前回の欧州編に続き、アジアの王室を見てみましょう。
アジアの君主国は、日本、タイ、カンボジア、ブータン、ブルネイ、マレーシアの6ヵ
国ですが、やはりそれぞれに悩みを抱えています。
先ずはホットなところでマレーシアから・・・。
マレーシア
マレーシアは日本と同じく立憲君主制ですが、国王は世襲ではなく、13州のうちの9州
のスルタン(首長)と4州の知事で構成される「統治者会議」によって互選されます。
実態は9年毎にめぐってくる輪番制で5年任期なので、厳密な意味での君主国ではないか
もしれません。スルタンは男系世襲のようですが詳細については情報がありません。
政治の実権は首相が握っていて、実はこのほど(11.19)総選挙が行われましたが、与党
が大敗を喫し、いずれの党も単独過半数を取ることができませんでした。したがって連
立政権をつくる必要が生じたわけですが、お互いにいがみ合ってまとまらず、ついに
アブドラ国王の登場となり、ようやく最多議席を獲得した「希望連盟」のアンワル氏が
首相となりました。
しかしながら、アンワル氏は汚職と同性愛行為で投獄された経歴もあり、今後の政権運
営を不安視する声も少なくありません。
マレーシアは先の大戦では一時日本の統治下におかれたこともあり、最も”迷惑をかけ
た“地域の一つですが、今は国民の80%以上が日本に好意を持つ最大の親日国でもあり
ます。
それには、1981年から22年間も首相を務めたマハティール氏が、”もし日本がなかった
らマレーシアのような国は植民地のままであったろう“と発言するなど、大の日本贔屓
であったことが影響していると思われます。マハティール氏は2018年、92歳にして再び
首相の座に返り咲きますが2年後に辞任し政界を引退しました。ところが、97歳にして
今回の選挙にまたも立候補し、そして落選しました。
マハティール氏の落選と長く政権を維持してきた与党の大敗が、マレーシアの今後にど
のような変化をもたらすのか、仮に現在の非同盟中立政策が崩れて中国の手に落ちれば
マラッカ海峡から南シナ海に至る重要な海域の自由が奪われる恐れもあり、大変気にな
るところですが、大手メディアはどこも関心を示していないような感じです。
今回の混乱収拾に国王が果たした役割は、立憲君主・議会制民主主義の体制からすれば
極めて異例のことのように思われますが、国王の存在感は格段に増したに違いありません。
2020年10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」において、一人の軍服姿の美青年が注目
を集め、”あの人は誰?“と話題になったことが在りました。やがてその人物が、ブルネ
イ29代ボルキア国王とともに来日したアブドゥル・マティーン王子(29)であること
が分かると、地図上のブルネイを確かめた人も多かったのではないでしょうか。
実はマティーン王子は、米誌「People」の人気企画「最もセクシーな男性」のロイヤル
メンバー部門においてアジア人唯一のランキング入りをした、知る人ぞ知る有名人だそ
うで、陸軍少尉にしてヘリコプターパイロット、スポーツ万能でペットは何とホワイト
タイガー、彼のインスタグラムのフォロワー数は234万人というのですから、いわゆる
インフルエンサーと呼ぶべき存在です。但し彼は第4王子なので、王位継承順位は第3
位(異母兄の一人が死亡)です。体型も風貌も日本人的な感じを受けますが、それは母
(第2王妃)に日本人の血が入っているからだそうです。
ブルネイは、面積は三重県ほど、人口約46万人の小さな国で、カリマンタン島の北部マ
レーシア領の中にあります。ブルネイ王朝は1363年から続いていますが、1961年成立の
マレーシア連邦に加わらずイギリスの保護国となることを選択し、1984年に独立を果た
しました。
豊富な地下資源の輸出先は主に日本で、日本との関係は良好です。
国家としての体制は「立憲君主国」ではありますが、国王は首相、外務大臣、国防大臣
を兼務していますので、実態としては独裁だろうと思います。しかし、国は豊かで、社
会保障も充実しており、国民の不満はないようです。この王室も当分安泰かと思われま
すが、懸念されるのは資源の枯渇と中国とマレーシアの関係でしょうか。
今年の9月22日、外務省は大臣談話として“クメール・ルージュ(KR)裁判の終結を発表
しました。この裁判は国連とカンボジア政府が協力して1970年代のKR(ポルポト政権)
が犯した人道に対する罪を裁くために2006年に設置された混合法廷で、日本はこの裁判
の支援において主導的な役割を果たし、それがようやく決着したという報告です。
私がそのことを知ったのはSNSなので、新聞・TVの報道は記憶にありません。
思えば、自衛隊がPKOとして初めて海外派遣されたのがカンボジアでした。当時大反対
をしていた大手メディアには、何か言うべきことがありそうなものですが・・・・。
カンボジアは、人口の90%が同一民族で、立憲君主の二院制、農耕民族で仏教国、日本
とよく似ているので平穏な国だろうと思いたくなりますが、実態はその逆です。
クメール人の特性なのか、それとも地政学的な宿命なのか、いずれにせよ気の毒なのは
国民です。歴史を少し遡ってみましょう。
・1970 反中・親米のロンノル派がシハヌーク王制を打倒しクメール共和国になるが、 親中共産主義のクメール・ルージュとの内戦に発展
・1975 KRが勝利しポルポト政権が誕生、国名を民主カンプチアとし、大量の自国民を 虐殺する
・1979 ベトナム軍が侵攻しKRは敗走し親ベトナムのヘン・サムリン政権によるカンプチア人民共和国樹立されるが、反政府3派連合【KR、シハヌーク(王党)、ソン・サン(共和)】との内戦が起きる
・1991 パリ和平協定、1992日本がPKO 派遣
・1993 UNTAC監視下で選挙が行われ王党派が勝利、シハヌークを初代国王とする立憲 君主制のカンボジア王国となる
・1998 第2回国民議会選挙が行われフン・センが首相となる。(以降今日まで親中の
フン・セン独裁が続いている)
・2004 シハヌークが引退し、実子のノロドム・シハモニが第2代国王となる
・2013年の国民議会選挙、2017年の地方選挙で野党救国党が躍進するが、その後党首は
国家反逆罪で拘留され、同党は解散、幹部118名が5年間の政治活動禁止とされた。
そして、2018年の選挙では与党人民党が全125席を独占した。
ざっと見れば以上の通りで、現在の安定がいつまでもつのか心配なところです。
国王は、王室評議会9名(首相、両院議長、両院副議長各2名、仏教宗派2つ)による秘
密投票で選出されるので、マレーシア同様厳密な意味での君主とは言えないかもしれま
せん。
ブータンはネパールの東に位置する人口77万人の小さな国ですが、日本人にはよく知ら
れた国です。1907年に東部の豪族ウゲン・ワンチュクがラマ僧や国民に押されて初代国
王になり現在は5代目となります。第4代国王が自ら主導して国王親政から議会制民主主
義を基本とする立憲君主制に移行し、第5代に引き継ぎました。
ブータンは非同盟中立政策をとり、国連安保常任理事国のいずれとも外交関係を結んで
いませんが、昭和天皇崩御に際しては国ぐるみで1か月の喪に服すほどの親日国で皇室
ブータンの自然や気候は日本と似ているそうですが、1960年代からブータンで農業の改
善に尽くし、1992年この地で没すると外国人初の国葬で葬られ「ブータン農業の父」と
呼ばれている西岡京治という日本人がいます。
国王は国民から敬愛され王室としての悩みはなさそうですが、国としての最大の悩み
は、おそらく言語の問題であろうと思います。ゾンカ語が公用語とされていますが、こ
の言語では専門的な用語が表現できないのです。したがって政府の公式文書は英語であ
り、高度な学問や技術を自国語で学ぶことができません。
もう一つは、中国が時々越境行為をしてくることですが、これはインドの保護国的な関
係のブータンにちょっかいを出してインドの反応を見ているのかもしれません。
タイ
タイは東南アジアの中で唯一植民地にならなかったある意味誇りある君主国です。
しかし1932年の立憲革命以降、12度のクーデターと13度のクーデター失敗を繰り返して
きた政情不安定な国でもあります。この間憲法は18回も変わりました。2000年以降で見
ても、2001タクシン政権の成立、2006クーデターによりタクシン亡命、2011タクシン
の妹インラック政権成立、2014クーデターと目まぐるしく政変が起きています。それで
も観光地としての人気を保ち続けてきたのは、そこに安定した王室があり、混乱時には
いつも国王が沈静化に大きな役割を果たしてきたからではないでしょうか。
その”微笑みの国“が今大きく揺れています。そして、その震源地を探れば安定の要であ
るはずの現国王ラーマ10世(ワチラロンコン)に行き当たるのです。
ラーマ10世は、国民から崇敬された前国王ラーマ9世(プミポン)の唯一の王子で、父
王の崩御により、2016年王位を継承しましたが、若いころから王子にあるまじき奇行が
しばしば問題になっていました。そして、国民が抱いていた懸念は現実となってしまい
ました。
彼はこれまで3回離婚しています。最初の妃は母シリキット王妃の姪で1女がありま
す。2度目は元女優で4男1女を儲けましたが親子ともども国外追放され、王位継承権も
はく奪されています。3度目は元ナイトクラブのダンサー(ストリッパー?)で、愛犬
の誕生日を祝うパーティーにTバックのパンティー一枚きりで登場したという情報があ
ります。まさかと思いましたが、証拠の動画をネット上で見ることができます。しかし
この王妃も王位継承権のある王子を残して離婚させられました。4度目の結婚相手は、
元タイ航空の客室乗務員から陸軍に入隊、2014年から王室警護部隊の副司令官となりわ
ずか6年で陸軍大将に昇格した人物で、2019年5月の戴冠式を前に結婚したスティダー現
王妃です。ところが7月にはシニーナートという陸軍の看護師に「高貴な配偶者」とい
う称号を与え、100年近くなかった側室に迎えました。彼女は3か月後に称号をはく奪さ
れ一旦姿を消しましたが、2020年8月に元に復帰しその後公務(?)に大活躍で王妃の
ライバル的存在になっています。
これまでのいきさつを眺めてみると、2014年のクーデターの後首相に就任したプラユッ
ト元陸軍司令官の関与が強く疑われます。
野党は、プラユット首相が今年で憲法に定める首相任期制限8年に達したとして提訴し
ましたが、最高裁はその起点を現憲法が発効した2017年とすべきであるという判決を下
したので、彼の任期は2025年までということになりました。
新国王は、2017年の新憲法草案に修正を加えることを要求し、国王は摂政を置くことな
しに外遊できるとしてドイツの別荘で暮らすことが多く、真偽のほどは分かりません
が、女官(愛人)20人と側近数百人を連れドイツの高級ホテルに“新型コロナ避難”をし
たという情報もどうやら事実のようです。
さすがにタイ国民も我慢できず、2020年あたりから政権批判に加えて王室改革を要求す
るデモなどが頻発するようになり、国王も帰国して王室行事や新型コロナに苦しむ国民
を励ます姿をアピールしましたが、まもなくドイツの別荘に戻ってしまいました。
一連の経緯は、王室とプラユット政権の強い結びつきを明白に示しています。
あからさまに言えば、プラユット政権は新国王を担ぎやすい”神輿“に仕立て、政権批判
が王室に向かうように誘導し、「不敬罪」を最大に適用して反対派を封じ込める策をと
っているようにさえ見えるのです。
プラユット首相が、ロシアや中国に倣って権力の集中と任期の延長を企図しているとす
れば、国民の不満はますます膨らんでゆくでしょう。その政権に王室がぺったりのまま
次の政変が起きたならば、それは王室をも危機に陥れるかもしれません。
勿論、その前にラーマ10世の退位が早められることも十分考えられます。
日本
最後に控えているのは日本の皇室ですが、実はこのブログで「皇統について思うこと」
(1)(2)として2020年11月に早々に取り上げています。今回の「世界の王室」は、
いわばその補足版で、いかに日本の皇室が貴重な存在であるかを言うための付録のよう
なものです。
世界の君主国は、欧州・アジアの他にも中東に7国(UAEを各首長国に分割すれば13),
アフリカに3国、それに英国王を君主とする国の15か国や都市国家を加え、さらに連邦
国家を分割して最大にカウントすれば合計52か国に上ります。今現在存在感を示してい
るのは、中東のアラブ諸国ですが、これらの国の経済は石油・天然ガス資源と外国人労
働者で支えられています。しかしそれがいつまで続くのでしょうか。2010年~2012年に
かけてアラブ世界に吹き荒れた大規模な反政府デモ、いわゆるアラブの春は大量の避難
民と過激派組織を残して”尻切れトンボ“に終わりましたが、火種は残っていいます。
1952年、エジプト革命で王位を追われたファルーク国王はこの時、“何年か後には王と
いう存在は世界に5人しか残っていないだろう、トランプのキング4人とイギリス女王
だ”という言葉を残して、“嬉々として”フランスに亡命したと伝えられています。莫大な
資産を持つアラブの王家も、「一旦緩急あらば資産抱えて国脱出」を考えているかもし
れません。
これまで述べてきたように、世界の国王の多くは「王」から「立憲君主」となり、為政
者に権力・権限を付与する“権威”としての役割を持つ存在へと変化しています。
端的に言えば、”象徴的存在“への変化であり、日本の天皇は最も古くて最も新しい君主
と言えるのではないでしょうか。
最後が言葉足らずのような感じになりましたが、それはサッカーの日本代表チームの
初のベスト8入りをかけたクロアチア戦が間もなく始まるからです。悪しからず。
2022.12.05