朝も昼もそしてどの局も、ワイドショーの話題は新型コロナで始まる。
今年届いた年賀状で、6割以上にコロナのコメントがあったことを思えば、それも当然
かとも思う。しかし、最近の報道を観ていると、「ちょっと待ってくれ!」と言いたくなる場面が時々ある。
昨年の3月から4月、新型コロナの第1波に襲われた時、わが日本の作戦は、“感染の
ピークをできるだけ後にずらし、その間に体制を整えて医療崩壊を防ぐ”というもので
あった。そして感染状況については、概ねその通りに進んだのである。
ところがどうだ、年末から始まった急速な感染拡大(と言っても米欧とは一桁以上も穏
やかなのだが)により、医療現場が悲鳴を上げ始めた。
遂には、ここまでどちらかと言えば”影が薄かった医師会“の会長が登場して、
”既に医療崩壊は現実、このままでは医療壊滅となる“ と訴える事態となっている。
そこが「ちょっと待ってくれ」なのである。
客観的に数字だけを見るならば、日本の医療システムは優等生だ。
例えば、人工1000人当たりの病床数において、日本の13.70という数字は断トツの1位
である。世界平均は、46位相当の3.63で、この付近に豪州、伊、英などが頭を並べ、
米国は3.00で60位となっている。
その他にも、国民皆保険制度や高度医療技術などの優れた環境が整っており、それが
長寿大国を支えてきたと信じられてきた。
それが何故、いとも簡単に医療壊滅になるのか、国民の多くが理解に苦しんでいる。
どこかに問題があるはずである。それを暴くのがジャーナリズムの使命でもあると思う
のだが、報道内容は、①感染者数などのデータ、②国民の日常(とくに感染予防に無
頓着な市民などの映像)③行政の不手際(ときに、適正な治療を受けられず死亡した例
などをあげ強調する)といったものばかりで、深く掘り下げた意見は見られない。
ただし直近では医療現場のホンネも出始めている。
しかし気の毒なことに、医師会中川会長の訴えは、実はあまり国民胸には響いていない
ようだ。その訳は、新型コロナに直接対応している病院や医師はおそらくほんの数%
で、国民に“医療壊滅”の実感はないからだと思う。
だが、今朝聞いたある医師(名前を忘れた)の提案には大いに納得させられた。
その対策は、“思い切ったインセンティブを与えればよい”というものである。
つまり、コロナに対応する病院や医師などの関係者に対して特例的な優遇措置を設けれ
ば、医療崩壊の危機は解消するというものだ。まさにそれが医療現場のホンネであり、
その通りだと思う。関係者の使命感や犠牲的精神のみに頼っても長続きはしないし、
そもそもその方向は間違っている。
“感染のピークを後にずらして体制を整える”という戦略に応えた例として評価されてい
る大阪のコロナ重症センターでは、看護師を募集しているが、その報酬は月額50万円で
ある。それが「対策」というものだ。
新型コロナは、10年後には現在の若い人たちに免疫ができて、普通の風邪と同じになる
という 専門家の予想もある。
おそらく、新型コロナとの付き合いは長くなる。それは「新型」でなくなるまで続くと
覚悟しなければならない。
したがって最大のテーマは、これまでも、これからも、「医療崩壊を防ぐ」ことにつきる。
今回のようなパンデミックが発生する恐れは常にある。
そして、日本の医療システムの弱点は、新型コロナによって見事に暴かれた。
日本の医療システムが何故これほど脆いのか、この際笑われることを承知で、自分なり
に素朴な疑問をぶつけ考察してみたい。
医師会長の口から発せられた「医療壊滅」という言葉に関連して、私は次のような
素朴な疑問を抱いた。
1.日本の病院は、中小規模の私立の専門病院が多いが・・。
⇒ ○○科病院の名に「感染症病院」はなく、コロナ患者受け入れはハード・
ソフト共に困難、また経営的にも問題が多いのではないか。
2.日本は、世界一の”寝たきり”大国になっている。
⇒ 病院が介護施設化し、その実態は”寝かせ切り”大国となっている。
また、そこへのコロナ患者受け入れは難しいのではないか。
3.日本の病院は、「診察」と「治療」に限定されている。
⇒ 「公衆衛生」や「予防」は病院の任務ではなく、保健所が担っている
がその分野が弱体ではないか。
<考察>
生老病死という言葉があるように、人は生まれた時から、必ず訪れる「死」に向けた
旅を生きている。その間にあるのが「老」と「病」で、そこに医療の存在意義がある。
病の多くは自然に治るが、苦痛を伴うものや長引くものは援助を求め、ダメージの
大きいものは、高度な医療を求める。病も医療もともに千差万別だ。
ところが日本の医療システムは、いつでも患者側に病院を選ぶ権利があり、しかも、
相手が名医であろうとヤブ(失礼)であろうと、費用は同じである。
裏返せば、患者には「運」「不運」があり、医師の側にはその能力にふさわしくない
レベルの病に対応しなければならない「不満」と「リスク」がある。
ここに我が国の医療制度の根本的な問題があると私は感じる。
この問題を解決する方策としてはどのようなものがあるだろうか。きっと誰かがどこか
で考えているはずだと思うが、それが見えないので自分で考えてみた。
それは一言で言えば、保健所の充実・拡大ということになる。
今はあまり強調されていないのだが、コロナ受診あるいはPCR検査を受けるための手続
きにおいて、”先ずはかかりつけ医に相談する”という手順が推奨されていた。しかし、
医師と患者側に果たして”かかりつけ”の信頼感が醸成されているかどうかについては、
はなはだ疑問である。慢性疾患があって通院を重ねている人でなければ、たいていは
”とりあえずかかるお医者さん”を持ってはいないのではないかと思われるのだ。
そこを改善し、軽い病気なら「かかりつけ医」のところで処置をうけ、処置できない場
合は「かりつけ医」の勧めにより専門病院に移るようにすれば、医療の効果・効率は
格段に向上するだろう。つまり改善策として、保健所に「かかりつけ医」の役割を持た
せるのである。
もう一つは、感染症対策である。
病人の数なら感染症は圧倒的だと思うが、病院の名前として「○○感染症病院」は見た
ことがないし、総合病院に行っても感染症科という看板は目にしない。
よくわからないが、もしかすると法的にそういう名称で開業することができないのかも
しれない。なにしろ、「感染症専門家」という言葉はよく聞くが、「感染症医」という
言葉は聞かないのでそんな気がする。あるいは、経営的にも難しいのかもしれない。
だから、やはりここは公的機関が対応した方がいい。予防も含めて感染症対応は
保健所の能力を拡大して担当させるべきだろう。
そして、その機能を生かすためには保健所と病院間の情報連絡を緊密にする必要があ
る。現在保健所は、都道府県または設置市の所管となっており、国からの情報は、厚労
省から所管の衛生部(局)を通じてお願いベースの「事務連絡」の形となっているらし
いが、もっと緊密で強力な関係とすべきだと思う。
以上、ここまで老いた頭を精一杯駆使して一応考えをまとめたので、今は無性に誰かと
飲みながら語り合いたい気持ちなのだが、如何せん、「老人の飲み会」など許される
はずもないご時世である・・・嗚呼。
2021.01.19