樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

他人の記録など気にするな(J-81)

第一幕を終えたショータイム

MLBポストシーズンの熱い戦いが始まった。

大谷翔平エンゼルスは、レギュラーシーズンを77勝85敗、Aリーグ西地区の4位に終わ

り、ポストシーズン進出を逃してショータイムも第一幕を閉じた。

海を渡って既に4年目の大谷だが、3年間は故障などもあり、”準備中“の札がかかってい

たような状態だったので、今年ようやく”待ってました真二刀流!“の声がかかったよう

な感じである。彼は今、おそらく満足と無念が入り混じった気分に浸りながら、ポスト

シーズンの戦いを観戦していることだろう。ファンとしてはMVP選出と来季の契約が気

になるところだが、当人はさほど関心がないかもしれない。

今シーズン、大谷はいくつかの新記録や、オールスターゲームでDHと先発投手の両方

に指名されるなどの前例のないルールを残したものの、最大の注目を集めたホームラン

王と“103年ぶりの偉業”達成は成らなかった。103年ぶりの偉業とは、あの元祖二刀流

とも言うべきベーブ・ルースが1918年に遺した二桁勝利二桁本塁打(実際には13勝11本

塁打)の記録を指すのだが、この記録を掘り起こしたのも大谷という選手が出現したか

らに他ならない。

この記録をめぐっては、最終戦に登板出来たのにと残念がる声や、いやホームラン数で

圧倒しているのだから大谷の方が上だとかいった声で、外野は色々とうるさいのだが、

これも当人は全く気にしている様子はない。そもそも、この”103年ぶりの偉業”はメディ

ア側が話題作りのために掘り起こしてきたもので、現在と比較することが妥当なのか疑

問符がつくところでもある。ベーブルースがこの記録を作った当時の状況を詳しく見て

みるとそれがよくわかるのだが、メディアは知ってか知らずかそこは伏せている。

この際、今後も何かにつけて比較されそうな野球の神様・元祖二刀流のベーブルース

ほんの少し掘り返してみたい。

 

ベーブ・ルースの生涯
ベーブルースは1895.2.6貧しい家庭に生まれた。そして7歳の時、孤児や恵まれない子供

たちが将来きちんとした仕事につけるようにと設立された(セント・メアリー少年産業

学校)で少年時代を過ごした。

まるで少年院にも似たその寄宿学校で彼は読み書きを学び、仕立屋としての技術を身に

着けながら野球にも熱中した。

そこで非凡な才能を見出した恩師を通じてプロへの道が開けるのだが、勧誘があったと

き彼は「仕立屋になるつもりだからケガする恐れのある野球はもうやめる」と言ったら

しい。

つまり、隔離された環境の中で、プロの世界があることさえ知らなかったのである。

メジャーデビューは1914年19歳で、この年は投手として2勝(1敗)を上げた。

そして、翌1915年から3年間は117試合に先発し、65勝(33敗)を上げ、75試合を完投

内16試合は完封であった。打者としては代打で44試合に出場しているが、ホームランは

3年間の合計が9本である・・・・・そして問題の1918年を迎える。

この年彼は5.6に初めて野手として出場するや大活躍を見せ、その後次第に登板を嫌がる

ようになる。しかし監督は無理やり7月末から先発に復帰させる。この時点で彼の成績

は6勝、本塁打11本であったが、そこからの1か月少しで7勝を挙げるのである。

実はこの年、MLBはWWⅠのあおりで9月1日打ち切りとなり、シーズンは28試合ほど短

縮されている。

誰が持ち出したのかは知らないが、「二桁勝利二桁本塁打(13勝11本塁打)」はそのよ

うな状況下で生まれた記録なのである。この時代に使用されていたボールは反発力の低

い”飛ばない“ボールで、フライはワンバウンドで獲ればアウトというルールであった。

翌19年、B. ルースが比重を野手に移し29本の本塁打を放ってから過去の記録を調べ始め

たほど当時のホームランに対する関心は低かったのである。

この年を終えると彼はヤンキースに移籍し1920年から40歳で引退する1935年までの15

年間で投手を務めたのはわずか5試合に過ぎない。つまり、B.ルースの二刀流は実質的に

わずか2年間であった。しかしながら、38歳で最後に投げた試合では5失点しながらも

完投勝利を収めているのは驚異的だ。

それほどの才能を秘めていながら、彼は何故二刀流を嫌がったのだろうか。それはおそ

らくなるべく多くの試合に出たかったからに違いない。DH制が採用されたのは1973年

で、彼の時代にはない。だから二刀流が極めて難しかったことは容易に想像できる。

ルール、球場の広さ、ボールの質、試合数や移動手段など、今と昔では雲泥の差がある

のは明白だ。そのような条件を無視して時代が違う選手の成績を単純に比較するのは両

者に対して失礼ではないかという気がしないでもない。

いずれにせよ、ボルティモア生まれの本名ジョージ・ハーマン・ルースは、主としてバ

ッターとしての活躍をもってスーパー・スターとなり、その童顔ゆえにバンビーノある

いはベーブという愛称で呼ばれるアイドルとなり、そして伝説となった。

彼が残した記録を陸上競技や水泳の記録と同じように扱うことは出来ないが、伝説的な

選手の記録を少し別の角度から眺めてみるとなかなか興味深いデータが浮かび上がって

くるように思う。

 

レジェンドたちとの比較
MLB歴代最強のバッターは誰かと問われれば、バリー・ボンズの名を上げないわけには

いかない。22年間で積み上げた生涯成績もさることながら、40歳になった2004年に147

試合に出場し、打率.362 打点101 本塁打45 出塁率.609 長打率.812 ops 1.422

という驚異的な成績をあげ、7回目のMVP を獲得したのだから凄い。しかも四球が232

もありそのうちの120が敬遠で、三振はわずか41という少なさだ。そのボンズが殿堂入

りを果たしていない。理由は薬物疑惑である。しかし筋肉増強剤が禁止されたのは晩年

からで、すでに殿堂入りした選手の中にも複数の該当者がいると推定されており、薬で

ホームランが打てるわけではないという説にもいくらか説得力がある。

ルースとボンズに加え日本人選手を上げるとすれば、文句なしに王とイチローの二人

だ。

これらのレジェンドたちの共通点は選手寿命の長さである。若い大谷選手にはまだ十分

な“伸びしろ”があると期待されるが、ここでこれらのレジェンドたちの27歳時(大谷と

同じ)の成績を比較してみよう。


       打率  打点  本塁打  四球  三振  出塁率  長打率  OPS  
B.ルイス   .315   96   35    84   80   .434   .672   1.126
B.ボンズ   .292  116     25   107    73   .410   .514   .924
王        .326  108     47   130    65   .488   .723    1.211
イチロ      .387         73           12            54          30           .460           .539           .999
 大谷              .257       100          46             96        189           .372           .592           .964

 

この表から次のようなことが感じられる。
・各選手とも27歳時点でタイトル争いをするレベルに到達しており、大記録はその後さ     らに能力を伸ばし長く維持したことにより生まれている。
・B.ボンズ以外は投手としての経歴があり、大谷の二刀流の成功をきっかけに後に続く      選手が生まれる可能性がある。
・大谷の三振数が飛びぬけて高い。そこが彼の課題であるが逆に”伸びしろ“と見ること     もできる。


 次にレジェンドたちの生涯記録と大谷の今シーズン成績を別の角度から見てみよう。

           OPS    BB/K     K/HR
       B.ルイス     1.16     1.6      1.9
  B.ボンズ     1.05     1.7      1.8
  王        1.08       1.8      1.5
  イチロー     0.81     0.7      6.0
  大谷       0.96     0.5      4.0

OPS出塁率長打率を足した数値で1以上なら超一流の長距離バッターと言われ        る。
・BB/Kは四球/三振で、三振の何倍四球があるかを示す。いわば選球眼の指標で筆者       が  考案したもの。ただし、イチロー選手はボール球でも打てる球なら打ちに行くの      で  数値が低い。
・K/HRは三振/本塁打数でホームランの何倍三振しているかを示した数値。この数値が
 低い程相手投手に警戒されていることになり、数値が高い程相手投手に勝負を挑まれ                 ているされていることを示す指標。これも筆者が勝手に考えた数値。

この表からは、上3人とイチローのデータがかけ離れているのが分かる。大谷はその中

間にあるが、タイプとしては長距離打者なので目指す方向は上3人の方向である。

つまり、どんな球にも反応できる打者ではなく、悪玉に手を出さないタイプである。

今シーズンの後半は相手投手に警戒され四球が増えた大谷だが、来シーズンはまちがい

なくもっと警戒される。そこを我慢すればレジェンドに近づけるだろう。

 

他人の記録など気にするな

しかし、大谷が二刀流を続ける限り、どうあがいても彼らの投手記録や打撃記録を塗り

替えることは不可能に近い。そこがプロ入り当初に多くの論者が意見を戦わせたテーマ

でもある。しかし彼にとっては投げるか打つかではなかった。最高峰を目指すか、未開

の大地を開拓するかであり、彼は後者を選んだのである。

そして数年の準備期間を経てその大地に一歩足を踏み入れた。目の前には、100年前に

童顔の大男が少しだけ足を踏み入れた未開の大地が広がっている。もはや誰の足跡もな

い大地を突き進むと決めたのである。

おそらく、来シーズンも様々な記録を掘り起こしてはあれこれ騒がしくなるだろう。

心配はしていないが、そんなことを気にしてはならない。目標となるのは他人の記録で

はないのだ。

 

ショータイムの第1幕は下りた。しかし、その先がどうなるのか、どこまで続くのか、

そのストーリーを描くのは大谷自身だ。結末は誰にも分らない。ただ大きな夢と期待が

広がっているだけである。

できることならその結末を見ることなく、わが結末を先に迎えられればとも思う。

                         2021.10.9