樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

盛る文化・削ぐ文化(Y-38)

はじめにお断わりしておきますが、「盛る文化」も「削ぐ文化」も私の造語なので権威

はありません、悪しからず。

簡単に言うと、「盛る文化」というのは、いわゆる「絢爛豪華」というか“きらびやか”

な文化、「削ぐ文化」は、そのきらびやかさを削り落とした”凛とした清々しさ”を表現

したつもりです。

 

で、何を言おうとしているのか。結論から先に言うと、世界には「盛る文化」と「削ぐ

文化」があり、西洋では「盛る文化」が主流であるのに対し、東洋とくに日本では「削

ぐ文化」が独自の発展を遂げているのではないだろうかということです。

「削ぐ文化」の伝統は日本人の美意識に深く浸透しています。そしてそのことが、外国

人が日本あるいは日本人に接したときの印象・評価に大きく影響してきたのではないで

しょうか。ある時は「称賛」としてまたある時は「違和感」として、時には「侮蔑」の

ケースもあったことでしょう。

 

では「削ぐ文化」とはどういうものを指しているのか、その具体例として、まず国旗と

国歌を取り上げてみることにしましょう。

たとえば万国旗が飾られたようなとき、「日の丸」は、シンプルながらとても存在感が

あります。

赤と白のみで構成された国旗は日本を含め15か国ほどありますが、一目で分かるのは、

スイス、カナダ、ジョージアくらいで、インドネシアポーランドなどは逆さまにすれ

ば同じで見分けがつきません。スイス、カナダはすぐ分かりますが赤地に白抜きなの

で、風にはためいたときはトルコや中国などとも間違えそうです。白地に赤い丸、これ

ほど削ぎ落したデザインは他に見当たりません。(よくぞ・・)と感心するとともに、

他に類似の国旗がないことを不思議にも思います。

また国歌「君が代」もとてもユニークな存在です。

独立戦争や革命期に作られた行進曲調の国歌が多い中では、”異質な”感じもします。

そして、「君が代」はおそらく世界一短い国歌でしょう。演奏時間ならヨルダンやウガ

ンダの国歌も短いようですが、「詩」の短さでは「君が代」が飛びぬけています。

それは31文字の「和歌」という定型詩だからで、これもまた「削ぐ文化」の一つなわけ

ですが、更に削ぎ落した17文字の定型詩「俳句」があります。

和歌や俳句はほとんどの新聞雑誌にそのコーナーがあり、大袈裟かもしれませんが、日

本は「詩人の国」と言えなくもありません。

 

次に、「削ぐ文化」の代表として伝統芸能・工芸などの分野があります。

能・狂言や日本舞踊、あるいは城郭や神社仏閣、庭園、茶道、盆栽、生け花・・等々、

それらに共通する特徴は、“削り落として想像させる凛とした美しさ”です。

全てを詳細に語る素養はありませんので、その中から亡き母が愛した「生け花」につい

て取り上げてみたいと思います。

「生け花」は、室町時代、京都六角堂の僧侶、池坊専慶創始者と言われています。

当時、僧侶の多くが池のほとりに住んでいたのでお坊さんは「池坊」とよばれていたそ

うです。だから仏壇に供える「供花」がその始まりです。その後様々な流派に分かれ、

現在は50ほどの流派があるようですが、「池坊」は最も古く、かつ最大の流派でもあ

ります。

池坊に次ぐのは草月流、小原流でこれが3大流派と呼ばれていますが、明治以降に生ま

れた後の二つは、より自由でどの方向から見ても良く、かつ華やかになっています。

それは、飾られる場所が床の間などからパティ―会場などへ広がったことと、西洋から

「盛る文化」が入ってきたことによるものと考えられます。

母は古典的な「未生流」でしたので、私にも古い流派ならなんとなくその”型“を感じら

れるような気がしています。日本舞踊の決めポーズにも似て、盆栽にも通じるような

何かしらの法則”型”があるのです。逆に、前衛的な作品には違和感を感じます。

 

最後は世界的なブームを呼んでいる「和食」を取り上げたいと思います。

牛肉を何の味付けもせずワサビか塩で出す、そんな店が外国にもあるでしょうか。もし

あれば、お客さんが怒り出すかもしれません。そんなことはないという反論もあるでし

ょうが、それは近年の和食ブームのおかげではないでしょうか。見た目も味もできるだ

け素材を生かそうとするのが日本料理の特徴です。盛り付けた料理にも素材が分かる形

でアレンジされています。ソースではなく出汁で味付けをします。魚も野菜も切れ味に

こだわります。

 

他にも浮世絵の影響を受けていると思われるマンガや、○○模様と呼ばれる伝統的な和

柄や家紋などのデザインも削ぐ文化の流れの中にあると思います。

数え上げればきりがない日本の「削ぐ文化」ですが、よく考えれば、それは近年の世界

的な課題として注目されている「地球環境」や「SDGs」にフィットした文化でもあります。

周りを見渡せば「盛る文化」の方が「削ぐ文化」を圧倒しているようにも見えますが

、私たちには「削ぐ文化」の遺伝子が受け継がれています。

渡辺京二は名著「逝きし世の面影」の中で、“文化は滅びないし、ある民族の特性も滅

びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である”と書いて、長い鎖国

の中で生まれた江戸後期の一つの文明が滅んだことに思いを馳せていますが、たしかに

文化は滅んでいないと思います。

しかも時代は、再びその文化に光を当てることを求めているようにも感じます。

                         2022.1.11