樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

皇統について思うこと(その2)(Y-26)

男系の男子とは

皇室典範の第1条には、

皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する”

と定められている。

男系の男子と明記されたのは明治22年の旧典範からであるが、皇室典範など

なかった古代から男系は一貫して守られてきた。奈良期、江戸期にあった

810代の女性天皇もすべて男系である。

これをして、“このような女性差別はもはや許しがたい”と声を上げる人たち

もいる。しかし、それはむしろ逆なのである。

女性は妃になることによって、誰でも皇族になれたが、男性はなれなかった

というのが実態だ。もしそれが可能であったならば、足利天皇や徳川天皇など

が生まれ王朝の交代劇が何度も繰り返された可能性がじゅうぶんにあり、この、

いわゆる万世一系天皇システム、言い換えれば男性排除のシステムが、国の

存続に果たした役割は想像以上に大きいと断言できよう。

さて、もう一度皇室典範に戻ってみよう。

まず、「皇統」とは何か。辞書には「天皇の血筋」と書かれている。

では、血筋とは何か・・・・それは血のつながりだという。

そんな説明では、少なくとも理系は満足しない。

遺伝などの専門知識が格段に進歩した現代なら、血筋とはゲノム即ち遺伝情報

のつながりと書かれていてもよさそうだが、そんな辞書はまだ見たことがない。

 

遺伝情報を伝達するのは染色体と呼ばれる生体物質で、そこにDNAが収納されて

いる。人には22対の常染色体と1対の性染色体(女性はXX、男性はXY)がある。

生殖細胞は体細胞と異なり減数分裂をし、対になっていた片側半分の染色体を

もつ細胞がつくられる。つまり、卵子は22の常染色体と1本のX染色体をもち、

精子22の常染色体とXまたはY染色体をもつ2種となる。

この二つが合体して受精卵が生まれ、その組み合わせによって人の個性が生じる。

個性はその後の環境にも影響されるが、男女の性別を決定するのはあくまでも

Y染色体なので、男系はどこまでも繋がってゆく。つまり、その父、その父と

父親を辿って共通の父に行き当たるなら、枝分かれをしていてもそれは男系で

ある。だから男系の女性は存在するが、その女性が別のY染色体を持つ男性との

間に設けた子供の系統は別の男系となる。

ただ、これまであまり変異しないと考えられてきたY染色体も、最近の研究では、

いろんな理由で、比較的頻繁に変異することが分かってきた・・・らしい。

なにせ、ヒトとチンパンジーでは98.77%のゲノムが一致し、ヒトとヒトでは

99%のゲノムが一致するというのだから、男系だろうが女系だろうが、見方に

よっては大差はないと言えなくもない。

では何故男系にこだわるのかと言えば、ずっとそうしてきたからである。

 

歴史上は、一時期天皇に数えられた神功皇后を除き、これまでに810代の女性

天皇が存在する。勿論すべて男系である。

その半数は皇后もしくは皇太子妃であり、配偶者が死亡したのちに即位した。

あとの4方は未婚ということで、すべての女性天皇が、その在位中においては

配偶者を持たなかった。その点、他の王国・君主国と大きく異なっている。

時の権力者、曽我氏や藤原氏、そして徳川氏も外戚になろうとはしたが、自己

Y染色体を侵入させることは出来なかったし、おそらくその意図もなかった

に違いない。

いずれにせよ、遺伝学などなかった時代から男系にこだわり続け、これまで

特定のY染色体をつなげてきたことは奇跡的なことで、それだけで世界遺産

よりも重みがあるといっても過言ではあるまいと思う。

 

3回あった皇統の危機

これまでの126代にわたる皇位継承はすべて男系であり、3例を除けば4親等以内

つまり天皇のひ孫以内の近親者に継承されてきた。

しかし次の3例は、近親者の中に継承者が存在せず、まさに皇統の危機であった。

いちばん古いのは25武烈天皇の後継である。

悪名高き武烈天皇には皇子がなく、後継者未定のまま亡くなった。しばらくの

空位の後、白羽の矢が当てられたのは、15応神天皇5世孫(玄孫の子)継体

天皇である。

天皇諡号は、天智天皇の玄孫にあたる文章博士淡海三船が勅命により、初代

神武天皇から44元正天皇までを一括して選定したと言われているが、継体天皇

には、いかにもそれらしい諡号が贈られている。

次に訪れた危機は、約900年後の室町時代、第101称光天皇の後継である。

この時は、北朝3代の崇光天皇から派生した伏見宮家から後花園天皇が即位した。

称光天皇からは8親等のいわば遠縁だが、男系男子は守られた。

最後の例は江戸時代後期である。第118代後桃園天皇は生まれたばかりの欣子

内親王を残して22歳の若さで亡くなった。この時は、有資格者は数名いたのだが、

いずれも高齢であった。そこで先例に倣い宮家からということになり閑院宮典仁

親王の第6王子、8歳の祐宮が選ばれ119光格天皇となった。

そして光格天皇は、のちに欣子内親王を皇后とした。

閑院宮家は新井白石の進言により、第113東山天皇から派生した新しい宮家で

あり、この新宮家が高騰の危機を救うことになった。

 

これからがこれまでを決める

色々考えてみると、女性/女系天皇賛成論にもそれなりの理由があるにせよ、そう

簡単に進路変更するわけにもいかないことが分かってくる。とくに女系については、

小泉政権のころに容認論に傾いた人たちの中でも抵抗感が生まれているように思う。

超具体的に言うならば、M内親王KK氏の婚姻が成り、仮に宮家となった場合、

KK氏個人に対し、あるいはお二人の子供に対し、これまで同様の敬意をもって接す

ることができるかどうかの問題だ。

日本以外の王・君主には姓がある。しかし天皇家には姓がない。

女系を認めた場合、その配偶者には姓がある。やはり王朝は変わったと見なされる

のではなかろうか。

 

現状からすれば、男系維持の命運はすべて悠仁親王のご一身にかかっている。

しかし、仮に将来、幸いにも悠仁親王が複数の男子に恵まれたとしても、それで

皇統の危機が解消するわけではない。

やはり、もしもの備えとして、旧宮家の皇族復帰を考える必要がありはしない

だろうか。

可能性はある。旧宮家で最も新しい東久邇宮家は、崇光天皇からは19代を数える

男系を維持しており、しかも母方には明治天皇昭和天皇DNAが受け継がれて

いる。

要は、“これからがこれまでを決める”のである。

もし安易に女系を認めれば、これまでの先人たちの並々ならぬ努力と思いを

あっさり捨て去ることになる。、もとには戻しようがないのだ。

女系天皇容認は最後の最後に遺された手段であり、その道は急ぐ必要のない、

というより急いではならない道のように見える。

                         202011.30