樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

本物と偽物(Y-37)

 

正月恒例の人気番組に「芸能人格付けチェック」というのがあります・・・と始めて、

(この話題前にも取り上げたことがあるな・・)と思い出しました。

探してみたら、去年の1月4日に書いた、「知識と教養」にありました。

そして大胆にも、「知識」が現在完了形であるのに対して、「教養」は現在進行形であ

り、「物知り」は多くのことを知っている人で、「教養人」は多くの無知を知っている

人だと結論付けていました。

これを訂正する気持ちはありませんが、今回思ったのは「知識」と「教養」ではなく、

「本物」と「偽物」に関するお話です。

きっかけは、番組の中で出題された「高級牛肉(近江牛)」と「豚肉」と「カエル」を

6組の芸能人に当てさせる問題です。その結果は、何と正解は1組だけで、豚肉と間違え

たのが1組、あとの組は全員「カエル」を選んでしまい、“写す価値なし”として画面

から消されてしまったのです。それが狙いの番組なのですが、実はカエルを近江牛と間

違えた解答者よりも、間違えさせた料理人こそ注目されるべきかもしれません。解答者

のほとんどがカエルの肉を最も美味しいと感じたわけですから、この「偽物」は高く評

価されるべきではないかと思うのです。

ずばり「本物」か「偽物」かに焦点があてられる「開運!なんでも鑑定団」という番組

もあります。

アッと驚く”掘り出し物“もあれば、騙されて買った「偽物」もあり、悲喜こもごもの場

面が人気を呼んでいるわけですが、時には鑑定士を悩ませるなかなか優れた「偽物」も

登場します。しかし、ひとたび「偽物」と判定されれば「家宝」もいわゆる二束三文の

ラクタになってしまうのである意味残酷です。

物まねタレントの世界があるように、美術の世界にもたとえばゴッホ風の絵”の市場

があっても悪くはないような気がします。

そもそも、なぜ偽物が生まれるかといえば、“本物に対する価値が法外に跳ね上がって

いる”からで、その主たる要因は”希少価値“にあります。

優れた「偽物」が生まれる背景には、優れた才能を持つ不遇な芸術家の”恨み“が動機と

なっているケースもありそうです。

そのことを示しているのが、20世紀最大ともいわれる”フェルメールの贋作事件“です。

 

事の発端はナチスドイツの崩壊でした。

ヒットラーはウィーンの美術アカデミーを2度も受験するほどの美術好きで、故郷に美

術館を設立する夢を抱いていたそうですが、そのために多くの作品を集めていました。

そして、彼の片腕ゲーリング元帥も負けず劣らずのコレクターでした。

ヒトラーの自殺により戦争が終わると、ヨーロッパの国々は略奪同然に奪われた美術品

を取り戻す活動を始めましたが、その最中、ゲーリングの隠れ家からオランダの国宝と

も言うべきフェルメールの作品<姦通の女>が発見されます。

その出所を調べていくと、画家にして画商の一人の人物「ファン・メーヘレン」という

男にたどり着きます。彼は自分が200点以上のオランダの古い絵画プラス大金と引き換

えにその絵画を売却したことを認め、“国宝をナチに売った対独協力罪”で逮捕されま

す。反逆罪に当たる重罪です。

真珠の耳飾りの少女」などの作品で知られ、日本でも大人気のフェルメールは、いわ

ゆるバロック時代を代表する画家ですが、その作品数は35点ほどしかなくオランダでは

国宝扱いですから、このメーヘレンという男がどうやってフェルメールの作品を手に入

れたのかに遡って調査しなければなりません。その取調官の中に、メーヘレンをなかな

かの人物だと認め、次第に雑談をかわすような関係なったピラーという男がいました。

通常はあり得ないことですが、彼はメーヘレンを牢から連れ出しドライブに誘って言い

ました。

「あなたは200点以上のマイナーな作品を救ったかもしれないが、偉大なフェルメール

の作品の一つがゲーリングにわたったのです」

「バカな!君は私がフェルメールをナチのクズ野郎に売ったと思ってるが、あれは私が

描いたんだ」

驚くべきことに、彼はその他にも美術館などに飾られている数点のフェルメール作品を

自分が描いたものであると主張したのです。

そして、メーヘレンはむしろ誇らしげに偽物づくりの詳細を騙り始めます。

美術の世界には偽物が横行しているので、有名作家の作品は厳しい鑑定に耐えなければ

なりません。美術評論家(鑑定士)はもとより、科学的な分析も実施されるのです。

メーヘレンの自白により、驚異的な贋作技術が明らかになってゆきます。

先ずはフェルメールの時代(300年前)の絵画を手に入れ、そこに描かれている絵を丁

寧にはがすことから始まります。額やキャンバスが当時のものでなければたちどころに

偽物とわかるからです。

次は当時の絵の具を自分で作らねばなりません。フェルメールは金持ちの奥さんの実家

からの支援があり、独特なブルーの元となる金よりも高価な石をふんだんに使っていま

した。その最大の特徴を無視して偽物は創れません。絵の具の材料にはずいぶん苦労し

たようです。

しかし、かれの絵の技術は卓越しており、フェルメールに似せて描くことはさほど問題

ではありませんでした。

題材として選んだのは宗教画でした。それは、実際にあるフェルメール作品に、当時の

主流であった宗教画がほとんどなく、初期に描かれた宗教画がどこかに埋もれているの

ではないかと推定される背景があったからでした。それを考慮して、メーヘレンはフェ

ルメールの成熟期の作品を想起させるような部分を加えながら少し”未熟な”匂いのする

作品に仕上げたのです。

つまり、専門家であればあるほど、傑作ではないがフェルメールの初期の作品に間違い

ないと思わせるような見事な「偽物」を描いたのです。

最後は表面処理にかかります。試行錯誤の末に編み出した窯で焼くという方法で表面に

ひび割れを作り、その割れ目には古い埃を振りかけるという念の入れようでした。

仕上げは、作品の出所に関するストーリーの創作です。彼は、名は明かせないが、ある

没落貴族が売りたがっている絵画の中にちょっと気になる絵があるという話を、美術界

の底辺に流してじっと待ちます。やがて、その話は上流まで伝わり、かつて自分の絵を

こき下ろした当時NO.1の美術評論家ブレディウスが見事に彼の網にかかります。

ついに、時の最高の権威がメーヘレンの贋作に“お墨付き”を与えることになるのです。

メーヘレンは大いなる喜びを感じたことでしょう。彼の動機には、自分を貶めたブレデ

ィウスに一泡吹かせてやろうという“復讐心”があったことは間違いないからです。

 

しかし、取り調べの中で、いかに彼が詳細に偽物づくりの種を明かしても、実際に彼が

描いたことの証明にはなりません。

そこで例の取調官が提案しました。

「あなたが本当に描いたのなら、その作品の模写を描いてみてはどうですか」

メーヘレンは即座に応えました。

「模写?。そんなものは芸術的な才能の証にはなりません。それよりも、フェルメール

のオリジナル作品を描いて見せましょう」

 

いまやメーヘレンを半ば信じている取調官ピラーは、記者会見を開きこう告げました。

「被疑者は今、ヘルマンゲーリングに売ったフェルメール作品<姦通の女>が、実は贋

作だと主張している。彼の自白によれば、彼はフェルメールその他の画家による12点ほ

どの作品を偽造した、それらの多くは一流の公私のコレクションに収蔵されている。

中でも重要な作品はボイスマン美術館自慢の<エマオの食事>である。」

そして、第2回目の記者会見で、被疑者が自分の絵であることを証明するため、皆の前

で新たにフェルメール作品を描くことになったと告げると記者たちは騒然となり、海外

をも巻き込んだ騒ぎとなりました。

やがて別室に準備が整えられ、関係者が見守る中でメーヘレンが作業に取り掛かりまし

た。

ここまでの話は「私はフェルメール」(講談社)という本をベースにして勝手に要約

たものですが、その本ではこの場面をこのように書いています。

“描写の作業が始まるや、そこにいる誰の目にも、その男が<姦通の女>を簡単に描け

る画家で、おそらく<エマオの食事>を製作するだけの才能に恵まれていることが明ら

かになった。”

この衝撃的な”実演”により、世間のムードは一気に変わりました。

昨日までの売国奴が英雄になったのです。

裁判のムードも変わりました。弁護人も余裕の弁論を繰り広げます。

“被告は提供しているのがフェルメールだと口にしたことは一度もない。フェルメール

作品だと言ったのは専門家たちなのです。このどこが詐欺なのか”

“犠牲者のうちの誰も作品を手放そうとしない。その中の一人は購入金額の全額を支払

うと言われても断ったのです。どこに被害者がいるというのか”

 

裁判は一気に進展し、判決が下りました。それは、判事の力の及ぶ範囲で最も軽い禁固

1年というものでした。検察側の勧めに従い、贋作は破壊されず持ち主たちに返還され

ました。

<姦通の女>はオランダ国家の所蔵となり、未売却の作品はメーヘレンの元に返されま

した。

そして判事は2週間の異議申立期間を提示し、メーヘレンは保釈金を収めて仮釈放の身

となりました。そして、女王への恩赦請求が準備されている最中に彼は突然の心臓発

作に見舞われ命を落としました。結果的に1日も刑に服することなく生涯を終えること

になったわけです。

彼の作品は、贋作でありながら破棄されることもなく多くの美術館に所蔵されていま

す。それは、ハン・メーヘレンの画家としての才能が認められた証でもあり、彼にとっ

ては最高の結果というべきでしょう。

 

概して、「偽物」はただ「偽」というその理由だけで、馬鹿にされ、嫌われ、蔑まれま

す。しかし、「偽物」の中には、なかなか”天晴な偽物“もありそうです。

また、「偽」は「真似」に通じる部分があり、「真似」も同様の扱いを受けがちです。

童話などの世界でも、人のまねをして失敗する話はいくつもありますが、「学び」の元

は「まねび」であることを思うと、「真似ること」を端から否定するのもいかがなもの

かと思う次第です。

                           2022.1.7