樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

森会長発言と不寛容社会(J-51)

本人が発言を撤回し謝罪したにもかかわらず、批判の嵐が吹き止まない。

毎日新聞は、連日一面トップでこの話題を取り上げ、6日の見出しは、

「森会長擁護・世間とのズレ」である。

その”世間とのズレ“がちょっと引っかかって、我もまた世間であるとの思いで、

あらためて森発言を読み直してみた。

確かに、報道された部分だけを見れば、”けしからん“発言である。

しかし、その発言に至った経緯が省略されていてよくわからない。

どうやら、理事に欠員が出て、その補充に女性を優先することに異を唱えたようだが、

そこはおそらく意図的に省略されている。

 

森発言の趣旨を冷静に読み解けば、理事や役員などの人事において、「女性枠」を

あらかじめ設定する近年の風潮(原則?)に疑問を投げかけたものである。

つまり女性を特別扱いするのではなく、あくまでも”ふさわしい人“を選ぶべきだと

言っているわけで、極端な話、男女比率が今と逆になってもいいと言っている

のである。それが「女性蔑視」となるのは双方の国語力の不足か曲解である。

 

女性差別を声高に訴える人たちの主張をよくよく聞いてみると、つまるところは

「女性に特権を与えよ」と言っているに等しいことが少なくない。彼女らの多くは、

女性の妊娠・出産をハンディキャップとしてとらえているようだが、それは明らかに

一方的な見方である。男から見れば、全く逆の見方も成立する。

 

私の周囲―つまり極めて狭い範囲-での話ではあるが、政界や言論界で活躍している

女性、例えば蓮舫福島瑞穂、辻本清美、田嶋陽子さんといった方々の評判はあまり

パッとしない、どころかすこぶる悪い。つまり率直に言って、世の女性たちの

“あこがれ”になっていない。いわば”反面教師”的存在なのである。

残念というべきか、気の毒というべきか、はっきり言って、女性の進出を妨げている

のは、彼女たち自身なのである・・と思う。

 

それにしても、いつからこんな不寛容な社会になったのだろうか。

失言は誰にでもある。しかもその失言は、単に”誤解を与えたもの“で、本心では

ないことが多い。

釈明しようとすれば、“言い訳するな”という。そして抹殺する。

なんだかおかしい。なんだか住みにくい。

                    2021.2.6