樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

歴史問題の肝所(Y-43)

いわゆる「歴史問題」は、話題になる度に私たちを重苦しい気分にさせてきました。

テーマとしては、慰安婦靖国、徴用工、教科書などが挙げられますが、これらはいず

れも似たような経緯をたどっています。代表的なパターンを示すとすれば、

朝日新聞をはじめとするいわゆる反日メディアが火をつけ)⇒(中・韓がこれを外交

カード或いは愛国主義教育として、時には内政問題のガス抜きとして利用し)⇒(中・

韓国民の反日運動に発展し)⇒(日本政府が泣く子を宥めるような宥和政策を講じて、

いったんは沈静化するが)⇒(政治家などが誤解を生む発言をしたりして)⇒(これを

反日メディアがことさら大きく取り上げ)⇒(再び炎上する)、といった堂々巡りを繰

り返しているように思われます。

つまり、それらの多くは日本発であり、日本と中・韓の双方に存在するむしろ円満な決

着を望んでいない勢力の共同作戦に踊らされているような印象が拭えないのです。それ

が重苦しさの原因です。謝罪は相手が許してくれるまで続けなければならないという考

えと同様に軽々な謝罪も誠意を疑われ逆効果を生んでいます。

この状態から抜け出すためには、相手の言い分を聞くことではなく、私たち自身が“肝

所”を抑え、口では”友好”と言いながら実は対立関係の持続を望んでいる勢力につけこま

れるスキを与えないことが肝要です。青少年教育や教科書などにおいても、そこが強調

されなければならないと思います。

その肝所はどこなのか、以下私見を述べてみたいと思います。

 

慰安婦問題の肝

慰安婦問題の肝は、日本人と韓国人が“日本国民”として平等であったが故に起きたとい

うことではないでしょうか。初めに、ある人物の次のコメントを読んでみてください。

“(当時)朝鮮の女性は日本国民であった。さらに日本軍慰安所は、占領地女性に対す

戦争犯罪防止のために設置運用された合法的な売春空間であり、慰安婦慰安所の経

営者と契約を結んだ後、身分証明書の発給を受けて出国しており、現地に到着してから

は、領事館・警察に各種書類を提出して営業許可を得て金を稼いだ職業女性たちだった“

これは、“なぜ韓国人である私たちが「慰安婦少女像」撤去運動を行うか”という題で週

刊新潮11月3日号に発表した金柄憲(国史教科書研究所長)の手記の一部です。

当時、売春は”合法“であり、日本人慰安婦も同様に処遇されました。金柄憲氏は”慰安婦

の本質は貧困であり、恥ずかしくも悲しい私たちの自画像である“と述べていますが、

彼女たちの多くは一家を支える稼ぎ頭というべき存在でした。勿論、例外的には悲惨な

ケースがあったかもしれませんが、中には日本人と結婚した慰安婦も存在し、その実態

は”性奴隷“とは程遠いものであったはずです。

この手記に対してどういう反響があるのか、私としては大いなる関心を持ってアンテナ

を張っていたのですが、日韓双方の大手メディアは共に”無視“をきめこんでいます。

日本のメディアは、おそらく週刊新潮のスクープが気に入らないのでしょう。

韓国メディアの静寂は、慰安婦問題が”旬”の話題ではないことを意味しています。つま

り、慰安婦運動が下火になっていることを示しているのかもしれません。

いずれにせよ、正義連(旧挺対協)をはじめとする”慰安婦ビジネス“と、その勢力に利

用されている未だ和解に応じない少数の元慰安婦たちは、”名誉回復“といいながら逆に

和解に応じた多くの元慰安婦たちの名誉を傷つけてきました。

慰安婦支援団体や政治家などの不祥事が明らかになり、所詮、慰安婦問題は彼らの

慰安婦ビジネス“であったという疑いが濃厚になった今、「日本軍性奴隷制問題解決の

ための正義記憶連帯」などというおどろおどろしい名称もそう長くは続けられないでし

ょう。しかし、韓国内に150体、世界に34体も設置された少女像が撤去されるにはどれ

ほどの時が必要だろうかと思えば、また気が重くなってしまいます。

 

徴用工問題の肝

徴用工問題の肝は、「日韓請求権協定」に従うということに尽きると考えます。

日韓請求権協定(1965)の第1条は、経済協力(無償供与及び低利貸し付け)について

の超具体的な取り決めです。これにより日本は5億ドル(無償3億、有償2億)及び民間

融資3億ドルの経済支援を約束し完全に履行しました。それは韓国の国家予算(3.5億ド

ル程度)を大きく上回る大変な額で、個人に対する補償も含まれていましたが、韓国政

府はすべてを経済発展に投入し”漢江の奇跡”を成し遂げました。第2条では、これによっ

て“両国は請求問題が完全かつ最終的に解決され、いかなる主張もすることができない

ことを確認”したとし、そして第3条では、“両国はこの協定に関する紛争は外交で解決

し、解決しない場合は仲裁委員会の決定に服する”と約束しているわけです。

だから、元徴用工らが未払い賃金などの支払いを求めた訴訟は当然棄却されましたが、

次には手を変え、虐待を受けたとしてその”慰謝料“を雇い主の企業に求め、なんと最高

裁にあたる大法院がこれを認めてしまったのです。つまり両国の関係は、第3条適用の

段階に入ったわけです。仲裁委員会に預けるということです。韓国側が何を言ってきて

も「取り決めの通り、仲裁委員会に預けましょう」というのが筋なのです。それ以外の

妥協は必ず禍根を残すでしょう。もし仲裁委員会が日本側の主張を認めなかったとして

も、それは致し方ありません。

このところ両国に歩み寄りの気配が漂っていますが、ともに支持率が低迷する政府が功

を焦って、おかしな妥協策を講じはしないかと少々心配になるところです。

コロコロと証言や判断を変える相手に対抗するには、変更できないものをベースにしな

ければなりません。だから、巨額の経済支援の根拠となった否定しようのない日韓請求

権協定に基づくしか道がないと考えます。

 

靖国問題の肝

GHQは、1946.2に旧軍人軍属への恩給を廃止しましたが、靖国神社の存廃に関しては

散々迷った挙句1951に存続を認める決定を下しました。この決定には二人の神父の進言

が少なからず影響したと言われていますが、靖国問題の肝はこの神父の言葉に示されて

いると思います。それは、

戦死者に敬意を払うのは国民の権利であり義務である”という世界の“常識”です。

戦死した軍人軍属の合祀は1946年から始まり、56年には敗戦時に自決した者540柱、59

年にはB,C級戦犯78年にはA級戦犯も合祀されました。戦争が終わった後に、報復まがい

の理不尽な裁判によって死刑とされた人たちは国内で59名、国外では1000人を超える数

に上ります。朝鮮戦争の勃発により対日政策が変わり、それ以降の刑の執行は中止され

ましたが、日本はそれほどまでの命による償いをしてようやく主権を回復しました。

そして、52年サンフランシスコ講和条約が公布されてから1年後の53年には、元戦犯を

含めて恩給や遺族への扶助を復活させ、これによって実質的に戦犯の名誉は回復されま

した。80年には、教皇ヨハネ・パウロ2世によって、戦犯として処刑された人々へのミ

サが行われ、天皇陛下や首相の靖国参拝にもこれと言ったクレームのない状態が続きま

した。ところが、1985年朝日新聞が中曽根首相の公式参拝を取り上げ、“中国が厳しい

視線で注視している”という記事を書きました。そう言われて中国もこれは外交カード

として使えると判断したのでしょう、“アジア各国人民の感情を傷つける”とはじめて意

義を表明したわけです。これが発端です。

戦争犯罪は双方にあります。人道的に見れば正しい戦争などありえません。しかし、同

じ行為でも勝てば英雄、負ければ戦犯となるのが常といえます。戦後の軍事裁判は、ほ

ぼ全面的に勝った側の理屈です。百歩譲って、負けた側だけに罪があるとしても、その

世代は十分に罪を償って生涯を終えるわけで、その子らが罪を受け継ぐ必要はないし、

継がせてはならないのです。

 

教科書問題の肝

教科書問題の肝は単純である。

明らかな内政干渉であり断固として拒否せよ”ということにつきる。

それができないのなら、もはや独立国家とは言えない。

                         2022.11.08