この正月、近くの山に登った。山と言ってもトレッキングコースの途中にある1時間ほ
どで登れる山なのだが、それでも、南には名古屋方面の市街地、北には恵那山や御岳山
が望める眺望の良さもあって人気がある。家族連れも多いが、そのお目当ては頂上のベ
ンチ付近に集まる野鳥たちだ。ヤマガラとソウシチョウが群れを成して寄ってくるので
ある。どちらも手から餌をとるほど人慣れしている。
その日の頂上付近にはヤマガラの姿しかなかったが、下る途中の東屋付近にソウシチョ
ウの姿が見えたので足を止めた。ちょうど数人の若者グループと私と同年配の男性が別
れの挨拶を交わしているところであったが、よく見るとその男性は先ほどの登りでも見
かけた人物であった。
「ここにもソウシチョウが来るんですね」と彼に話しかけると、
「ええ、でもヤマガラが来てるときは遠慮してますけどね。餌やってみます?」
とピーナッツを砕いたものを出してくれた。
貰った餌を掌に載せて差し出すと、さっそくヤマガラが手から餌をとって行く。
ソウシチョウはと見ると、なるほど少し離れて様子をうかがっている。
「しかし、こういうことも人間の余計なお世話なのかもしれませんね」
と、つい余計なこと口走ると、得たりとばかりに彼がこう返してきた。
「今の世の中どう思います?・・実はこれ、私の思いをまとめたものだけど・・・宗教
ではありません」
そう言いながら、彼はA4二枚にびっしり書き込まれた資料を紙袋から取り出した。
どうやらこの御仁、それが目的でここで網を張っているらしい。
帰宅後読んでみると、タイトルは「乗っ取られた宇宙船地球号」となっている。
その内容を要約すれば、“人口爆発を放置している世界のリーダーたちは方向を間違え
ている。一人当たりの自然を増やし争いの元を絶つよう、向きを180度変えなければな
らない”
という主張で、意見交換しましょうと連絡先なども記してある。
そう言えば、2,30年前までは”人口爆発“をどう抑えるかが世界の課題だとしてしばしば
話題になった。世界人口はこの40年で2倍に膨れ上がり、今現在も世界人口時計は1分間
に150人のペースで増加し続けている。
ところが、1月23日に召集された第211通常国会の冒頭、岸田首相が施政方針演説で掲げ
た最重要政策は「次元の異なる少子化対策」である。一方、先の御仁は日本の適正人口
は3000万人程度ではないかという。それは明治維新当時の人口だ。
このギャップ、まさに「どうする日本」とも言うべきテーマなのである。
ここまで書いたところで、“これっていつか書いたような・・・?”と気が付いた。
調べてみると、「日本の少子化と世界の人口」と題して昨年9月に取り上げている。
思うところは、基本的に当時と同じなのだが、なるべく重複を避けながら少々掘り下げ
てみたい。
岸田総理の”異次元“が、これまでにない対策なのかそれとも従来対策のレベルなのか、
あるいはその両方を指すのかは定かでないが、まずは令和2年5月に閣議決定された
「少子化社会対策大綱」の中身を見てみよう。
“未婚化、晩婚化、有配偶出生率の低下を挙げ、その背景には個々人の結婚や子育ての
希望の実現を阻む様々な要因がある”とし、
“「希望出生率1.8の実現に向け、令和の時代にふさわしい環境を整備し、希望する時期
に結婚でき、かつ希望するタイミングで希望する数の子供を持てる社会をつくる”
を基本的な目標として掲げている。
要約すれば、“いろんな原因があるのでいろんな対策をして出生率を1.8まで上げる”
ということになる。
重点課題として挙げているのは次の5項目だ。
- 結婚・子育て世代の将来にわたる展望を描ける環境をつくる
正社員化や働き方改革など
- 多様化する子育て家庭の様々なニーズに応える
児童手当などの経済的支援
- 地域の実情に応じたきめ細かな取り組みを進める
地方創生との連携
- 結婚・妊娠・出産・子育てに暖かい社会をつくる
子育てに優しい環境整備
- 科学技術の成果など新たなリソースを積極的に活用する
ICTやAIの活用
ということなのだが、重点課題というよりは思いつくことすべてを列挙したのではない
かと思うほど網羅的で焦点が定まっていない。
仮に、それらの対策が実を結んだとしても、それが直接少子化の解消につながらないこ
とは現実のデータが示している。第一、この先ずっと出生率1.8では人口は減少を続ける
ばかりである。どこかの時点で人口維持に必要な2.08以上に上げなければならない。
世界の人口事情を眺めてみると、出生率が高いのは例外なく発展途上の国々で、同時に
平均寿命短い。逆に社会福祉が充実している北欧やその他の先進国では、出生率は低く
平均寿命は高い。皮肉なことに、恵まれた環境よりも恵まれない環境にある方の出生率
が高いのである。例えは悪いが、最高に恵まれた環境にある動物園で子供が沢山生まれ
ているわけでもないことに通じる現象だ。
ほぼ例外なしに少子化問題を抱える先進国の中で、1993年の1.66から2020年の1.83まで
合計特殊出生率を回復させたフランスは”成功事例“として取り上げられることも多い
が、その実態は「移民受け入れ」と「婚外子」の増加にある。フランスでは婚外子の割
合が57%に達するというレポートもある。ちなみに日本は2.3%である。
蛇足ながら、ある衛生具メーカーが05年に41か国35万人を対象に実施した調査による
と、年間の性交回数第1位はフランスの137回で、最下位は日本の46回だそうである。
アメリカもフランスに似たようなところがあり、10代の妊娠・出産率が他の先進国に比
して飛びぬけて高い。それらの多くは予定外の妊娠・出産だ。
だから、仏米が少子化の流れを改善したからと言って、「日本も仏・米に倣うべし」
という人はいないだろう。
残念ながら世界を見渡しても、見習うべきモデルは存在しないのである。
ここで日本の人口事情を見てみよう。
日本の人口は室町時代に約800万であったが、江戸期に3,300万程度まで穏やかに増加
し、明治以降急上昇モードに転じて、2004年に12,784万人というピークを迎える。明治
からの136年間で人口は3.8倍まで膨れ上がったわけだが、注目すべきはその前半分は戦
争が繰り返された時代でありながらも一貫して上昇し続けていることだ。若者は知らな
いだろうが、少し前まで日本は人口増に悩んでいたのだ。今は「移民」と言えば
”受け入れ“をイメージするが、かつては”海外移住“を指す言葉であったのである。
人口と豊かさは、大雑把に見ればあたかも反比例しているかに見えるのが実情であり、
そこが対策の難しいところだ。
男女共同参画会議の報告によると、“OECD諸国の女性労働力率と出生率には相関があ
り、女性労働力を高めれば出生率も上向く”とされているが、必ずしもそうではない。
長期的に概観すれば、女性労働力率と出生率の低下は同時に進行している。この二つは
別の問題としてとらえるべきだろう。
もしかすると、我々は大いなる誤解に中にあるのかもしれない。それは女性の社会進出
を「絶対善」とする考え方だ。男女の違いには目を向けず、両性はあらゆる点で公平・
平等でなければならないという一種のイデオロギーである。しかし、肝心なのは“何が
幸福か”なのである。世の中には、多くの専業主婦を望む女性とできればその方がいい
と考える男性がいる。そしてまた、少数かも知れないが、逆の“専業主夫”タイプを望む
男女も存在する。
それらを一律に”古い価値観“として批判するのはいかがなものであろう。
奈良時代の昔から、我が国には「元服」(女子は裳着)という儀式があった。
男女ともに12歳から16歳で成人として認める儀式であり、結婚が許されることでもあっ
た。例えば、織田信長は13歳、徳川家康は14歳で元服している。当時は男女ともに10代
で最初の子を設けるのが普通であったが、今は10歳以上遅くなっている。未婚化・晩婚
化の原因はさまざまであるが、その背景に先ほど述べた”イデオロギー“の影響が少なか
らずある。反撃・非難を恐れて誰も口にしないが、これほど(猫も杓子も)大学に進学
する必要があるのだろうか。それほど、学問を志す若者が多いのだろうか。
私には、現在の大学は“大人になりたくない子供たちの巣窟”のごとくに見える。
これも批判を恐れずに言えば、日本の中で出生率1位の沖縄は大学進学率最下位で、少
し前までは世界屈指の長寿を誇り、「TIME」が”沖縄のライフスタイルに学べ”と言う記
事を書いたほどだった。
昭和の時代、”花嫁修業“という言葉が普通に使われていた。結婚適齢期を迎える女性た
ちは嬉々として料理・生け花、洋裁・茶道などの素養を身に着けようとしたのである。
人が平凡でも人間らしい幸せを求めるとき、「家庭」は極めて重要なファクターとな
る。「家事」と「育児」が”大事“なのである。
またまた批判を恐れずに言えば、その中心的役割を担うのは女性である。
家内が入院した時、一時“専業主夫”経験したことが在るが、家事はなかなか骨が折れる
労働である。次から次へとやらねばならないことが続いて、なかなかまとまった余暇時
間を取ることができない。
ところが家内の様子を観察すると、切れ切れの小さな暇をうまく使って、それなりに自
分の時間作っている。それが、経験からえられたものか、初めから備わっているものな
のかはわからないが一つの才能である。しかしながら、「仕事」と「家庭」となればそ
うはいかないだろう。そのどちらか、たいていは両方が疎かになるのは必定で、畢竟
ストレスの多い生活となる。
勿論上手くいっているケースもある。その一つは夫婦の収入が十分で、ベビーシッター
や家政婦の助けを借りるケースだ。そしてもう一つは、夫婦の親(とくに祖母)の協力
が得られるケースである。昔はいわゆる「おばあちゃん子」がずいぶんいた。今は核家
族化が進んでいるが、二世代同居を促進する施策も少子化対策としてはかなり効果的か
もしれない。そして、それは高齢者対策にもつながっている。
「少子化対策」を考えるとき、“見習うべきモデルはない”と先に述べたが、反面教師的
な存在はある。お隣の韓国である。
1970年から2022年にかけて、日本の合計特殊出生率は2.13⇒1.34へと減少したが、韓
国のそれは、4.53⇒0.84と極めて激しいものであった。しかも、日本は05年の1.25から
やや持ち直しているのに対し、韓国は下がりっぱなしの危機的レベルにある。
韓国の少子化の原因は、「超学歴社会」と「不動産価格の高騰」にあると言われてい
る。一部の大企業に就職できたものしか家庭を持てないという状況が悪循環を引き起こ
しているのである。
日本はそれほどではないが、出生数は減り続け遂に年間80万人を切った。
これは戦時中(1943年)の225万人と比べても1/3ほどでしかない。出生率が少々上がっ
ても出産適齢人口が減っているので、少々出生率を挙げても出生数の増加には結びつか
ないのだ。仮に出生数80万を今後もキープ出来たとすると、将来的には人口7~8000万
の国が出来上がる。そのあたりを日本の目標として政府はプランを示す必要がある。
批判を恐れ、あるいは責任をとるのが嫌だからと具体的なプランを国民に示さないのは
怠慢というより卑怯である。
根拠が薄弱で申し訳ないが、給与面では家族手当、税制面では扶養控除の拡大、行政
組織・機構としては地方分権(道州制でもいい)が効果的ではないかと私的には思う。
しかしその前に、日本人の心が“動物園の動物たち”のようになってきてはいないだろう
かという心配がある。この「魂」の部分については、また稿を改めたい。
2023.02.6