3月8日が「世界女性デー」ということで、例年通り、日本の男女格差問題があちこちで話題となりました。
もはや聞き飽きた感もありますが、日本の男女格差は121位であるとか、女性の働きや
すさランキングが主要29か国中の28位であるとか、女性閣僚の割合が151位であると
か、そんないわば不名誉なデータが次々に発表されています。しかもそれらの順位は、
年々悪化する傾向にあるのだからたまりません。しかし日本の内情は、大臣であろうが
重役であろうが、家庭では奥方の尻に敷かれていたり、サラリーマンたちの多くが専業
主婦の妻に財布を握られていたりするわけで、日本男児としては、それらのランキング
に納得できない気持ちがあることも否定できません。
ジェンダーフリーという言葉は実は和製英語だそうですが、その主張や活動の中には、
その正当性が感じられないものも多々あるように思います。
例えば、アメリカに「ゲリラガールズ」というグループがあって、その主張の一つに、
“女は裸にならないと美術館に入れないのか!”という訴えがあります。
どういうことかというと、“メトロポリタン美術館にあるヌード絵画に描かれているの
は76%が女性なのに、女性アーチストの作品は4%しかない、不当な差別だ”というのです。
あるいは、プロ・スポーツの賞金額や選手の年俸に男女格差があるといった訴えや、
単純に平均賃金を比較して問題にするケースも見られます。
女性が広く社会に進出するのはいいことだし、意思決定の場により多く参画することも
いい方向で、クオーター制を取り入れることにも賛成ですが、やみくもに数合わせをす
ることは却ってよくない結果を生じることもありそうです。
例えば、旧ソ連では政策的に物理・工学分野の研究者を同数としたことが在りました
が、体制が崩壊して自由になると、多くの女性研究者が生物や医学系などの分野に専攻
を変えたという事実があります。
ジェンダーフリーの活動家たちの主張を聞いていると、二つの疑問を感じることがあり
ます。一つは、「男女平等」という大義名分の下に、実は「女性の特権」言い換えれば
実質的には「逆差別」となることを要求しているのではないかということ。もう一つ
は、女性が主要な役割を担っている家事や子育てを自ら「軽視」しているのではないか
ということです。
さてここに、それが男女差別に当たるかどうかは微妙で、保守系対リベラル系が長年に
わたり争ってきた重要なテーマがあります。
それは、「選択的夫婦別姓」の問題で、そろそろ国民として腹を決める必要に迫られて
います。というのも、日本のようなタイトな夫婦同姓を原則としている国は、今では
皆無という状況となり、国連機関からも数回の改善勧告を受けているからです。
保守系の言い分は、「日本の伝統」「家族の絆」「行政機関の都合」といったところ
で、リベラル側は、「ジェンダー平等」「世界の潮流」「憲法違反」といった理由です
が、双方とも国民の圧倒的支持を得るには至っていません。というより、国民自身が迷
っている状態と言っていいでしょう。
国民が迷っている原因は何処にあるのでしょうか。
それはおそらく保守/リベラル双方の言い分に説得力がないからです。
保守側が主張する「日本の伝統」が嘘であることは中学生でもわかります。
北条政子は源政子にはならなかったし、苗字がなかった秀吉が木下藤吉郎を名乗ったの
は正妻の「おね」が木下家だったからで、そのおねの父も、もとは杉浦姓の武将(?)
で、木下家に婿入りした男でした。秀吉はその後も「羽柴」「豊臣」と名を変えてゆく
わけですから、いわば自由であったわけです。そもそも天皇家に苗字はなく、庶民も
苗字が許されない状態が長く続いたわけで、保守派は明治21年の旧民法からの決まりを
日本の伝統と言っているにすぎません。
日本以外の国は皆家族の絆が破綻しているというわけではないし、逆に同じ苗字でいが
み合っている家族も稀ではなく、同姓を名乗ることと「家族の絆」にはさほどのつなが
りはないと考えられます。通常、家族は下の名で呼び合っているわけで苗字の違いは
さほど気にならないか、”慣れ”の問題だろうと思います。
また、「行政の都合」はマイナンバー制度を義務化すればほぼ解決できるでしょう。
リベラル側の主張も同様に、あまり説得力がありません。
「ジェンダー平等」については、かつて小泉首相が答弁したように法的には男女差別が
あるとは言えないでしょう。民放750条には“夫婦は婚姻の際に定めるところに従い夫又
は妻の氏を称する”
と定められていますので、どちらを選ぶことも可能で男女差別はないのです。この考え
方は、実は明治の旧民法からあったのですが、実態としては嫁入り対婿入りの差で圧倒
的に夫の姓となることが多かったというだけのことです。
「憲法違反」についても同様です。
最高裁の判決もありますが、もし「姓」による差別を受けている例があるとすれば、
それは男女とは別の問題です。
ただ、最後の「国際的な潮流」という理由だけはその通りかもしれません。比較的最近
まで粘った末に、ようやく2013年になって法律改正したオーストリアとスイスは、何と
一気に「原則夫婦別姓」に改正してしまいました。
では、日本のメディアはこの問題をどうとらえているのでしょうか。調べてみると、
どうやら選択的夫婦別姓制度に疑問を投げかけているのは産経新聞のみで、あとの全国
紙地方紙を合わせた30社以上は賛成の立場を表明しています。
国民の世論調査では、賛否が拮抗する状態が長く続いてきましたが、2016年に郵送方式
で朝日・読売が実施した調査では、読売では賛成38%反対61%、朝日では賛成58%反対
38%と全く逆の比率となりました。読売の結果は意外な気もしますが、要するに国民は
まだ迷っている状態だと思われます。
しかし、国民の気持ちが最もよく表れているのは、2015年の毎日の調査で示された
数字、「個人としては同姓を選ぶ73%」ではないでしょうか。つまり、この数字は、
国民の多くはすでに、“自分は同姓を選択するが、夫婦別姓を望む人がいるならそれを
認めてもよい”というところまで変化していることを示していると思うのです。
そこには、国際結婚や再婚・再再婚などの増加、女性の存在感や知名度の上昇といった
要素が影響しているものと思われます。
要は、改姓したくない人たちの理由をくみ取ってやる必要があるということです。
一人っ子と一人っ子の結婚では両家ともに家名を残したいという事情もあるでしょう。
両者が事業経営者であったりする場合や何度も姓を変えるのはイメージが悪いといった
理由もあるかもしれません。いずれにせよ、改姓による不利益に対する配慮がより求め
られる時代になっていることは間違いないと思うのです。
選択的夫婦別姓制度はいわば時代の要求で、いずれそう遠くない将来に法改正が行われ
るものと予想されます。それを遅らせているのは、むしろジェンダー平等活動家たちの
方で、この問題を男女差別と結び付けていることや、“亀井静香と荒川静香が結婚した
ら夫婦が同姓同名になる”など、的外れなことばかりいっていることが国民を混乱させ
ているのではないでしょうか。
2021.3.12