とっくの昔に決着していたと思っていた嫌な事件が、実は終わっていなかったようだ。
その事件とは、2012年(H24)10月に対馬市で起きた、韓国人窃盗団による仏像等
盗難事件である。
盗まれたのは
の3点で、
犯人グループは、翌年の2013年1月、韓国警察によって逮捕され、仏像2体は確保され
たが、大蔵経の方は行方知れずとなっている。
本来なら、盗難文化財は「文化財不法輸出入等禁止条約」に従って、直ちに日本に返還
されるべきなのだが、瑞山市の浮石寺が、「観世音菩薩坐像」は14世紀に倭寇が当寺から略奪していったものなので返還すべきでないと主張し、韓国の主要がこれに同調して話がややこしくなった。さらに、一部の大学教授や瑞山市もこれに加わって、次第に返還反対の世論が形成されいった。それに呼応するかのように2013年2月、大田地裁は
浮石寺の主張を認め、日本側が仏像を正当に取得したということを訴訟で確認するまで日本に返還してはならない」と決定した。
当然のこと、日本側からは大きな反発があり、所有権をめぐる裁判は遅々として進まなかった。(外交問題化したことで、おそらく意図的に遅らせていた)
一方、重文の如来立像については、所有権を主張する者が現れず日本に返還され、犯人
グループは1~4年の実刑判決が下って、刑事裁判は終了した。
それからさらに4年が経過し、2017年1月26日、大田地裁は「所有権は浮石寺にあり、
正常ではない過程で観音寺に移された」として、韓国政府に対し、仏像の浮石寺への
引き渡しを命じた。
世界も驚くこの判決に、さすがの韓国政府もこれを不服として大田高裁に控訴した。
恐るべき判決である。米欧の博物館には略奪した文化財がごまんと陳列されている。
それらは、文化財不法輸出入等禁止条約がなかった時代の文化財だ。大田地裁の判決
がまかり通れば、世界は大混乱してしまうだろう。この時の政権は朴槿恵政権の末期
だったが、さすがに「はいそうですか」とは言えなかったようだ。
それからまた更に4年が経過し、次の文政権も末期に差し掛かっての今年12月、被害者
である対馬の観音寺へ韓国政府から裁判への参加を促す文書が届けられたことが分かった。観音寺側は参加の意向であるという。
この期に及んで、観音寺に裁判への参加を促す韓国政府の狙いは何だろうか。
コロナ騒ぎでどうせ来れまいと踏んでの作戦だろうか、それとも返還を餌に
冷え込んだ日韓関係を修復させる意図があるのだろうか。
裁判の行方が気になるところだが、まさか地裁のとおりにはならないだろう。
浮石寺側は“根拠を示す資料は思いだすのが悲しいので捨てた”と言っているくらい
だから、略奪を証明できる資料はないとみてよい。
倭寇か秀吉軍が略奪したものが対馬にあるのも不自然だし、略奪した仏像を本尊に
祀るというセンスは、日本人にはないようにも思う。
日本側の主張は、李氏朝鮮時代の仏教弾圧から守るために持ち込まれたというもので、
かなり信ぴょう性が高い。
李朝における仏教弾圧はすさまじいもので、前王朝(高麗)が倒れた時1万以上あった
お寺は3代目太宗の時は242まで減少し、4代目世宗の時には禅・教の2宗18寺院だけ
を残してあとは廃されたという。11代目の中宗(1506~44)の時代には全国の仏像が
没収され溶かされて武器や貨幣の製造に当てられたという。この時代なら、仏像が対馬に逃れてきたという筋書きは十分ありうる。
漢字を捨てて古文書を読める人が少なくなったという韓国でも、全くいないわけでは
ないはずで、昔のことを調べれば調べるほど観音寺側(日本)が有利になるような気が
するのだが、さてこの裁判どうなるのか、できればすっきりと決着してほしいものだ。
2020.12.22