樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

世界の王室(その1)欧州編(Y-44)

ノルウエー

あまり大きなニュースにはなりませんでしたが、11月8日ノルウエー王室がルイーゼ王

女(51)の公務からの離脱を発表しました。

王女は現国王ハーラル5世の長女で、2002年作家のアリ・ベーン氏と結婚し3女を儲けま

したが、16年に離婚、ベーン氏は3年後に自殺しています。王女はその後も王室に在っ

て公務に携わってきましたが、今年6月アメリカの黒人霊媒師デユレク・ベレット氏と

婚約し、物議を醸していました。ベレット氏は、新型コロナの治療に効果があるとする

メダルを販売するなど、代替医療の名目でビジネスを展開しており、これに対する批判

をうけて王室の公務とビジネスを明確に区別するためだとされています。

ノルウエーは、1990年に王位継承順位を男子優先から長子優先に変更していますが、次

の国王までは旧法のままで、弟君のホーコン王太子が継承することになっているので直

接の影響はありません。とはいえ、王位継承権のある王女の公務離脱は、その理由を含

めノルウエー国民に衝撃を与えています。

ついでにと言っては何ですが、ソニア現王妃は洋服商の娘(平民)であり、王太子妃は

何とシングルマザーでその子の父親は薬物所持で有罪というおまけつきですから、お騒

がせは血統なのかもしれません。

ノルウエー王国は872年に誕生し、その後スウェーデンデンマークとの連合王国の時

代を経て、1905年にスウェーデンから分離独立してデンマークの王子を迎え、現在のノ

ルウエー王国に生まれ変わっています。つまり、君主国としての歴史は長いけれども、

現王朝としての歴史はまだ120年足らずでしかも”借り物”だということです。

 

イギリス

ノルウエーのニュースに続き、その翌日にはイギリスで騒ぎが起きました。

就任して間もないチャールズ国王夫妻が、新たに建立されたエリザベス女王銅像の除

幕式のためヨーク大聖堂を訪れた際、23歳の男に数個の生卵を投げつけられるという事

件が発生したのです。

イギリス王室は、日本(126代)デンマーク(54代)に次ぐ41代の歴史を誇る古い王室

です。開祖は、1066年にイギリスを征服して王位に就いたノルマンディー公ウィリアム

で、当時の王室ではフランス語が使用されていました。その後何度も王朝は変わり、国

王が処刑されて(ピューリタン革命)共和制に移行した時代もあります(1649-1660)

だから、1660年を王朝の起点とする考え方もあるようです。

1714年にはスチュアート朝がアン王女で途絶え(17回妊娠するも5人は夭折、死産6回、

流産6回)、ドイツからジョージ1世を迎えてハノーバー朝となります。そのハノーバー

朝も18歳で帝位についたヴィクトリア女王ザクセン・コブルク・ゴーダ公国からアル

バート公を婿に迎えたことでまた王朝が変わることになります。しかし、WW1 でドイ

ツが敵国となったためドイツ風の名を嫌ってウィンザーの名に変えたのが現王朝の始ま

りです。今回即位したチャールズ3世はまだ5代目ということになりますが、実は先代が

女王であったため、その姓は王配エディンバラ公フィリップ殿下の姓と重ねて「マウン

トバッテン・ウィンザー」となるのだそうです。なんとなく目立たないようにしている

ように見えますが、これまでの考え方からすれば、やはり王朝は変わったということに

なるのでしょう。

 

欧州の君主制国家とその王室には溢れるばかりの存在感があり、スキャンダルを含め何

かと話題を提供してくれます。ここに取り上げたのは直近の話題ですが、それ以外の国

の現王室の成り立ちもなかなか興味深いものがあります。

 

スウェーデン

先ずは人口約1000万人(117位)のスウェーデンの王室です。現王朝の始祖ベルナドッ

テは、もとナポレオンの副官から将軍に上り詰めた人物ですが、ナポレオンの強い意向

により跡継ぎの無かったスウェーデン国王の王太子兼摂政に就任します。それから3年

後、スウェーデンプロイセン、ロシアが連合してナポレオンと闘うことになると、ベ

ルナドッテは連合軍を指揮してこれに勝利します。この功績により議会はすんなりとベ

ルナドッテの即位を認めます。彼には既にフランス人の妻と子があり、意地悪な表現を

すれば、平民出身のフランス人一家が、元の主を裏切って敵国スウェーデンの王家を乗

っ取ったということになります。しかし、その後ベルナドッテ王朝に前王家の血筋から

王妃を迎えたことなどもあり、特に波風は立っていないようです。尚、スウェーデン

王位継承順位を男子優先から長子優先に変更したので次期国王は長女のヴィクトリアが

継ぐことになっています。

 

オランダ

次は人口約1700万人のオランダです。

この国はナポレオン戦争後のウィーン会議(1815年)によりベルギーを併合する形で成

立し、ネーデルランド連邦共和国の最後の総督ウィレム5世(オラニエ・ナッサウ家

の子フレデリックが即位しました。現国王アレクサンダー(第7代)は、オランダ王室

116年ぶりの男子で、3代にわたり女王が続いた後の123年ぶりの男性国王です。オラン

ダ王室と日本の皇室とは長い交流がありベアトリクス前女王は日本でもよく知られてい

ますが、ドイツ人外交官であったクラウスとの結婚式には反対デモが押し掛けるという

騒ぎもあったようです。

オランダの王位継承者の結婚には政府と議会の承認が必要ですが、現国王アレクサンダ

ーと次男のヨハンは共に問題を起こしました。アレクサンダー妃マクシマはアルゼンチ

ン人で、その父が軍事独裁政権の閣僚であったからです。しかし父は反対派への拷問や

殺害に直接の関与はなかったとされ、二人の結婚が認められました。一方ヨハンの相手

は、彼女の過去の異性関係(暗殺された麻薬王)などから承認が得られずヨハンは王位

継承権を放棄して結婚しました。なお、久しぶりの男性国王を戴いたオランダですが、

次期はまた女王となる予定です。真偽のほどは分かりませんが、最近そのアマリア王

(18)がマフィアから狙われているという騒ぎが起きているようです。また、彼女が自

伝の中で王位に“乗り気でない”思いを漏らしていることもオランダ国民の頭を悩ませて

いるようです。

 

ベルギー

次は人口約1200万人のベルギーです。

ベルギーは1831年にオランダからの独立を果たして王国となりました。本来なら、共和

国として出発するはずでしたが、共和国になるとフランスの影響力が強くなりすぎてバ

ランスが崩れるとして、イギリス、オーストリア、ロシアから反対され、イギリス王室

に近い貴族(ヴィクトリア女王の王配を出したザクセン・コブルク家)を押し付けられ

た形で王国となりました。第3代のアルベール1世の時代にドイツ風の家名を使わないこ

とに決め、以後は国名を家名とすることに決めました(ベルジック家)。

ベルギーは自国の体制を「国民的君主制」と呼び、君主は「ベルギー国王」ではなく、

「ベルギー人の王」(King of the Belgians)としています。なお、この国も1991年に女

子にも王位継承権を認めましたので、次期国王はエリザベート(21)が女王となる予

定です。

 

スペイン

次いで取り上げるのはイギリスに次ぐ人口4670万人を擁するスペインです。

“スペインは何でも起こるが何も起きない”と言った同国の評論家がいますが、この国の

王朝は目まぐるしく変わり、しかも2度の共和制を挟んでいます。

1939年、第2共和制を終わらせて軍事独裁政権を築いたフランコ総統は、国王不在のま

ま自身を終身摂政としてスペイン王国を名乗り、最後にブルボン朝アルフォンソ13世の

孫ファン・カルロス1世を後継者に指名しました。ファン・カルロス1世はスペインの民

主化を進め国民の人気も高かったのですが、晩年はアフリカでの象狩りや数々のスキャ

ンダルで批判を浴び、現国王フェリペ6世に譲位しました。しかしその後も王室の人気

は回復せず、支持率は50%前後に低迷しているようです。次期国王は長女のレオノー

ル王女が継ぐ予定ですが、彼女がどのような結婚をし、またどのような女王になるかで

局面は変わるのではないでしょうか。何でもありのスペインですから、何が起きるかわ

かりません。

 

デンマーク

最後は日本に次ぐ900年の歴史を誇る国、人口580万人のデンマークです。

国王は世界でただ一人の女王となったマルグレーテ2世で、グリュックブルグ王朝の5代

目です。実はデンマーク国王は男子に限られていたのですが、前国王には男子がなく、

弟君が王位を継ぐ流れになっていました。ところが、マルグレーテは幼いころから国民

の間で大人気であり、弟君の方は逆に不人気であったことから、1953年に憲法を改正

し、13歳の王女マルグレーテを王太子に指名し初の女王が誕生することになりました。

マルグレーテ女王は、モデルのような美形で才能にあふれ、それに気さくな人柄とあっ

て、今も世界から敬愛されており、毎年末のTVを通じた国民に対するスピーチは恒例行

事となっています。

実はつい先日、マルグレーテ女王が4人の孫たちから王子・王女の称号をはく奪すると

発表し話題となっていますが、現王室グリュックスブルグ家はギリシャ、イギリス、ノ

ルウエーなどの国王も輩出した名門中の名門です。

その前はオルデンブルク朝(1448-1863)で、第5代クリスチャンセン3世の3男ハンス

(ヨハン)公はドイツ最北端の湖のほとりに地味ながらも気品のあるお城を立てまし

た。それが今も残るグリュックスブルク城です。グリュックスとは「幸運」の意味で、

やがてそれが家名となりました(デンマーク語ではリュクスボー)。ハンス公は2度の

結婚で23人の子宝に恵まれ、その末裔が1868年クリスチャン9世として現在につながる

グリュックスブルク王朝を開きます。そして、このクリスチャン9世の子供たちが欧州

各国の王室と婚姻関係を結び、王は「ヨーロッパの義父」と言われるまで関係が広がり

ます。「幸運の城」はその名の通り幸運をもたらしたわけです。デンマーク国旗はロー

教皇が十字軍に授けた旗を基にデザインされたもので、いわゆるスカンジナビアクロ

スの先駆けでもあります。

デンマーク社会保障が行き届き、個人の自由度や政府に対する信頼度も高く、国民の

幸せ度ランキングで1位になるなど、世界一幸せな国と言われています。

 

欧州の王室は長い歴史の中でその多くが姻戚関係にあり、複雑に絡み合っています。

そして“国は滅びても王家は残る”とでも言うべき地位を築いています。

しかし現在の王室を観察すれば、これまでに述べたように、それぞれ悩みを抱えていま

す。大きな流れとして、体制としては絶対王制から立憲君主制へ、王位継承順位は男子

優先から長子優先へ、配偶者は王侯貴族から一般人へと言った流れがあり、最近は自ら

王室を離れる王子や王女も珍しくありません。そういった流れの中で、次期国王が女王

となる国がスウェーデン、ベルギー、オランダ、スペインと7か国中4か国に上るのもあ

ながち偶然とは言えないように思います。そして、その王配がどのような出自であるか

はまた王室の存続に微妙な問題を投げかけるかもしれません。

 

欧州にはこの7か国の他にアンドラモナコなど「公国」と呼ばれる小さな国が5か国あ

り君主国としてカウントされることもありますがここでは省略します。

次回はアジアの王室を見てみることにします。

                         2022.11.24