樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

犬食禁止法と食文化(J-137)

これまでも、しばしば国際社会から非難されてきた韓国の「犬食」がようやく法律で禁

止されることになった。1月9日、韓国議会は出席議員210人中賛成208、反対0,棄権2

という圧倒的多数で「犬食禁止法」(犬の食用目的の飼育、食肉処理及び流通などの終

息に関する特別法)を可決した。大統領夫人の強い働きかけがあったので「キム・ゴニ

法」とも呼ばれているらしい。大統領が変わるとコロッと変わることもある韓国といえ

ども、流石にこの流れが逆行することはなさそうで、なんだかほっとするニュースであ

る。しかし、これにて一件落着というわけでもない。

 

食文化は、民族の歴史であり、大袈裟に言えばアイデンティティーの一つでもあるの

で、他からとやかく言われる筋合いはない。ヒンドゥー教では牛は破壊神シヴァの乗り

物であることから神聖な動物とされている。だから牛が食べられることはない。しか

し、厳密に言えば、その牛とは乳白色のコブウシであり水牛などは対象外である。

また、インドの人口は世界一であり、ヒンドゥー教以外の人口も2億人以上に上る。

実は、インドは世界一の牛肉輸出国で、牛乳の生産高も世界第二位なのだ。

一方イスラム教徒は豚肉を食べない。こちらの理由はコーランに書かれているからだ

が、その理由が何故なのかはムスリムたちにも分っていない。コーランを疑うことはあ

り得ないので、理由など必要がないのである。俗説では、”不浄“或いは”食べ物が人間と

競合しているため“という理由が挙げられているが、豚肉を使った加工食品もアウトで

あることからすると後者が正しいかもしれない。確かに、飢餓にあえぐ人たちを尻目に

ブタは丸々と太っているという事実がある。

人間は食物連鎖の頂点に立ち、ありとあらゆるものを口にする。それは調理と保存の技

術を持っているからである。その能力が、ありとあらゆる場所に住むことを可能にして

もいる。

長い歴史の中で、自然に或いは宗教などの影響によって、食文化は地域性と民族性を持

つようになり、ある種族のみが食べるものもあれば、逆にある種族だけが食べないもの

もある。クジラを食べることを野蛮とみるか、フォアグラを残酷とみるかは基本的に食

文化の差異に過ぎない。

とは言いながらである。「犬はアカンやろ!」というのが私の気持ちだ。

犬を食べる人とお近づきにはなりたくない。

話を再び韓国にもどそう。

韓国の「犬食禁止特別法」の罰則は3年以下の懲役または3000万ウォン以下の罰金だ

が、実は3年の猶予期間がある。食用として飼育中の犬をどうするかの問題が残されて

いるからである。韓国政府(農林水産食品部)によると、現時点で1100の犬農場で約53

万匹の犬が飼育されているという。これらの犬は、ペットとして飼育された犬ではない

ので、その扱いは簡単ではない。禁止法に反対する犬食関連団体(大韓育犬協会)の会

長は、1匹当たり200万ウォンの支援金と廃業に対する賠償金を要求し、通らなければ

200万匹の犬を野に放つと脅しをかけている。法案成立は“一件落着”どころか、難問処理

のスタートに立ったばかりともいえる。なんとなくではあるが、現在飼育中の犬は猶予

期間中に食べられてしまいそうな気配さえある。

では、犬を食べる食文化が残る韓国には動物愛護の心が薄いのかというと、そんなこと

はない。むしろ先進的である。2014年ごろから韓国では「愛玩動物」という言葉に替え

て「伴侶動物」という言葉が使われるようになり、「動物権」という概念が広がってい

るという。2022年には「動物園及び水族館の管理に関する法律」が改定され、来園者が

動物に対し、触ったり、乗ったり、餌を与えたりすることが禁じられることになった。

動物にストレスや恐怖を与える恐れがあるという理由だ。これによって、イルカショー

などの展示を見ることが出来なくなったという。こうした動きは世界中にあるのだが、

それもまたいかがなものだろうかと思う。イルカショウ―のイルカたちは自身が楽しん

でいるように見えるし、誇らしげにも見える。彼らの素晴らしいパフォーマンスを引き

出したのは紛れもなく調教師であり、それはスポーツ選手とコーチの関係のようでもあ

る。フリスビー犬も同様だ。それらを虐待という言葉で否定することが動物愛護という

のは、ただの原理主義に過ぎないようにも思われる。

 

今私は、子どもの頃に母から諭された言葉を思い出す。

母は、釣ってきた魚を食べない私に“釣った魚は食べてやらないといけないよ、楽しみ

のために生き物を殺すのは良くないことだからね”と言ったのである。母はおそらく、

お寺の住職あたりからこの話を仕入れたのだと思うのだが、それは子供の私にも理解で

きるものであった。

”いただきます“という言葉は、料理を提供してくれた人に対する感謝だけでなく、食材

となった命への感謝でもある。「動物愛護」がエスカレートすると、頬にとまった

「蚊」を叩いても罰を受け、「天下の悪法」とまで言われた5代将軍綱吉の「生類憐み

の令」のようになってしまう。この「令」も、当初は老人や捨て子など弱者を救済する

ためのものであった。それが次第にエスカレートしていったのである。

 

何はともあれ、韓国で犬食が終息することは結構なことだ。しかし、犬を食べる食文化

があるのは韓国だけではない。世界で食用に殺される犬は推定2000~3000万匹とも言わ

れ、最大の消費国は中国である。北朝鮮、フィリピン、ベトナムインドネシア、カン

ボジア、中南米など未だ多くの国で犬食文化が残っており、日本にも2008年、チャイナ

タウンやアジア料理店向けに5トンの犬肉が輸入された記録(業者が大量の頭部などを

川に捨てた事件)がある。

もう過去のことは忘れよう。今は、今回の韓国の例が引き金となって、世界から犬食文

化が根絶されることを願うばかりである。

                          2024.01.21