樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

国葬について考えてみた(J-121)

まさか“検討士”の汚名を雪がんとした訳でもあるまいが、岸田総理にしては珍しい即断

即決が、自ら泥沼に足を踏み入れたような事態を招いている。

他でもない、安倍元総理の国葬問題である。

それも、総理が決意発表した直後は賛成派が多かったのに、今や反対派が圧倒的多数になっているのだ。

この変化をもたらした背景には、議論の中心が国葬の是非から政府与党と旧統一教会

の関係、言い換えれば安倍元総理が国葬に値するかどうかに移行してきたからである。

その方向に誘導してきたのはメディアと野党の協同作戦だと言ってもいいだろう。

で、おまえはどっちだ?と聞かれれば、私は”賛成“と答える。

その理由は、“今更中止は出来ない”というその一点にある。

案内状をちらつかせながら“国会を無視した決め方に反対だから欠席する”と、ここぞと

ばかりにアピールする野党議員もいるが、今更どうしろというのか。

今の日本の状況を外国側から観察すれば、“日本人を洗脳するのはさほど難しくない”と

侮られるかもしれない。本当は、日本人は“染まる”のではなく、少し味付けをして“吸収

する”という本能があるので、そうたやすくは洗脳されないのだが、そういうイメージ

を持たれることがまずいのである。何かとちょっかいを出される遠因になるからだ。

総理が世界に約束したからには、もはや他の選択肢はないではないか。

とは言え、今後もこのままでいいとは思われない。

何が問題なのか、とりあえずここまでの経緯を振り返ってみよう。

 

安倍元総理が非業の最期を遂げたのは7月8日であった。事件は衝撃とともにまたたくま

に伝播し、その死を悼む声が世界に充満した。自民党本部は献花に訪れる市民であふれ

かえり、アメリカではホワイトハウスに半旗が掲げられ、オーストラリアでは公共施設

が日の丸を模した赤と白でライトアップされた。

そのような雰囲気の中で、岸田総理は7.14の記者会見で安倍総理の功績について語ると

ともに、次のごとく国葬を行う決意を述べた。

“安倍元総理は外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており、また民主主

義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内

外から幅広い哀悼・追悼の意が寄せられている。こうした点を勘案しこの秋に「国葬

義」の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします。国葬義を執り行うことで、安

倍元総理を追悼するとともに我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くと

いう決意を示してまいります。合わせて、活力にあふれた日本を受け継ぎ未来を切り開

いていくという気持ちを世界に示していきたいと考えています。“

これは、7月22日の閣議決定に先駆けた、いわば勇み足ともとれる即断である。

国葬となればその費用は全額国の負担となり、当然ながらその根拠が求められる。

その根拠として挙げられたのは、2001年施行の内閣府設置法4条32項で、

“国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること”という条文だ。

しかしそこには国葬に至る条件・手続きに関する記述はない。つまりこの法律は国葬

実施する場合は内閣がその事務を所掌すると定めているに過ぎないとも読める。

いやそうではない、”国の儀式には①天皇の国事行為として行う儀式と②閣議決定で国

の儀式に位置付けられた儀式の2種類があり②の具体例として故吉田元首相の国葬義が

あると補足説明をした文書(内閣府設置法コンメンタール)がある”と内部文書を持ち

出した人もある。それは、この法律の施行前に政府の中央省庁等改革推進本部事務局内

閣班が作成したものだ。しかしその効力については意見が分かれるところだ。

 

そもそも国葬とはどういうものであろうか。

明治のころは個別の勅令に拠っていたが、大正15年以降は「国葬法」に基づいて実施さ

れた。対象者のほとんどは皇族又は華族で、例外的に東郷平八郎山本五十六などの功

労者が含まれた。戦後国葬法は廃止されたので、基本的には皇室典範25条に規定された

大喪の礼」のみが法的に根拠のある国葬なのだが、唯一の例外が1967年(s.42)の吉

田茂元総理の国葬である。これは吉田茂を恩師として仰ぐ当時の首相佐藤栄作の強い意

向に基づき行われたものだ。この時は、1951年(s.26)に行われた貞明皇太后(大正天

皇妃)の「大喪儀」(準国葬扱い)が閣議決定により執行されたことを根拠とされた。

しかし、その翌年さらにはその翌年と、国葬の基準を設けるべきではないかという意見

が野党議員からあがり、与党側もいずれ検討を要する課題であるとしていたが、1977年

に当時の総務長官が“吉田元総理の時は内閣の決定で行っているので今後もそれでよい

との見解を示し、今日に至っている。実は佐藤元総理が亡くなったときもノーベル平和

賞受賞の功績なども考慮されて国葬の動きもあったのだが、内閣法制局が「三権の了承

が必要」との見解を示したため断念した経緯があるらしい。

いずれにせよ国葬をめぐっては複雑な経緯がある。

岸田総理はそれらを考慮しなかったのだろうか。

吉田茂国葬に際しては、死去から国葬義までわずか11日の期間しかない。その間に佐

藤元総理はフルパワーを発揮して野党の内諾を得ている。おそらく相当前から“吉田さ

んは国葬にする”と決心していたのだろう。

岸田総理はどうか。単に事件直後の雰囲気に乗っただけで、もしかすると低迷する支持

率の改善につながると考えただけではないのか。いつまでたっても国民を納得させる説

明ができないのはそもそも動機が不純だからではないのか。要するに、佐藤元総理とは

覚悟が違うのである。

一方、国葬に関するルール作りがなおざりにされてきた責任の一端は野党側にもある。

おそらく彼らにその自覚はない。

世界には様々な国葬の形態がある。最も多いのは当然国家元首ということになるが、次

は著しい功績のあった人、国家の危機を救った人、国宝のような人と言ったところだ。

少々異質なところはフランスで、2020年にはムハンマドの風刺画を生徒に見せたことへ

の報復として殺害されたサミュエル・パティという中学教師が国葬にされている。

少々ひねくれた見方かも知れないが、そもそも葬儀という儀式は故人のためというより

はその儀式を催す人のためにあるのが常だ。先ほどの例で言えば佐藤元首相は、恩人で

ある吉田元総理に“最高の恩返し”をして自分を納得させたかったのであろうし、岸田総

理の場合は支持率アップにつなげたかったというわけだ。

基本的に、故人は亡きあとも我々に影響を及ぼすことができるが、その逆は不可能なの

である。

ここまで書けばわかっていただけたと思うのだが、“国葬は「大喪の礼」のみでよい”

が私の本心だ。

その理由は次の通り極めて単純なものである。

・明確なルールがない

・ルールを作っても曖昧な表現にならざるを得ず、結局は時の内閣の思惑で決まる。

・そもそも葬儀と宗教色は切り離せないもの。宗教色の排除は本人無視の証拠。

・葬儀は既に終わっている。やるとすれば追悼式か”お別れ会“のようなものになる。

 

ときあたかも、エリザベス女王が逝去され、近々(9.19)国葬が行われる。幸か不幸

か、我々は英国の国葬と日本のもう一つの国葬大喪の礼以外の)を比較しながら考え

る機会を得たということになる。そしておそらく、私たちは日本のもう一つの国葬がい

かに“味気ない”ものであるかを知ることになるだろう。

議論はそこからで良い。

そして私が望む決着は、日本の国葬は「大喪の礼」のみとし、もう一つの国葬は、内閣

主催の追悼式あたりに格下げすることだ。その費用の全額または一部を国が負担するこ

ともルール化すれば問題はない。

岸田総理は国葬義に当たり“国民に弔意は求めない”という。

そんな国葬国葬と認めるほど私の頭は柔らかくない。

                        2022.9.16