樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

コロナ報道と私のスタンス(J-50)

当ブログを始めたきっかけの一つが“コロナ自粛”だったので、ある意味当然なのだが、

これまでずいぶんコロナを話題にしてきたように思う。何を書いてきたのかはっきりと

は覚えていないが、一括りにすればそれは大手メディアの報道(姿勢)に対する素朴な

疑問をぶつけてきたものだ。で、今回もちょっと引っかかった記事を見つけたので、

その話題から始める。それは、週刊朝日最新号(2.02)の特集で、

「花粉症で拡大・コロナ感染」という記事だ。その理屈は次の通りである。

 

“国民の4割が花粉症で、その中には無症状のコロナ感染者もいる。その人たちが

くしゃみなどをすることで感染を拡大する。また本人も目をこすったり鼻をかんだり

すれば、感染のリスクが高まる。しかも”換気“などは真逆の影響を及ぼすので対策が

難しい”

というものだ。この説は花粉症治療の第一人者日本医科大大久保先生の話として紹介し

ているのだが、なんとなく “言わされている” 感じがしなくもないし、いつもながらの ”つまみ食い“ の匂いも漂っている。

 

ずいぶん前の話になるが、実はこのブログで、“日本のコロナ感染が比較的軽いのは

花粉症のおかげではないか”と根拠もなく書いたことが在る。

それは昨年3月9日の「COVID-19は最強か」に続く、3月11日の当ブログ、

「日本の対応案外悪くないかも」である。

そのころの状況としては、中国の感染者が8万人を超え、イタリアが危機的な局面を迎

えていた時期であったが、アメリカはまだ一日数百人程度の規模で、多くの専門家が

“マスクは予防効果がほとんどない” と言い、皆が中国のマスクの奪い合いを冷笑し、

オリンピックも開催できると主張していた。

私は、事態を軽視しているアメリカの感染拡大を懸念し、また日本では花粉症のない

北海道で感染が拡大したことから、花粉症の抗体かもしくは花粉症対策がコロナ対策に

なっているのではないかと冗談交じりに書いたのである。

 

花粉症との関連性は単なる思い付きであったが、他にどんなことを書いてきたのか、

この際、責任を取ることは出来ないにしても、訂正又はお詫びの必要があるのか、ざっと振り返ってみようと思う。

 

3.26 「若者に響く声明を」では、

 元気な若者が感染拡大の主役になる。「若い人も決して安全ではありません」

 ではなく、「無頓着な若者が高齢者を死に追いやる」と訴えるべきではないかと

 書いた。

 

4.3 「何とか持ちこたえている?」では 

 感染者数ではなくその国の人口に対する死亡率で評価すべきではないかと述べた。

4.7 「緊急事態宣言の波紋」では、

 “日本の宣言には「強制力」がなく、効果は疑問”とする海外の評価とともに

 “効果がなかった場合に、より強力な権限を国家権力に与えようとする動きが出る

 こと  を懸念する日本のメディアを比較してとりあげた。

4.10 「コロナの効用」では、

 医療崩壊を防ぐことができれば、全体の(コロナ以外を含めた)死亡者数が減少する

 可能性に触れた。(現状ではその可能性が十分にある)

4.16 「こだわるテレ朝モーニング・ショウに噛みついてみる」では、

 メディアが主張するPCR検査の拡大について疑問をぶつけた。

4.16 「自粛に慣れよう」では、

 “我慢の限界”という言葉をチラホラ聞くようになって、冗談じゃない

 “人間は慣れる動物だ”とかみついた。

4.20 「敢えての安倍弁護」では、

 身の程わきまえず、内田樹先生と、毎日新聞の「火論」(大治記者)に噛みつく。

4.23 「前言を取り消さない理由」では、

 批判した二方のスタンスに偏りが見られることを指摘した。

5.6 「コロナを遺産に出来るか」では、

 有事モードへの切り替えがうまくできない我が国の弱点について述べた。

5.7 「テレ朝Mショウの不可解な主張」では、

 “国民全体にPCR検査を”という主張がいかに暴論であるかを指摘した

5.10 「コロナが明らかにしたことと今後のこと」では、

 コロナ感染拡大で、中国の存在感がいかに増大しているかを知らされたことを

 書いた。

5.26 「これからがこれまでを決める」では、

 一段落したかに見えるコロナだが、これまでの評価はこれからが決めると述べた。

6.1 「注目すべき情報を何故無視するのか」では、

 ジョンズ・ホプキンス大学の“PCR 検査陰性は感染していないことの照明には

 ならず、その使い道はない” という注目すべきレポートをメディアが無視した

 ことへの批判。

6.4 「ファクターX が見えてきた」では、

 ノーベル賞受賞の山中先生と橋本徹氏の”ファクターX“に触れた対談を紹介。

6.15 「ファクターXesなのか?」では、

 日本の死亡率が格段に低いという謎に対して、考えられる複数の要因を取り上げた。

6.30 「メディアの目」では、

 6.26に発表された厚労省の「人口動態統計速報」に対して、米国のハフポストが

 “日本の超過死亡(何らかの原因で予想を上回る死亡者)はない”とレポートしたが、

 これに日本のメディアが無関心であることを批判した。

7.22 「腹を括ってたえるしかない」では、

 このころ、コロナによる死亡者が1000人を超えた。ワクチンの実用化はまだ

 かなり先 の話だということで、耐えるしかないと書いた。

7.28 「超刺激的 上久保新説」

 大手メディアが取り上げなかった上久保先生の新説“日本ではすでにある程度の集団

 免疫が達成されているので、免疫が消えてしまわないようにある程度ウィルスに

 さらした方がよい、監視すべきは「変異型」の出現である。という説に共鳴

10.21 「腸内フローラとファクターX」では、

 2018.1に放映されたNHKの人体シリーズ「腸」で“日本人の腸内細菌は免疫を

 コントロールする能力がずば抜けて高い”という説を思い出して紹介した。

11.7 「二つの投票にコロナが影響か?」では、

 大阪都構想米大統領選挙へのコロナの影響について推論を述べた。

12.10 「エビデンスでござると迫るだけのメディア」では、

 GoToキャンペーンを批判するメディアを批判的に書いた。

2021

1.19 「コロナが暴いた医療システムの弱点」」

 日本の医療システムの弱点を思いつくまま述べてみた。

 そして。今回の「コロナ報道と私のスタンス」につながる。

 

ざっと振り返ってみて、特に訂正したいところはない。というより、多数派ではないか

も知れないが、私と同じかあるいはある程度似通った考えの人がきっといるはずだと信

じている。だからここまでのところはお詫びも訂正もしないことにしたい。

 

思えば当初、新型コロナは、得体のしれない怖さがあった。志村けん岡江久美子とい

った有名人の急死は一層恐怖感を増大させた。しかし、ようやくその実体がつかめてき

たことも事実である。

週刊新潮2.4号は、東大名誉教授で食の安全・安心財団理事長、唐木英明先生の次のようなコメントを紹介している。

“毎年日本では、約140万人が亡くなりますが、昨年の死亡者数は、10月までの統計で

は、一昨年よりむしろ少ない。コロナが日本の死亡率を上げたという事実はありません。

インフルエンザでは、毎年一万人が亡くなりますが、コロナででは5000人が亡くなると

対策費を何10兆も投じ、社会が大混乱する規制をかける。結果、インフルの死者が今季

はほぼゼロ。仮にコロナを克服しても、マスク着用や会食自粛、海外渡航制限などを続

けなければ、またインフルで1万人が亡くなる。コロナでの5000人で大騒ぎする人たち

は、永久にこの対策を続けないと筋が通りません“

 

この発言は、今でも勇気のいる発言である。仮に政治家がいまこれを言えば辞任に追い

込まれること必至だと思う。

しかし、最近になって、その雰囲気はかなり変わってきたようにも思う。

そのことを如実に示している例として挙げられるのが、ある生命保険会社が新設した

「コロナ保険」である。HPにアクセスしてみたら、32歳の男性で月額1,440円、75歳

では4,284円の掛け金となっている。76歳以上は加入することができない。

つまり76歳以上を除外すれば、十分儲けが出るとソロバンをはじいているわけだ。

冷静に眺めればそういうことなのだ。

だから、前にも云った通り、高齢者へのワクチン投与が済めば、元の生活に戻しても

いいというより、戻すべきだと思うのだがいかがであろうか。

従って、オリンピックも海外客に制限を設ければ、観客ありで実施できるというのは楽

観的過ぎるだろうか。

                            2021.2.2