樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

メディアの劣化はコロナの所為、か?

19日、大谷翔平がMVPに選ばれた。予想通りである。

しかも、30人の記者全員が1位票を投じるという、いわゆる”満票”獲得だ。

これもまた、ほぼ予想通りである。

電波メディアはこれを速報で伝え、多くの活字メディアが“待ってました”とばかりに

特集を組んだ。

暗い話題の多い昨今、暗雲を吹き飛ばすような嬉しいニュースには違いないが、こうも

大騒ぎされると自分の中のアマノジャクが頭を出してくる。

なんだか”お祭り騒ぎ“に飢えていた庶民の、単なるストレス発散のようにも感じられて

引いてしまうのである。

要するにインパクトがないのだ。もし、結果が逆(大谷の落選)であったなら、私は今

怒りのブログを書いているに違いない。

メディアにとって大谷翔平はこの上なく有難い存在だ。期待通りに話題を提供してくれ

る宝物である。蓄積した情報を無駄なく使い、特集記事も楽々だ。

しかしそれらの情報は、大谷ファンにとっては心地よいものではあっても、陳腐に映

る。ファンの頭は既に来期の皮算用を始めている。最大の関心事は、三刀流(守備もこ

なす)の可能性とその是非だ。

 

情報社会は、スマートフォンとインターネットの普及・進化により著しく発展し、いま

や個人が世界に向けて瞬時に情報を発信できるまでになった。速報性で言えば、概ね

個人ーTV-日刊紙-週刊誌-月刊誌の順で、それがアマチュアであろうと個人が最も優

位にある。だから、それ以下の情報発信者は順位が下がるにつれて質的に優位でなけれ

ば存在価値を失う。

ところがである。この頃感じるのはTV、日刊紙の質の低下である。連日同じテーマを取

り上げながら、知りたいことがいつまでも明らかにならない。

例えばコロナ、日本の感染者数は、ほぼ4か月サイクルのはっきりしたな波を描いてい

る。これほど見事な(?)波は日本の外には見当たらず、韓国などは日本のデータその

ものを疑っているほどだ。

仮にその波が繰り返されるなら、次のピークが予想される年末年始に向けてそろそろ増

加傾向になるはずなのだが、不思議なことに、有難いことに、今回はそんな気配が全く

ない。

一方、ワクチン接種率がほぼ同じ韓国では、過去最大級の感染拡大が続き、米・露・

英・仏は連日万単位の感染者が収まらない。優等生と言われたベトナムやオーストラリ

ア、ニュージランドも今は感染拡大中だ。いわば、日本だけが異質な状況である。

感染拡大初期のころ、盛んに言われた”ファクターX“は、今も未解明のまま感染は収まり

つつあるように見える。というよりも、ほぼ収まっている。それでもイベントやスポー

ツの観客数は制限されたままだ。祭りや宴会など企画しようもない状態が続いている。

いったいどこまで行けば全面解除となるのか、せめてそのゴール(条件)を示してほし

いものだが、だれも責任を取ろうとはしない。

まあ、それらはメディアの所為ではないのだが、どうもこの頃メディアの手抜きが感じ

られてイライラすることが多い。

コロナ報道もしかりである。感染者数は毎日報道されるが、ワクチン接種がほぼ行き渡

った現在、我々が知りたいのはその中にブレイクスルー感染がどの程度あるのかという

ことである。分かっているはずなのにそれを報じない。外国の例を参考にすることは出

来ても、日本に当てはまるのかどうかは分からない。

毎日新聞は、世界全体と上位9ヶ国の感染者数と死者数を毎日載せているが、それは累

計なので現状把握には役立たない。

経済一つをとっても、日本の感染が収束すればよいというわけではないのに、世界への

関心が薄すぎるのはメディアの手抜きというべきだろう。

以下、思いつくままにメディアへの不満を列挙してみる。

ノーベル賞

 今年の医学生理学賞はmRNAワクチン開発者のカタリン・カリコ氏が本命であるかの

 ように伝えられたが、実際は温度・触覚受容体を発見したアメリカの研究者二人が選     

 ばれた。要するにメディアの思い込みであった。

・先の総選挙

 獲得議席予想は大外れ、その理由も説明不十分で競馬の予想屋にも劣る

・小室母の元婚約者

 騒動のきっかけを起こした人物が、遂に正体不明のまま幕を閉じ、もう片方の

 人権は著しく傷つけられた

小池都知事の体調不良

 肺疾患では何もわからぬ

・木下富美子都議の無免許事故

 免停処分中のことらしいが、その理由と何故そのままにしていたのかが分からない。

 また、何故彼女を首に出来ない仕組みになっているのかを論ずることなく、議会と一

 緒になって リンチにかけようとしている。

等々、思いつくままに並べてみたが、小さいことを云えば毎日のようにTVや新聞への不

満を感じる。それは、“知りたいことが欠けている”という不満である。

年のせいかもしれないし、コロナの所為で取材力が落ちているのかもしれない。

しかし、それでは片付かないメディアの劣化が進んでいるようにも感じられて仕方がな

いのである。これは激励の”喝!”だ。

                               2021.11.21