樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

武器禁輸のこれまでとこれから(J-142)

 

国内政治と世の関心が自民党議員の裏金問題で明け暮れる中、日・英・伊三国の共同開

発による次期戦闘機の第三国への輸出が認められることになった。これまで難色を示し

てきた公明党が一定の条件のもとに歩み寄ったのである。

日本もようやく世界の常識が通用する国になったかと思う一方で、かつては民生用の部

品や軽トラックでさえやり玉に挙げられたことを思うと、なんだか居心地の悪さも感じ

ないこともない。

この大きな国の方針転換は、さほど大きな騒ぎに発展しなかったが、「毎日新聞」は、

3月16日“「戦闘機輸出自公が合意」「殺傷兵器第三国に解禁」”と題して一面トップで報

じ、社説には「なし崩しで突き進むのか」と批判的な記事を載せた。

その主張するところは、“「安全保障政策の根幹に関わるルールが与党の合意だけで変

更されてよいのか」、「平和国家としての日本の在り方が問われている」、「なし崩し

で進めるべきでない」“というもので、朝日新聞もまた、同じ記者が書いたのかと思う

ほどに同じ論調だ。

そもそも、“武器を売らない国日本=平和国家”というキャッチ・コピーは、「キャッ

チ・コピー」という言葉が和製英語であるのと同じで、世界には通用しない。極論すれ

ば、単なる“思い込み”か“自己満足”のようなものである。PKO派遣に踏み切るまでは、武

器を買うくせに売ってくれない国、カネは出しても兵力は派遣しない国=ずるい日本と

も見られていたのである。

武器禁輸政策は法律化されたものではない。勿論条約でもない。だから、方針転換は必

然であったかもしれないが、とりあえずこれまでの歴史を振り返ってみよう。

 

武器禁輸政策の変遷

1967年佐藤内閣

 最初に武器禁輸を打ち出したのは佐藤内閣で、①共産国 ②国連決議で禁じられた国

③紛争当事国又はその恐れのある国への輸出を禁じるといういわゆる武器禁輸三原則を

表明した。この内閣は三原則が好きで同じ年に非核三原則も打ち出し、74年佐藤はノー

ベル平和賞を受賞した。

1976三木内閣

 佐藤内閣が示した対象国以外の国に対しても”武器の輸出を慎む”として、”慎む“とい

う表現ながら、これが事実上の”全面禁輸“へと発展した。

1983中曽根内閣

 米の要請を受け例外的に米への技術供与を認め、以降個別の案件としてミサイルの共

同開発やPKOに従事する他国軍への銃弾提供などが認められた。

2005小泉内閣

 米とのミサイル共同開発・生産を例外化

2011野田民主党内閣

 三原則の緩和を決定。国際共同開発・生産などでパートナー国への輸出を容認。

 パートナー国が第3国へ輸出する場合は日本の事前同意を義務付け

2014安倍内閣

 一定の条件下で武器(防衛装備品)の移転(輸出)を解禁する新たな「防衛装備移転

三原則」を策定した。禁止する相手は従来通りだが日本の安全保障に資する場合は移転

を認めるとともに移転先から第三国への移転は日本の事前同意が必要とした。

 ただし、完成品については「救難」「輸送」「警戒」「監視」「掃海」に限定され、

実績としてはフィリピンへの警戒管制レーダー一件のみ。

2023岸田内閣

 殺傷能力のある武器であってもライセンス生産しているものはライセンス元に輸出で

きるとした。具体的には「PAC2」「PAC3」のライセンス生産品を米に輸出

2024岸田内閣

 日・英・伊共同開発による次期戦闘機の第三国への輸出を認めるという方針転換。

 ・第三国への輸出を認めるケースは防衛力整備上の必要性があり、完成品の輸出が必 

  要な国際共同開発・生産に限る

 ・個別のプロジェクトごとに協議、今回は次期戦闘機に限定

 ・輸出が認められる国は協定などを締結している次の15か国

  (米・英・独・仏・伊・スエーデン・オーストラリア・印・シンガポール・タイ・

   フィリピンインドネシア・マレーシア・ベトナム・タイ・UAE)

 

言うまでもなく、今回の方針転換は戦闘機の第三国への輸出を許容するという点で、こ

れまでとはレベルの違う路線変更である。これに対する各政党の反応はどうであった

か、各党政務調査会長等の見解を見てみよう。

 

各政党の見解

公明党(高木)

 戦闘機は攻撃兵器と捉えられがちだが、我が国は専守防衛のために必要。輸出するの

であればそれも国の防衛に必要。憲法の問題はクリアしている。

立憲(長妻)

 与党だけで決めて閣議決定というのは拙速だ

維新(青柳)

 (今回の戦闘機だけと言わず)例外なく第三国への輸出を認めるべき。何かと面倒く

 さい国はパートナー国として選ばれなくなるだろう。

共産(小池書記局長)

 憲法違反であり、断固抗議し撤回を求める。

国民(榛葉幹事長)

 公明がブレーキをかけながらも門戸を開いたことを高く評価

 

以上の通り変われば変わるものである。その背景にはロシアのウクライナ侵攻もあるだ

ろうが、敢えてクレームをつければ次の通りだ。

・立憲は手続きのみを言っており、態度を明らかにしていない。おそらく党内はまとまっていないのであろう。

・公明の言っていることは支離滅裂、連立与党の座を失いたくないだけの妥協策に見える。

・維新と共産は正反対でありながらどちらも筋が通っている。つまるところは憲法に帰着する問題だ。

国民はいつもながらの”長老的発言“である。

 

戦闘機やミサイルなど最先端技術の結集ともいうべき武器の国際共同開発は、単なる経

済効果に留まらず、むしろ政治外交的に大きな意味がある。兵器における相互依存は、

安全保障において条約以上の重みを持つ可能性があるのだ。

これからも国際共同開発・生産には積極的であるべきだと考えるが、だからと言って、

憲法に手を付けずに”なし崩し“に進めてゆくわけにもいくまい。

                         2024.4.6

新型コロナのこれまでとこれから(J-141)

このブログを始めたのは2020年3月で、新型コロナによる閉じこもり生活がきっかけの

一つであった。だから当然のごとく、Jシリーズ(爺怪説)の第一回目は「COVID

-19は最強か」と題した新型コロナの話題となった。以来30数回にわたり新型コロナ

に関連する話題を取り上げてきたが、初めの頃はメディア-特にテレビのバラエティー

番組に対する私の”違和感“を述べることが多かったように思う。

初期における日本の戦略は“感染のピークをなるべく後ろにずらし、その間に医療体制

を整え死亡数の最小化を図る”というもので、スピード感には不満があったが、世界と

の比較においては“結構うまくやっているのではないか”というのが私の感覚であった。

ところがメディアの多くは、極端な例を取り上げるなどして行政側の不備を追求するこ

とに明け暮れ、とくにテレ朝の“PCR検査数を拡大せよ”という主張は、それがあまり有

効ではないと分かった後まで続いた。

私は当初から、感染症爆発(パンデミック)に対する評価は人口に対する死亡率であ

り、その影響を受けたその他の要因(医療崩壊により本来の治療や手術を受けられなか

ったケースなど)を含めたものとすべきで、最終的には平均寿命の変化となって表れる

はずだと主張してきた。そして後に、その考え方は何も私の独創ではなくてメディアが

それを(敢えて?)言わないだけのことであったことが分かった。

やがて日本の死亡率の低さは世界に注目され始め、ノーベル賞の山中先生がそれを”フ

ァクターX“と名付けて、その要因(X)を探る動きが活発になった。

そして、「ファクターX」の候補に上がってきたのは次のようなものだった。

・肥満率 ・遺伝子 ・生活習慣 ・BCG ・交差免疫(類似したウィルスに感染)

しかしそれらは何れも決め手を欠くものであったため、当ブログでは「ファクターXes

なのか?」(2020.6.15)と題して複合要因の可能性について述べた。

私の関心はその後も「ファクターX」から離れることはなかったが、10月になって、ふ

と昔のNHK番組を思い出し録画を調べてみた。それはNHKスペシャル「人体」の第4集

「腸」(2018.1.14)という番組である。これが放映された2018年には、まだ新型コロ

ナは登場していなかったのでアレルギーや多発性硬化症などを対象としているが、要す

るに“免疫の暴走による重症化”を防ぐ機能として腸内細菌が重要な役割を果たしている

という次のような最新の研究結果を紹介したものだ。

 

“いわゆる免疫の暴走によって発症する疾患を持つ患者の便には、クロストリジウム菌

が著しく少ないことが判明する。詳細に調べると、この菌は100種類ほどあり、その中

の17種が一緒になるとメッセージ物質(酪酸)を発出する。すると、これを受け取った

免疫細胞が免疫の暴走を抑制するTreg 細胞に変身する。日本人の腸内細菌は免疫力を

コントロールする物質を出す能力がずば抜けて高く、腸内細菌の組成から出身国を推定

すると日本人については正答率が100%であったという調査もあった。”

つまり、日本人の腸内フローラの特異性が推定されたのである。

 

新型コロナに感染しても大した症状が出ない人と、あっという間に重症化して死亡に至

る患者の差はなにゆえに生じるのか。持病の有無や年齢だけでは説明できないその謎

が、私たちの恐怖の根源でもあったわけだが、やがてそれは免疫の暴走(サイトカイ

ン)が起きるかどうかであるということが分かり、そのカギを握るのが腸内細菌である

ことも、最新の研究成果で専門家の間では知られていた。にもかかわらずファクターX

の候補に上げられなかったのはなぜなのか。その理由は不明だが、おそらく、データ不

足と直近の対策に結び付けようがないからであろう。

しかし最も重要なのは、感染を防ぐことではなく重症化しないことである。季節性イン

フル程度の毒性ならばせいぜい学級閉鎖くらいの対策ですむからだ。

詳細を知っているわけではないが、実は免疫の暴走を抑える遺伝子というのもあるらし

い。CD55という遺伝子のSNP(塩基が一つだけ異なる変異)がそれだ。そもそも

ヒトのゲノムは解読されたと言っても、分かったのはタンパク質をつくる指令を出して

いる遺伝子だけであって、ゲノム全体の約1.5%に過ぎない。それ以外は“ごみ”のような

ものと言われてきたが、本当は何らかの役割を持っていそうな気がしてならない。

さらなるゲノムの解明と腸内フローラの研究は、感染症対策としても今後の大きな課題 

であり希望でもある。

新型コロナは行政面における日本の弱点と課題をも浮き彫りにした。

その一つはワクチンの開発である。国民の多くは日本の医療分野は世界のトップレベ

にあると信じていたが、ワクチンについては輸入に頼らざるを得なかった。その原因

は、重大な副作用を発生させた三種混合ワクチンの失敗によって生じた厚労省と製薬会

社の消極性にあるという説もあるが、今回初めて承認されしかも大量に使用された

mRNAワクチンの安全性がほぼ証明された実績を踏まえ、日本のワクチン開発に是非と

も予算を投入してもらいたいと思う。

もう一つは法的な問題である。パンデミックや大規模災害などはいわゆる“有事”に該当

すると思うのだが、日本はその切り替えがどうもうまくいかない。日本の防災システム

自治体ごとに編成されており、広域にわたる災害に対しては様々な制約がある。だか

ら広域或いは大規模な有事において最も頼りになるのは自衛隊しかないのだが、自衛隊

災害派遣都道府県知事、海上保安庁長官、空港事務処長などの要請に基づくことに

なっている。つまり、端から広域・大規模災害を想定していないような仕組みとなって

いる。大規模な災害に対しては直ちに政府が動く必要があるが対応は常に抑制的であ

る。つまり、国民の権利や自由を制限することに慎重である。運の悪いことに、阪神

路の時は自社さ連合の村山政権で、東日本大震災の時は民主党の菅政権だったのでそれ

が顕著に表れてしまった。

繰り返すが、大規模の災害等に際して自治体の能力は貧弱であるばかりか、対応すべき

組織や人員そのものも被害を受けており機能しないケースが多い。また、複数の県知事

等から災害派遣の要請があったとき、その優先順位を誰が何に基づき判断するのか。

そもそも派遣要請という手順が必要なのか。重要なことが何も決まっていないように見

える。

国全体としての効率的なシステムを考えるならば、ヘリ搭載の病院船を有し、災害派遣

を本来任務とする部隊を組織編成すべきかと思うが、憲法に何の規定もない自衛隊がな

し崩し的に変身を続けるのもいい事とは思われない。

 

話が先に進みすぎたようなので元に戻そう。

各国の新型コロナ対策は、つまるところ“その国の平均寿命に現れる”と述べたが、よう

やくその結果がいくらか見えるようになってきた。

2019年から2022年の日本の平均寿命は次の通りである。(2023年は今年の7月ごろ発表

される)

 年    男性          女性

2019  81.41         87.45 

2020  81.64 (+0.23)     87.74  (+0.29) 男女ともに過去最高値

2021  81.47 (-0.17)   87.58 (-0.16) コロナの影響

2022  81.05 (-0.42)   87.09 (-0.49) コロナの影響

 

以上の通り、2020年は新型コロナによる(とされた)死者が3,466人あったもののイン

フルエンザが流行しなかったことなどにより、過去最高の平均寿命を記録した。いわゆ

る超過死亡率(平年を上回る死亡率)は、欧米などに100%(2倍)を超えるものが

出る中で、日本はマイナス3%(35,000人に相当)とコロナの影響を感じさせない数値

となった。

しかし2021年は、重症化しやすいデルタ株の感染拡大により16,771人が亡くなり10年ぶ

りに(東日本大震災以来)平均寿命が短くなった。翌23年は次々に変異を繰り返して免

疫をすり抜けるオミクロン株の流行で4万7,635人もの犠牲者が出たため平均寿命が0.5歳

近く短くなった。

これが世界と比べてどうかということになるが、ようやく一つの信頼できる研究成果が

このほど(5日前の3.21)発表された。詳細なデータは確認できていないが、共同通信

記事によると、

“米ワシントン大の研究所を中心とした国際共同チームが、「世界の疾病負荷研究」の

一環として、204の国と地域の人口動態統計や国勢調査など2万種類を超えるデータを使

い、新型コロナによる死亡率や平均寿命の変化を計算した。その結果、21年の世界全体

の平均寿命は71.7歳で19年に比べて1.6歳短くなった。これは過去半世紀に起きたどの自

然災害や紛争よりも甚大な影響を及ぼしたものである。この2年でアメリカは2歳、ペル

ーは6.6歳、平均寿命を下げ、日本の平均寿命の延びは0.2歳に鈍化した。“

(下線部は分かりやすいように筆者が修正、厚労省のデータと異なる理由は定かでない

が、例えば自殺などを除外するといった処理をしたのかもしれない)

まだ中間レポートのようなものではあるが、これを見る限り日本の新型コロナ対応は、

結果として上出来であったと評価するのが公平な態度であろう。しかしそれを日本政府

の手柄というにはいささか抵抗があるのも事実だ。

「これまで」は「これから」によって決まる(評価される)のである。

 

前に「ウィルスプラネット」(J-116)で述べた通り、ウィルスは地球環境や生物の進化

に大きく関係している。彼らは宿主を絶滅させることはないが、消えてなくなることも

ない。今後も、いつの日か新型のコロナやインフルが必ず現れ私たちを悩ませるだろ

う。その時に備え、世界が今回のパンデミックの教訓を生かせるかどうかとなると、

悲観的な気分にならざるを得ないが、日本として改善すべき要件はかなりはっきりして

いる。やるかどうかの問題である。しかしながら、裏金問題に明け暮れる国会ばかり見

せられると期待感は薄らぐばかりだ。

 

最後に、蛇足ながら「平均寿命」について念を押しておく。

平均年齢とは死んだ人の年齢を平均した数値ではない。各年齢毎の死亡率をもとに計算

した、あと何年生きられるかという推定値(期待値)である。だから「平均余命」と

呼ぶのが正しく、年齢ごとの表として発表される。その0歳の平均余命を一般に「平均

寿命」と呼んでいるのである。日本人男性の平均寿命が81歳で自分が80だからといっ

て、“余命いくばくもない”と考えるのは大違いで、80歳の余命は8.5歳あり、その85歳に

たどり着けば、余命はさらに6歳ばかりある。まだまだ先は長いのである。

                          2024.03.26

アカツキジャパンに注目(J-140)

東京オリンピック」・・・と言っても3年前の話ではない。60年前の1964年(S39)

に開催された、第一回東京オリンピックから話を始めたい。

国土の大半が焦土と化した敗戦から、わずか20年足らずで奇跡の復興を果たした日本は

この年、世界に先駆けて高速鉄道「新幹線」を開通させ、その数日後にアジア初となる

オリンピックを開催した。国民はまだ豊かさを手にしたとは言えなかったが、希望の光

に満ちた幸せな時代でもあった。

この大会で日本は米ソに次ぐ16個の金メダルを獲得し、スポーツの分野においても大い

なる躍進を遂げた。当時私は学生の身分であったが、今でも体操男子の圧倒的パフォー

マンス、女子バレーボールがソ連に勝った決勝戦、マラソン銅の円谷幸吉の力走、柔道

無差別級決勝で神永がヘーシングに敗れた場面などが目の奥に焼き付いている。

しかし、選手らの活躍に喝采を送る一方で、ある種の“限界”を感じたのも事実である。

金メダル(16)の内訳は、男子が体操(5)、レスリング(5)、柔道(3)ボクシン

グ(1)、重量挙げ(1)で、女子はバレーボール(1)のみというところがそれだ。

つまり、当時から“お家芸”とも言われた体操と階級別の軽量級に偏っているのである。

実態としては、開催国の特権で多くの種目にエントリーはしたが、体格によるハンデは

如何ともしがたく、とくに女子ついては、将来の展望が見えないという状況であったと

思う。

ところがパリ大会を迎える現在の様相は、60年前には予想もしなかったレベルにある。

メダルを期待される競技はむしろ女子が優勢で、なんと投擲競技までが有力候補に挙げ

られている。陸上、競泳、球技などの多くは、やはり体格によるハンデを感じるが、い

わゆる”歯が立たない“状態からは完全に脱した感がある。

それらの中で、にわかに注目を集めているのが”アカツキジャパン“だ。

アカツキジャパン」とは、バスケットボール代表チームの愛称である。ご存知の通

り、男子・女子及び三人制(3X3)を含めたすべてに適用される愛称である。

3X3に出場できるのは8か国で、日本は6月の最終予選で最後の3枠を争うことになる

が、従来の5人制については男女ともに既に出場権を獲得している。これは、モントリ

オール大会(1976)以来で48年ぶりの快挙ということになる。

意外と言えば意外だが、これまでの実績では女子の方が好成績を収めている。

中でも、1970年代は“黄金時代”とも言うべき時代で、アジア大会での優勝、世界選手権

準優勝、オリンピック5位などの実績がある。しかしその後は低迷を続け、ようやく

2010年代に渡嘉敷来夢吉田亜沙美と言った選手がチームをけん引して、2013年のアジ

ア選手権で優勝した。

そして、2017年に就任したトム・ホーバスHCのもとでアジアカップの4連覇を達成し、

2021年の東京オリンピックで銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げた。

この大会、日本はランキング(9)位でアメリカ(1)、フランス(5)、ナイジェリ

ア(17)と予選リーグを戦い、アメリカ以外の2チームに勝って決勝トーナメントに進

んだ。準々決勝の相手はベルギーで、ベルギーにリードされたまま終盤を迎えたが、残

り16秒で林咲希が逆転の3ポイントを決め大逆転勝利した。準決勝では予選で戦ったフ

ランスを再び粉砕して決勝に進んだが、決勝ではアメリカに75-90で完敗し、金には届

かなかった。とは言え、堂々たる殊勲の「銀」にファンは感動し十分満足した。

その直後、トム・ホーバスは、強い要請を受けて男子チームのHCに就任した。

 

日本男子チームは、2014年にFBAから国際試合資格停止処分を受けた(JBAの内紛=ガ

バナンス不足)影響などもあり長く低迷を続けていたが、2019年になって2006年以来と

なるW杯に出場した。この時日本のランキングは(48)位で、アメリカ(1)、トルコ

(17)、チェコ(24)と同組となったが、全敗して予選突破はならなかった。

2021年の東京オリンピックにも開催国枠で出場したが、これも予選でスペイン(2)

、アルゼンチン(4)、スロベニア(16)に完敗した。

そのタイミングでトム・ホーバスがHC就任した。

そこから2年、2023年8月に日本・フィリピン・インドネシア共催によるW杯が開催され

ると日本チームは鮮やかに“変身”していた。

一次リーグではドイツ(11)、オーストラリア(3)に敗れたが、フィンランド(24)

に勝利して17-32順位決定戦に進み、ベネズエラカーボベルデに連勝して全体の19位

となった。これがアジア勢の最上位であったことで、パリオリンピックの出場資格を

早々に確定することになった。ランキングも37位(アジア6位)から26位(アジア1位)

へとジャンプアップした。このW杯でパリ行きを決めたのは8か国で、残りの4か国は大

会直前に行われる最終予選で決まる。その中にはスペイン(2)、ラトビア(8)、リ

トアニア(10)、スロベニア(11)、ブラジル(12)、イタリア(13)などの強豪チー

ムが残されている。

いずれにせよ、パリ大会で日本が戦う相手はすべて自分よりランキング゙の高いチーム

となることが予想され、勝ち星を挙げるのは容易でない。しかし、勝利の可能性がない

わけではない。少なくとも”歯が立たない”という試合にはならないはずである。

 

一方女子のパリ大会出場資格は、この2月に4会場に分かれて行われた最終予選で12ヵ国

すべてが決定した。最終予選は4つのグループが4か所の会場に分かれ、各グループの上

位3チームが出場資格を得る。一見楽そうに見える条件だが、最終予選だけに強豪ぞろ

いで勝ち抜けるのは容易ではない。とくに日本(ランキング9位)と同組になったの

は、スペイン(4)、カナダ(5)、ハンガリー(16)で“死の組”とも呼ばれた厳しいグ

ループであった。

日本は初戦で難敵スペインを86-75で下し出場に王手をかけた。第2戦はランキング下位

ハンガリーである。順当に勝てばパリ行きが確定する。そしてその戦いは、いきなり

9-0の滑り出しで楽勝かと思われた。ところが後半に入ると、地元の大応援を受けてハ

ガリーの大反撃が始まった。そしてまさかの大逆転、75-81で敗れてしまったのであ

る。このゲームの勝敗を決めたのは、23-43というリバウンドの差であった。

2試合を終えたところで各チームが1勝1敗の横並びとなり、日本のパリ行きは最後の

カナダ戦に勝利するしかないという状況に追い込まれた。カナダが勝てば日本のパリ行

きは消え、ハンガリーがパリ行きの切符をつかむ。当然ハンガリーの観客はカナダの応

援に回り完全アウェイの雰囲気の中で最後の決戦が始まった。試合は終盤まで互角の展

開となったが、79-79の同点から宮崎のドライブでリードを奪い86-82で逃げ切った。

最終予選を突破してパリ大会に出場するチームは次の12ヵ国となったが、ランキング上

位の力は拮抗しており、9位の日本女子にもメダル獲得の可能性が十分ある。

 

・フランス   (7)    ・オーストラリア(3)   ・ベルギー  (6)

アメリカ   (1)    ・日本     (9)   ・ナイジェリア(12)

・中国     (2)    ・スペイン   (4)   ・ドイツ   (19)

プエルトリコ (11)    ・カナダ    (5)   ・セルビア  (10)

 

男女共に、日本の強みはスピードと3ポイントシュートだと言われているが、スピード

というよりは敏捷性を生かした攻撃パターンの多様性だと思う。そして、その主役を務

めるのが小さなPG(司令塔)のセンスである。男子では富樫勇樹(167㎝)、河村勇

輝(172㎝)という二人の“ユウキ”であり、女子では山本麻衣(163㎝)、宮崎早織

(167㎝)の二人である。この二人が同時にコート内にいる場面での、相手を翻弄する

波状攻撃は見ごたえがあり、大会でも注目されるに違いない。

そして、小柄な選手たちの活躍はバスケットボール界のすそ野を広げる可能性がある。

 

アカツキジャパンをここまで躍進させた功労者の第一は、やはりトム・ホーバスHCであ

ろう。彼は1967年生まれのアメリカ人で、NBAの選手としてはわずかに2試合の出場し

かないが、日本のトヨタペイサーズなどで4年連続得点王になるなど、日本で活躍し

てきた。2000年に引退したが、2010年JXサンフラワーズからオファーがありコーチにな

った。そして2017年から女子代表のHCを務めた。彼の強みは日本語が堪能であること

だ。奥さんも日本人であり、日本語で選手を指導する。そして、日本人の特徴を生かし

たチームをつくりあげた。しかし、指導法は(見た目だが)男子と女子では全く違って

いる。女子に対しては、感情を表に出して叱咤激励する場面が多く見られたが、男子に

対しては感情を抑え、選手たちのプライドを尊重し刺激するような姿勢を貫いている。

 

日本ではサッカー野球が人気だが、世界で見れば、競技人口1位はバレーボールで2位が

バスケットボールである。日本も10代に限れば、バレーボールや野球よりもバスケット

の競技人口が上位にある。

だからというわけではないが、今後のバスケットボール界にとってパリ大会は重要な意

味を持っている。もしアカツキジャパンが活躍を見せれば、その影響は世界に及ぶので

はないだろうか。

そんな期待を込めてアカツキジャパンに注目している。

                         2024.03.10

 

 

 

 

毎日新聞の世論調査に疑義あり(J-139)

戦争あり、地震ありで、内外共に喫緊の要事を抱える中で、岸田内閣の支持率低下が下

げ止まらない。

発端は裏金問題だが、それ自体は岸田内閣の責任に帰する問題ではない。国民は岸田首

相のリーダーシップの無さに失望しているのである。

それにしても2月19日に発表された毎日新聞世論調査結果には驚かされた。

タイトルには「内閣不支持上昇82%」「自民支持16%」の文字が掲げられ、“不支持率

内閣支持率の調査を始めた1947年7月以降最高だった”と記事は語る。

“最悪”と言わず、“最高”と書いたところがなんとなく愉快気でもあるが、世の空気感か

らすれば“さもありなん”というところだ。しかし、立憲民主の支持率も自民と同じく

16%であると言われると、「ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。これまで立憲の支

持率が自民の支持率低下に呼応して急上昇するようなことはなかったのである。

今回の調査結果が信頼できるとすれば、あの社会党土井たか子の”山が動いた“に匹敵す

る画期的な出来事だ。しかし、なぜか記事は立民の”躍進“については触れていない。

そこで、ほぼ同時期に他のメディアなどが行った調査結果を調べてみると、次の通りで

あることが分かった。

 

調査機関     内閣支持   内閣不支持    自民支持  立憲支持

 毎日      14 %    82%     16%   16%

 読売      24      61      24     5

 朝日      21      65      21     7

 産経      22.4            24.8

 NHK        25      58      30.5   6.7

時事通信     16.9    60.4    16.3   4.1

 

これを見れば一目瞭然、毎日のデータは“特異”と言わざるを得ない。とくに立憲の支持

率は突出している。ばらつきの範囲を著しく超えていると言わざるを得ない。

ここで、似たようなことがあったことを思い出した。調べてみたら確かにあった。

「どこかズレてる毎日の世論調査」(J-63)という題で、2021.5.5に当ブログで発信し

ている。この時は菅内閣の調査であったが、やはり毎日新聞のデータのみがかけ離れて

おり、私は“毎日新聞から委託されってその調査を行った「社会調査センター」に問題

があるのではないか”と書いている。そして今回の調査を行ったのも同じ会社である。

毎回“特異な”調査結果を出す調査会社を使い続けるということは、そこに親密な関係が

あることを窺わせるものであり、調査方法などに問題があった場合の”尻尾キリ“として

設けた子会社なのかと勘繰りたくもなる。

繰り返すが、調査結果はばらつきの範囲を超えている。調査対象の選出に偏りがなく

、その結果に対する信頼度に自信があるのであれば、毎日新聞はなぜ他の機関と大きな

差異が生じているのかを説明する責任がある。逆に、調査方法などに何らかの欠陥があ

るとすれば、それを示して読者に謝罪する必要があるのではないだろうか。

                             2024.2.23

ECIと日本(J-138)

読売テレビに「そこまで言って委員会NP」というバラエティー番組がある。

2002年5月に特別番組として放映されたのが始まりで、2003年からレギュラー番組化さ

れ今に続いている長寿番組だ。もう20年を超えたことになるが、日曜日のお昼というこ

ともあり、随分見てきたように思う。初めの頃は「たかじんのそこまで言って委員会

というタイトルのとおり、やしきたかじん冠番組であったが、2014年に彼が亡くなり

司会役は辛坊治郎、そして現在の黒木千晶へと受け継がれてきた。パネリストもかなり

入れ替えがあり、初期のころと比べると“毒”あるいは“わさび”が消えたような気がしな

くもないが、その中に最近登場し始めた大空幸星(本名)という準レギュラー格の若者

がいる。他にも多くの番組に出演しているので顔は知られているはずだ。職業は社会起

業家或いは「NPO法人あなたのいばしょ理事長」となっている。このNPO法人は彼が慶

応大学在学中に、“誰もが問題を抱えた時に頼れる人に確実にアクセスできる仕組みを

作りたい”という思いから設立したもので、厚労省自殺防止対策事業に指定され2022年

度には1億5000万円の公的支援を受けている。

 

直近(2.11)の「そこまで言って委員会」のテーマは“日本も捨てもんじゃない”がテー

マであったが、その中で大空幸星が“ECIという指標で日本は16年連続世界一”という発言

をした。議長(司会)も他のパネリストもこれに反応を示さなかったが、ECIという言

葉自体自分としては初耳だったのでちょっと調べてみた。

ECIとは「Economic Complexity Index 」の略で、「経済複雑性指標」と訳される経済指

標の一つである。元々はMITメディアラボのセザー・ヒダルゴとハーバード大のリカル

ド・ハウスマンらによって提唱されたものらしいが、その論文が発表されたのが2009年

というから比較的新しい理論だと思われる。なじみが薄い理由はよくわからないが、

一つには訳語がよくないのかもしれない。「complex」は“多くの部分から成る”という

意味なので、”複合的経済指標“とでもいった方がよさそうに思う。それはまあ好みの問

題に近いとして、最大の問題は指標を数値化する計算式がなんだかややこしすぎるので

ある。実のところ、ほとんどの経済学者に理解されていないのではないかとさえ思う。

超単純に言えば“輸出品の多様性を示したもの”とも言えそうだが、もう少し丁寧に言う

と、“国家の多様性と輸出品目の希少的価値を考慮して数値化したもの”ではないかと思

われる。

具体的に言えば、“世界に通用するオリジナリティーのある製品やサービスを輸出して

いる国ほどECIが高くなる”ということになる。ここで注目すべき事実は“ECIの値とGDP

にギャップがある場合は将来的にその差が埋まるように進む”ということだ。これは他

の経済指標よりも正確に将来のGDPの成長を予測しているともいわれているらしい。

今朝の新聞では、日本のGDPがドイツに抜かれ世界第4位に転落したと報じられたが、

現実問題として、日本はECIとGDPにギャップがある国の典型のようにも見える。

しかしECIの理論によれば、長い目で見れば今後に期待が持てるということになる。

ECIの最新データは、「経済複雑性観測所」(The Observatory of EconomicComplexity)

が発表しているので、その上位と気になる国をピックアップすると次のようになる。

 

 順位  国名    ECI   5年前から   10年前から

                の変動     の変動

 

 1  日本     2.43    ―       ―

 2  スイス    2.17    ↑ 1     ↑ 1

 3  韓国     2.11    ↑ 4     ↑ 8

 4  ドイツ    2.09    ↓ 2     ↓ 2

 5  シンガポール   1.85    ―        ↓ 1

 6  オーストリア    1.81    ↓ 2     ↑ 1

 7  チェコ    1.80    ↓ 1     ↑ 2

 8  スウェーデン 1.70    ―        ↓ 3

 9  ハンガリー  1.66    ―        ↑ 5

 10  スロベニア  1.62    ↑ 3     ↑ 3

 11  アメリカ   1.55    ↑ 1     ↑ 1

 12  フィンランド 1.55    ↑ 2     ↓ 1

 13  イギリス   1.51    ↓ 2     ↓ 5

 14  イタリア   1.44    ↓ 2     ↑ 3

 16  フランス   1.37    ↓ 2     ↓ 1

 18  中国     1.34    ―        ↑ 6

 42  インド    0.54    ↑ 10     ↑ 8

 52  ベトナム   0.14    ↑ 11     ↑ 11

 64  ロシア   -0.04    ↑ 1     ↓ 3

 

ご覧の通り、日本は不動の首位をキープしている。

韓国の10年、インド、ベトナムの直近5年間の躍進が著しい。

中国は5年前から成長が止まっている。

ロシアのECIは途上国並みの低い数値である。

 

ECIの数値で一つ注意が必要なことに、農産品や原材料を多く輸出している国はオリジ

ティーの高い製品を輸出していても計算上数値が下がるということがある。

いずれにせよECIの数値は、日本が独自性と洗練度の高い多様な製品とサービスを世界

に提供し続けているということを示している。そして、これからの日本も、その方向に

進み続けるしかないのだろうと思う。

それは、一言で言えば,”文化を売る”ということであり ”Cool Japan”にさらに磨きをかけ

ると言い換えてもいいだろう。              

                             2024.02.16

無敵の人(Y-65)

「無敵の」を広辞苑で調べてみると、“敵対できるものがない”“力の及ぶ相手がない”と

あります。つまり、無敵とは”敵がいない“ではなくて”匹敵する者がいない“ことである

と理解できます。

この言葉が、外国語の翻訳時などに生まれた、いわゆる“和製漢語”なのかどうかは分か

りませんが、英語なら「invincible」(征服できない、打ち負かせない)という言葉に該

当するものと思われます。今の時代で言えば、将棋の藤井聡太、女子レスリングの藤波

朱里、ボクシングの井上尚弥といった勝負の世界で活躍しているひとがこれに該当する

かと思いますが、それに大谷翔平を加えても文句はないでしょう。

歴史的にみると、まず思い当たるのはスペインの「無敵艦隊」でしょうか。

16世紀の「大航海時代」、世界の海を支配していたのはスペインでした。そして、”太

陽の沈まぬ国”とも称されたスペインの黄金時代を支えていたのが、大艦隊から成る

「Armada」でした。「armada」は英語の「navy」に当たる普通名詞ですが、英語圏

「the Armada」と言えば、「スペインの無敵艦隊」を指す固有名詞になります。

ところが1588年、スペインの支配下にあったオランダの独立を支援するイギリスとの戦

争において、「Armada」は大敗北を喫してしまいます。それが一因となってスペイン

は衰退してゆきます。「Armada」はもはや無敵ではなかったのです。

だから英語圏の人々が「無敵艦隊」という場合、そこには皮肉や揶揄が込められている

のだそうです。

実は「無敵艦隊」という呼び名は、ずっと後の1884年に、スペイン海軍のC.F・ドゥロ

大佐という人が書いた論文にある「Armada Invencible」が原典らしく、元々スペインで

の呼び名は「GrandeyFelicima Armada」(至福の大艦隊)でした。

大敗を喫したこの艦隊にスペインの大佐がなぜ「無敵艦隊」の名を付したのかその理由

は定かではありませんが、「哀悼」の心情からではないかとも言われています。日本に

おける「不沈戦艦大和」も少し似たところがあるような気がします。

 

しかしこの頃は、本来の意味における「無敵」という言葉はあまり聞かなくなりまし

た。それは、「無敵」という表現が少々大袈裟で、しかもその状態が一時的なものだか

らだと思います。これに代わる表現としては、「不敗」「最強」などが一般的です。

ところが近年、「無敵」は別の意味で使われるようになりました。

例えば、無差別殺人事件の犯人などを「無敵の人」と表現するような例です。ここにお

ける「無敵」は、「invincible」ではなくて「untouchable」(手が届かない)或いは

「free」(干渉・束縛を受けない)に近い感覚かと思います。「無敵の人」という表現に

は、“このような加害者に対して社会は有効な手段を取り得るだろうか”といった絶望感

も感じられます。

いわゆる人権問題にうるさい論者の中には、”加害者のほとんどは社会的弱者であり、

その実態は「関節自殺」とでも言うべきものであるから、加害者といえども救われるべ

き側の人間である。“という意見もあります。

さて、このような「無敵の人」にとって「敵」とは何でしょうか。

それは「世間」であると言えるかもしれません。「世間」とは大多数の一般大衆を指す

のではなくて、ごく身近な周辺にいる人たちです。それらの人たちとの関係が断たれ、

相互作用がないので「無敵」なのです。つまり、”seken  free”なのです。

近代社会は個人の権利をひたすら拡大する方向に歩んできました。国家や集団に対して

は“許されていることのみ実行できる”とする一方で、個人に対しては“禁じられているこ

と以外は自由である”という方向です。そしてそれは正しいのだと今現在も信じられて

います。その結果、「個人」は「世間」と乖離し、「個人の自由」と「冷たい世間」が

同時に拡大したと言えるのではないでしょうか。

 

広くとらえれば、「無敵の人」は他にもいます。例えば赤ん坊です。赤ん坊は世間に縛

られません。時と場所に関係なく泣き叫んだりします。世間は耐えるしかありません。

そしてもう一つ、最近気になり始めた「無敵の人」、実はこれが本題です。

先日、運転免許更新のために高齢者に義務づけられている「認知機能検査」に行ってき

ましたが、そこで「無敵の人」に出会うことになりました。受験者の中に検査官の指示

に全く従わない老人がいたのです。どうやら認知症らしいのですが、それでも最後まで

退場させられることはありませんでした。「指示に従わない人は即刻退場となります」

と何度も注意があったにもかかわらずです。個人の権利はかくも強力なのです。

おそらく彼の免許は更新され以後3年間有効となります。しかし、認知症は進行しま

す。つまり彼の”無適度“もさらに進行するわけです。この先何が起きるのか、ただ不幸

なことが起きないことを祈るしかありません。

実はそれは自分自身の問題でもあるのです。齢80を過ぎ、クラスメートの訃報とともに

“あいつがボケたらしい”という情報も耳に届きます。ボケる前に死ぬのとボケたまま長

生きするのとどちらがいいかと問われれば、躊躇なく前者を選びます。今私にとっての

最大の懸念は、認知症なのです。

 

毎日新聞の記者で現在徳島支局長をされている井上英介という人がいます。

この井上記者が“認知症安楽死”に関する問題を何度も取り上げていますが、その中で

ある精神科医とのやりとりが出てきます。この医師は、医師の中では珍しい安楽死肯定

派のようでこのような記事となっています。

 

“医師は、「長生きはよいことなのか。大半は大病を患うか認知症になる」と長寿を疑

問視し、「自分が認知症になったら殺してくれと家族に言っている」と告白した。”

 

気持ちとしては私もこれと同じです。しかし、それを実行することは到底できません。

現行法の下ではそれは嘱託殺人だからです。そんなことを家族に頼めるわけがありませ

ん。ならばと、殺し屋を雇っても金だけとって逃げられるのが落ちでしょう。

自分が死ぬことを知っている生き物は人間だけだという説がありますが、そんなことは

ないような気もします。間違いなく言えることは、彼らは周りにほとんど迷惑をかけな

いで死んでゆくことです。できることならそうありたいと誰もが思うことですが、なか

なかそうはいかないのが現実です。

井上記者は最初のコラム(2023.5.13)では「安楽死は医学でなく哲学の問題」と書

き、最新の記事(2024.2.2)では、「医学・哲学の前に福祉充実を」と書きました。

最初にあった”スイスやオランダのように安楽死を制度化すべきではないか”という意見

は後退しています。多くの意見を聴取するうちに、慎重に検討すべき課題であると覚っ

たのでしょう。

人はその生涯の始めと終わりを自分で仕切ることは出来ません。自分の意思を働かせら

れるのはその中間だけなのです。

だとすれば、井上記者が言うように「福祉の充実」しかないのかもしれません。

それはカプセルの中で生命維持装置に繋がれ、ロボットの世話を受けるようなものにな

るかもしれません。しかし、そういう選択肢を用意することができれば、多くの悲劇が

回避されるでしょう。

いわゆる植物人間のような姿で生かされる人もまた「無敵の人」なのかもしれません

が、いずれにせよ今の自分としては、「無敵の人」の期間がなるべく短くあって欲しい

と願うのみです。

                          2024.02.10

 

 

犬食禁止法と食文化(J-137)

これまでも、しばしば国際社会から非難されてきた韓国の「犬食」がようやく法律で禁

止されることになった。1月9日、韓国議会は出席議員210人中賛成208、反対0,棄権2

という圧倒的多数で「犬食禁止法」(犬の食用目的の飼育、食肉処理及び流通などの終

息に関する特別法)を可決した。大統領夫人の強い働きかけがあったので「キム・ゴニ

法」とも呼ばれているらしい。大統領が変わるとコロッと変わることもある韓国といえ

ども、流石にこの流れが逆行することはなさそうで、なんだかほっとするニュースであ

る。しかし、これにて一件落着というわけでもない。

 

食文化は、民族の歴史であり、大袈裟に言えばアイデンティティーの一つでもあるの

で、他からとやかく言われる筋合いはない。ヒンドゥー教では牛は破壊神シヴァの乗り

物であることから神聖な動物とされている。だから牛が食べられることはない。しか

し、厳密に言えば、その牛とは乳白色のコブウシであり水牛などは対象外である。

また、インドの人口は世界一であり、ヒンドゥー教以外の人口も2億人以上に上る。

実は、インドは世界一の牛肉輸出国で、牛乳の生産高も世界第二位なのだ。

一方イスラム教徒は豚肉を食べない。こちらの理由はコーランに書かれているからだ

が、その理由が何故なのかはムスリムたちにも分っていない。コーランを疑うことはあ

り得ないので、理由など必要がないのである。俗説では、”不浄“或いは”食べ物が人間と

競合しているため“という理由が挙げられているが、豚肉を使った加工食品もアウトで

あることからすると後者が正しいかもしれない。確かに、飢餓にあえぐ人たちを尻目に

ブタは丸々と太っているという事実がある。

人間は食物連鎖の頂点に立ち、ありとあらゆるものを口にする。それは調理と保存の技

術を持っているからである。その能力が、ありとあらゆる場所に住むことを可能にして

もいる。

長い歴史の中で、自然に或いは宗教などの影響によって、食文化は地域性と民族性を持

つようになり、ある種族のみが食べるものもあれば、逆にある種族だけが食べないもの

もある。クジラを食べることを野蛮とみるか、フォアグラを残酷とみるかは基本的に食

文化の差異に過ぎない。

とは言いながらである。「犬はアカンやろ!」というのが私の気持ちだ。

犬を食べる人とお近づきにはなりたくない。

話を再び韓国にもどそう。

韓国の「犬食禁止特別法」の罰則は3年以下の懲役または3000万ウォン以下の罰金だ

が、実は3年の猶予期間がある。食用として飼育中の犬をどうするかの問題が残されて

いるからである。韓国政府(農林水産食品部)によると、現時点で1100の犬農場で約53

万匹の犬が飼育されているという。これらの犬は、ペットとして飼育された犬ではない

ので、その扱いは簡単ではない。禁止法に反対する犬食関連団体(大韓育犬協会)の会

長は、1匹当たり200万ウォンの支援金と廃業に対する賠償金を要求し、通らなければ

200万匹の犬を野に放つと脅しをかけている。法案成立は“一件落着”どころか、難問処理

のスタートに立ったばかりともいえる。なんとなくではあるが、現在飼育中の犬は猶予

期間中に食べられてしまいそうな気配さえある。

では、犬を食べる食文化が残る韓国には動物愛護の心が薄いのかというと、そんなこと

はない。むしろ先進的である。2014年ごろから韓国では「愛玩動物」という言葉に替え

て「伴侶動物」という言葉が使われるようになり、「動物権」という概念が広がってい

るという。2022年には「動物園及び水族館の管理に関する法律」が改定され、来園者が

動物に対し、触ったり、乗ったり、餌を与えたりすることが禁じられることになった。

動物にストレスや恐怖を与える恐れがあるという理由だ。これによって、イルカショー

などの展示を見ることが出来なくなったという。こうした動きは世界中にあるのだが、

それもまたいかがなものだろうかと思う。イルカショウ―のイルカたちは自身が楽しん

でいるように見えるし、誇らしげにも見える。彼らの素晴らしいパフォーマンスを引き

出したのは紛れもなく調教師であり、それはスポーツ選手とコーチの関係のようでもあ

る。フリスビー犬も同様だ。それらを虐待という言葉で否定することが動物愛護という

のは、ただの原理主義に過ぎないようにも思われる。

 

今私は、子どもの頃に母から諭された言葉を思い出す。

母は、釣ってきた魚を食べない私に“釣った魚は食べてやらないといけないよ、楽しみ

のために生き物を殺すのは良くないことだからね”と言ったのである。母はおそらく、

お寺の住職あたりからこの話を仕入れたのだと思うのだが、それは子供の私にも理解で

きるものであった。

”いただきます“という言葉は、料理を提供してくれた人に対する感謝だけでなく、食材

となった命への感謝でもある。「動物愛護」がエスカレートすると、頬にとまった

「蚊」を叩いても罰を受け、「天下の悪法」とまで言われた5代将軍綱吉の「生類憐み

の令」のようになってしまう。この「令」も、当初は老人や捨て子など弱者を救済する

ためのものであった。それが次第にエスカレートしていったのである。

 

何はともあれ、韓国で犬食が終息することは結構なことだ。しかし、犬を食べる食文化

があるのは韓国だけではない。世界で食用に殺される犬は推定2000~3000万匹とも言わ

れ、最大の消費国は中国である。北朝鮮、フィリピン、ベトナムインドネシア、カン

ボジア、中南米など未だ多くの国で犬食文化が残っており、日本にも2008年、チャイナ

タウンやアジア料理店向けに5トンの犬肉が輸入された記録(業者が大量の頭部などを

川に捨てた事件)がある。

もう過去のことは忘れよう。今は、今回の韓国の例が引き金となって、世界から犬食文

化が根絶されることを願うばかりである。

                          2024.01.21