基地使用反対運動などが激化し在日米軍が行動できなければ、中国は容易に目的を果

たし、次には沖縄がターゲットになるだろう。

日本の防衛力整備の主眼が「抑止力の増強」にあるのであれば、それはやはり日米同盟

の強化であり、そのためには「沖縄の安定」と「日本核武装論は暴論か(2022.5.15)」

で述べたような「制海力」=超具体的には米空母の行動自由確保と潜水艦の増強が鍵に

なると思う。防衛費もその方向で整備すべきではないだろうか。

昔も今も日本の防衛は「海」なのである。

長くなったので、「異次元の少子化対策」については、別途考えることとする。

                         2023.01.21

「どうする家康」「どうする日本」(その1)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、好評のうちに幕を閉じた。しかし私的には、物語の進

展とともに“このタイトルはどうも内容にマッチしていないのではないか”という違和感

があった。この13人が後の泰時の時代に設置された「評定衆」の元となる「13人の宿老

(合議衆)」を指すものであるなら、それらしく扱われてもよさそうな中原親能や二階

堂行政などには全く光が当てられなかったからである。それが最終回で、13人は義時が

実質的な“北条幕府”を完成させるために死に追いやったいわば仲間たちであることが明

かされ、“参りました”と言う他はなかった。三谷幸喜は最初にこのシーンを頭に描き、

観客は元より演者までを欺いて一人悦に入りながら話を進めてきたのかもしれない。

 

鎌倉時代はよくわからないところが多々ある。このドラマでは、伊豆の田舎の小さな豪

族の北条宗時という男が“武士の世をつくり北条がそのてっぺんに立つ”という荒唐無稽

とも言うべき野望を抱いたことがすべての発端となっている。当人は早々と姿を消した

が、父時政、妹弟政子と義時、義時の子泰時の3代でその野望が完成されるという物語

である。それはまた、子が親を乗り越えてゆくという物語でもあった。いずれにせよ、

衝撃のラストシーンの余韻が覚める間もなく、大河は「どうする家康」へと舞台を移し

た。

そこで私も”そのうちいつか“と先延ばしにしてきたことに取り掛かることにした。

それは山岡荘八の「徳川家康」26巻を読破することである。

実はこの本は、1983年の大河が「徳川家康」(滝田栄主演)に決まったときに、当時中

学生であった長男が読んだもので、処分せずにとっておいたものだ。あまりにも長編な

ので手が出せずにいたのだが、目も衰えてきたので最後の機会だと思って決心したとい

うわけである。他の本も読むので4,5か月はかかると踏んでいる。

そして第1巻「出生乱離の巻」を読み終えたところで、TVの「どうする家康」が始まっ

た。小説の方は家康(竹千代)が生まれて間もないところなのに、TVドラマの方は家康

が今川の人質時代から始まり、名前はまだ松平元康だが早くも桶狭間の初陣まで進んで

しまった。小説の桶狭間は第3巻の最後である。今回のドラマがどういう仕立てになっ

ているのかはわからないが、出来れば小説の方を少し先行させて両者を楽しみたいので

追いつかねばならない状況だ。

 

「小説徳川家康」は昭和25年~昭和42年、足かけ18年にわたって新聞に連載された世界

一の長編小説である。作者山岡荘八は文庫本第1巻の「文庫版に際して」にこう記して

いる。

“この「小説徳川家康」は、第2次大戦の末尾、鹿児島県の鹿屋基地に最後の従軍を命じ

られてあった私の、戦後最初の新聞小説であった。ある意味では、鹿屋基地から次々に

飛び立って、沖縄のアメリカ艦艇に突入していった海軍特別攻撃隊の戦士たちに捧げる

私の香華のつもりであった。むろん当時戦争はそのまま書けなかった。そこでその壮烈

さ、淡々さ、若しくはそれを貫く誠実さを、時代を家康の草創期に借りて書こうと考え

たものだ。”

そして「あとがき」ではこうも述べている。

“私は徳川家康という一人の人間を掘り下げてゆくこととよりも、いったい彼と、彼を

取り巻く周囲の流れの中の、何が、応仁の乱以来の戦乱に終止符をうたしめたかを大衆

とともに考え、共に探ってみたかった。(中略)

読者から貰った投書の中に、当時の新興勢力織田氏ソ連になぞらえ、京文化にあこが

れを持つ今川氏をアメリカになぞらえて、作者は、弱小三河を日本として書いているの

ではないかというのがあった、私はそうかもしれないと答えた。しかし、私はこの読者

の声にさらにもう一つを付け加えたかった。その織田氏豊臣氏も、やがて今川氏と同

じ崩壊の種子を宿していた。実は作者の描きたい狙いの一つはそこにもあるのだと。“

 

三谷幸喜がそうしたように、作者は物語の結末や狙いを秘して進めるのが普通なのだ

が、山岡荘八は敢えて早々と狙いを語っている。そして、その理由についても、このよ

うに語っている。

“作者が小説の狙いを前もって読者に打ち明けることは或いは賢明でないかもしれな

い。が、私にあえてその愚かしい多弁を求めるものがあったとしたら私はこう答える。

―人間の世界に、果たして、万人の求めてやまない平和があり得るや否や。もしあり得

るとしたら、それはいったいどのような条件のもとにおいてであろうか。いや、それよ

りも、その平和を妨げているものの正体をまず突き止め、それを人間の世界から駆逐し

うるか否かの限界をさぐってみたいのだと。(中略)これは世に言う歴史小説とは少し

く違い、いわば私の「戦争と平和」であり、今日の私の影であって、描いて行く過去の

人間群像から次代の光を模索して行く理想小説とも言いたいところである“

 

家康は次々に降りかかるピンチをことごとくチャンスに変えてきた男である。今回の大

河ドラマのタイトル「どうする家康」もそこに焦点があてられるのであろう。

その最たるものとして、小田原攻めの際秀吉から「関八州を与える、その代わり現在の

所領東海5国を差し出せ」と要求されたことがある。“まるで美田と泥沼を交換しろとい

うようなもの”と門井慶喜が「家康江戸を建てる」に書いたとおりの無茶苦茶な要求で

ある。家臣団がこぞって反対する中、家康はこれを受け入れ、江戸というより関東平野

の大改造を行い260年にわたる平和と一つの文明の礎を築き上げるのである。

今回のドラマの脚本を担当するのは「相棒」や「ALWAYS三丁目の夕日」などで知られ

る小沢良太であるが、そのタイトルからしてもピンチをチャンスに変える家康の生きざ

まが描かれることになることは間違いない。

覇権を争う大国に挟まれた弱小国という環境は、現在の日本にも当てはまるものであ

り、「どうする家康」は「どうする日本」へのヒントを与えてくれるに違いないが、

「どうする日本」については次回送りとしたい。

                          2023.01.10