樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

靖国神社について(9)(Y-64)

ここまで。靖国神社に関する経緯や問題点などについて、長い話を続けてきましたが、

現在も問題解決の方向は定まっていません。これまでに提案された解決策は、いずれも

各方面全体からの支持を得るには至らず、今は完全に手詰まりの状態です。それらの解

決策のどこが問題なのか、それらを克服する解決策はあるのか、及ばずながらそんなお

話しをして最終回にしたいと思います。

 

<これまでにあった問題解決への提案>

靖国問題を解決しようとした試みは次の4つに集約されるかと思います。

これらの対策案はことごとく実りませんでしたが、何が問題だったのでしょうか。

<靖国神社廃止案>

この提案は、終戦直後に石橋湛山が唱えた説です。

石橋湛山は、在職わずか65日という短期間ながら第55代の総理大臣となった人で、”元

祖リベラル”といってもいいような政治家です。彼が提唱した「小日本主義」は、ある

意味理想主義的なところもあり、その思想は脈々と現在も受け継がれているようにも思

われます。

新党さきがけ」を立ち上げた武村正義などはその典型で、彼のキャッチフレーズ

“小さくともきらりと光る国”はまさに「小日本主義」を言い換えたようなものです。

“小さくてもキラリ”に該当する国といえば、スイス、イスラエルといった国がまず頭に

浮かびますが、それらの国と日本を世界の順位で比較してみましょう。

           面積    人口   GDP

    日本      61位       12位   3位 

    スイス      131         100        20

    イスラエル    148          97         29

単純に面積、人口、GDPを世界ランキングで見ればわかるように、スイスやイスラエル

は小さくとも光る国と言えるでしょうが、日本は決して小さくはありません。それどこ

ろか、結構大きな国なのです。

話があらぬ方向に発展しそうなのでこれ以上は止めますが、“靖国廃止論者”は概して“小

日本主義”の影響を受けており、“中国寄り”の傾向があるような気がします。

いずれにせよ現行法の下では、よほどの犯罪行為でもない限り、靖国神社に対し解散命

令を出すことなど不可能です。

仮に、共産党が政権を獲ればできるのかもしれませんが、それはかなり非現実的な世界

なので、靖国廃止論もまた非現実的な話としか言いようがありません。

 <A級戦犯分祀

靖国問題A級戦犯合祀から始まったのだから、A級戦犯分祀すれば解決する」とい

う単純な発想ですが、不思議なことにメディアや評論家・学者などいわゆる知識階級に

支持されている解決策です。しかしこの解決策は、更なる混乱を引き起こす可能性があ

ります。中国や韓国が靖国批判を始めたのは、A級戦犯合祀からかもしれませんが、多

くの場合「“戦争犯罪人”が祀られているからダメ」と言っているからです。A級を分祀

したら次は、B・C級をどうするのかと言い出すことは間違いありません。この案を持ち

出す勢力の狙いは、いつまでも”靖国カード“を持ち続けることにあるのではないかと疑

ってかかる必要があります。

そもそも、靖国神社側は“分祀”というのは、いわば同じものをコピーするようなものと

言っており、一体化した祭神から元の“個”を選別して取り出すことは出来ないと断言し

ていますので、この案は端から成立しないのです。

この案の補強材料として、横井正一、小野田寛郎、その他いくつかの例のように、合祀

されたが実は生きていたという事実が持ち出されることが在ります。しかし、これは単

純に、“生きている人は最初から招魂されていない”わけだから問題になりません。また

遺族側から、“合祀には反対だ、本人もそれを望んでいない”という訴えがあります。こ

れも、“本人が望んでいなければ勧請(招魂祭)に応じていない”と神社側は説明してい

ます。つまり、合祀されるか否かは神社と御霊の関係のみで決まるということを理解す

る必要があります。

靖国神社国家護持法案>

この案は、靖国神社を宗教法人から特殊法人に変え、国の管理下に置くというもので、

昭和44年(1969)、自民党がこの法案を提出しました。この年は審議未了で廃案となり

ましたが、その後も毎年提出を繰り返し、6回目の49年ようやく衆院を通過しました。

しかし、これも参議院を突破できず廃案となりました。

この法案提出は、神社本庁及び遺族会の活動に押されたものではありましたが、神社神

道以外の各宗教団体のすべてから反対され、さらには肝心の靖国神社からも反対されて

いるので、仮に国会を通過したとしてもその実行には困難が予想されます。

<国立追悼施設の設置>

この案を最初に言いだしたのは、昭和49年(1974)に財団法人(現在は公益財団法人)

として設立された「協和協会」ではないかと思います。初代会長は岸信介でした。現在

は会長不在で、清原淳平(北村昌之)氏が代表理事となっていますが、活動の実態はほ

とんどないものと思われます。協和協会の案は、靖国はそのまま存続させながら新たに

追悼施設を設け民間の犠牲者も含めて追悼するというものでした。

これとは別に、平成17年(2005)超党派議員連盟として「国立追悼施設を考える会」

が発足しました。自民・民主・公明等から100名を超えるメンバーが集まりましたが。

実現には至りませんでした。実はこの案には、”遺族会が反対“という致命的な欠陥があ

りました。“そんなものを造っても誰も参拝しない”というわけです。

他にも、“それは新たな「国のための死者」を受け入れる装置に過ぎない”といった反対

の声(田中伸尚)”もありました。

<靖国神社側(松平永芳宮司)の見解>

靖国神社側は、国家護持法案には断固反対、国立追悼施設には冷ややかな態度をとり続

けています。それは何故なのか、A級戦犯の合祀を断行した松平永芳宮司宮司の言葉

からその理由を探ってみましょう。

彼が宮司就任の際に心に決めたのは、“決断を要する場合は、祭神の意に沿うか沿わな

いか、遺族の心に適うかかなわないかを第一に考える”であり、次の三原則を守ること

を決心したのだそうです。

  • 日本の伝統の神道による祭式で御霊をお慰めする
  • 鳥居や神殿などの神社のたたずまいを絶対に変えない
  • 明治天皇命名された社名を変えない

そして、彼はこう述べています。

“戦前と異質な戦後の国家による国家護持では危険なので、靖国神社は国民一人一人の

「個の連帯」に基づく「国民護持・国民総氏子」で行くべきである。明治以来靖国神社

の収入のほとんどは、玉串料やお賽銭などの社頭収入であり、実質的に民営であった。

この考えに至ったのは、1985年の中曽根首相公式参拝で、首相が伝統の儀礼をことご

とく無視し、これに従わなかったときからである。“

このような方針を打ち立てた松平宮司(第6代)は平成4年に退任し、その後は概ね5年

毎の交代があって現在は山口宮司(第13代)となっています。現在の靖国神社側の考え

が当時のままであるかどうかは分かりませんが、大きくは変わっていないとすれば、こ

こに上げた四つの解決策は、何れも実現の可能性が低いものと考えざるを得ません。

では靖国問題を解決するための妙案はあるのでしょうか。

<期待できない司法決着>

昭和54年ごろ、各地方議会から「総理大臣などの靖国神社公式参拝を求める決議」が一

種のブームとなったことが在りましたが、これに岩手県から反対の声が上がりました。

政教分離を守る会」という市民グループが、「公式参拝を求める決議」に賛成した議

員ら40名を相手取り、「被告らは岩手県に対し7万1,657円(決議文の印刷費や持参の交

通費)を支払え」という訴えを起こしたのです。この訴訟の途中において、県が昭和37

年から毎年玉串料などを支出していたことがわかり、その公費の返還要求も併せて審議

されることになりました。

提訴から約8年の審議を経て、昭和62年3月、盛岡地裁の判決は何れも合憲判断がなされ

訴えは全面的に退けられました。しかし、55名の大弁護団を組織して臨んだ仙台高裁に

おける控訴審(H.3.1.10)では、同じく市民グループ側の敗訴ながら、“公式参拝憲法

20条3項が禁止する宗教的活動に該当する違憲行為と言わなければならない”という傍論

が付けられました。これに対し、県側は直ちに上告しましたが、“全面勝訴している以

上上告の理由はない”として却下されました。これに対して県側はさらに「特別抗告」

をしましたが、「抗告の理由がない」ということで却下されました。

その後、時の首相の参拝などをめぐって「靖国関連訴訟」が何度もありましたが、いず

れもこの岩手県靖国訴訟と概ね同じような判決が繰り返されています。つまり、原告に

対する法的利益の侵害はない(被告側勝利)。尚、判決とは無関係ながら、政教分離

則に関しては違憲又はその疑いがあるというものです。そして、尚書きの部分(傍論)

を不満として被告側が上訴すると、裁判に勝っている側がとやかく言う権利はないとし

て打ち切られるのです。実は、原告側は最初からこれを狙っていて“違憲判決が下され

た”と言って、快哉を叫ぶという筋書きです。前例がこれほど積みあがった状態で、今

後司法に画期的な判断が生まれる筈もなく、司法による決着は期待できません。

<靖国神社の意義>

中国や韓国などからことあるごとに反日カードとして利用され、国内にもその存在に疑

問の声がある中で、はたして靖国神社に未来はあるのでしょうか。その存在意義はどこ

にあるのか、それが現在の我々日本人に問いかけられているわけですが、私は次のよう

な意義があると考えます。

*反省の場として

A級戦犯として裁かれた人たちの人物像を改めて個々に眺めてみると、昭和天皇に名指

しされた松岡、白鳥のように、国益優先のナショナリズムから判断を誤った人もいます

が、世界征服を夢見て”共同謀議“を重ねた人などどこにいるのでしょうか。本当の姿と

して見えてくるのは、むしろ平和主義、親米派親中派と呼ぶべき人たちが多いので

す。少なくとも、対米戦は避けようと努力していた人たちがほとんどです。それが何故

対米戦に踏み切ったのかと言えば、一つには挑発に乗せられたこともあるでしょうが、

最大の理由はやはりマスメディアと国民の圧力ではないでしょうか。中でもマスメディ

アの影響を見逃すことは出来ません。指導者たちはその空気に押されてしまったのです。

敗戦当初は、国民もそのことを感じていたと思われますが、“君たち国民は悪くない、

天皇も悪くない、悪いのはこいつらだ”というGHQプロパガンダにすっかり乗せられ

てしまいました。

何が言いたいのかと言えば、“本当に反省しなければならないのは、むしろマスメディ

アと一般国民ではないか”ということです。そして、そのことを自覚させるためにA級戦

犯を靖国に合祀する意義があるのではないかということです。「和をもって尊し」とす

る日本人の協調性は“付和雷同”しやすいという欠陥にもつながっていることを自覚しな

ければなりません。そして、マスメディアが揃って同じことを云いだしたら警戒が必要

です。現時点でマスメディアは、同じような方向を向いているようにも見えます。それ

は”要注意“の状態かもしれないのです。

*鎮守の杜として

“現在我が国の直面する国難の大半は祖国愛の欠如に起因する”

これは数学者であり人気エッセイストでもある藤原正彦の言葉です。祖国愛とは、祖国

の文化、伝統、歴史、自然などに誇りを持ち、またそれらをこよなく愛する精神をい

い、英語ではペトリオティズムといって、同じ愛国心でも国益主体のナショナリズム

は違うと述べています。

“国破れて山河在り”は、唐が滅んだ時に杜甫が詠んだ詩の一節ですが、靖国神社は東京

が焼け野原になった後も残っていました。靖国の杜(もり)は残っていたのです。

靖国神社軍国主義者などに利用された時期があったことは否定できませんが、元

来“国靖かれ”という願いが込められた神社なのです。靖国は、まさに鎮守の杜であり、

ペトリオティズムのシンボルなのです。

<現状に堪え憲法改正を目指す>

日本には、“憲法教”の信者かと思わせる人たちがいます。まるで唯一絶対神のごとく憲

法を崇拝し、「憲法が禁じる○○」、「憲法が保障する○○」といった言い方をする特

徴があります。しかし、本当は憲法が禁じているのではありません。誰が禁じているか

と言えば、その憲法が生まれた時代の多数派です。その時の国民が(そうとも言えない

ことが問題ですが)国家権力に暴走を防ぐための枠をはめたものなのです。

だから、「憲法によって禁じられている○○」というべきであり、言い換えれば「多数

派によって禁じられている○○」なのです。したがって、時代とともに或いは環境の変

化に合わせて憲法の加筆修正が必要で、たいていの国でそれが行われています。しかし

ながら、日本の憲法改正は極めて難しい条件となっているうえに、憲法の条文を戒律の

ごとく守ろうとする“憲法教”の信者たちがいるので、未だにただの一度も改正されたこ

とが在りません。世界的に見れば、これは珍しいどころか異常な状態なのです。

憲法はそれ以前の明治憲法の改正手続きに従って行われましたので、一応国家として

の継続性があると考えられますが、内容的には一種の革命です。そしてこの憲法は一度

も国民の審査を受けていません。それでも国民に支持され愛されてきました。それなり

に時代を先取りした、すぐれたところも多かったからでしょう。

ところが、元々GHQが1週間ほどで書き上げ、それをおそらく未熟な担当者が翻訳した

ものなので、前文などは気持ちの悪い日本語ですし、流石にぼろが出始めました。と同

時に、世界環境が変化したので、足りないところや辻褄が合わない箇所が多くなってい

ます。

有体に言えば、世の中が“憲法違反だらけ”になっているのです。憲法最高法規なの

で、それを糺す手段がありません。つまり憲法は死にかけているのです。

今ここで話題にしている憲法20条もすでに死んでいると言わざるを得ません。裁判所

は、この条文を靖国神社だけに適用しています、それも極めて厳密にです。外国には、

完全休暇(休暇中は代行者が務める)制度を持つ国もありますが、日本の要人は常に緊

急事態に対応しなければなりませんので、完全に私的な時間はありません。公用車、ボ

ディーガードなどを使えば公用と言われても元々純粋な私用というものがないのです。

ところが、伊勢神宮参拝や皇室行事については何も文句を言いません。国が関係する事

業で地鎮祭や起工式が行われても問題にしません。憲法7条で定められている10項目の

天皇の国事行為には、「儀式を行うこと」という項目がありますが、その儀式は神社神

道の祭式と深く関係しています。しかし、立憲君主国のなかで、宗教的な儀礼を完全に

排除している国があるでしょうか。共和国でさえ宗教的な儀礼を取り入れています。

前にも言ったと思いますが、明治憲法では神社神道を宗教の埒外に置き、国家の管理と

しました。再びその方策をとることは無理かと思いますが、20条の適用外に置くことは

可能かもしれません。私たちの感覚として、「神社神道は日本古来の習俗であって宗教

ではない」ということにさほど違和感はないと思います。

そのためには、もはや憲法を改正するしか完全解決の道はないのかもしれません。

そして外国からのクレームに対しては、”内政干渉“の一点張りではねつけるしかありま

せん。そうすれば100年もたたないうちに何も言わなくなるでしょう。

とはいうものの、肝心の憲法改正の目途は立っておらず、改正されるとしても20条が対

象となるのはそのまた先のことになるでしょう。それまでどうすればいいのか、下手な

妥協は危険です。だからそれまでは、このままの状態に耐えていくしかない、

私はそう思います。

主権は国民にあります。その総意(大多数の意思)に基づくシンボルが天皇です。天皇

の国事行為が国民の総意に基づくものと考えるならば、この矛盾を解決するには憲法

改正するしかないではありませんか。

2か月考えて情けない結論になりましたが、これで靖国問題を終わります。

                        2023.12.1