樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

皇統について思うこと(その1)(Y-25)

 

できれば死ぬ前に見届けたいことが二つある。

一つは憲法改正で既に述べた。もう一つは皇室典範の改正である。端的に言えば、

女系/女性天皇容認の是非についてである。

恐れ多いテーマであり、自身迷いもあるが、経緯を振り返りながら考えをまとめ

てみたい。

この二つ、別々の問題に見えて実は大いに関連性のある問題でもある。

 

皇統の危機

1945(S .20 )年、日本がポツダム宣言を受け入れ降伏したとき、連合国の中には

天皇の責任を問う勢力も少なからず存在した。そうした雰囲気の中で、当時の指導者

は、GHQ主導の憲法を受け入れ、東京裁判の被告たちは理不尽な判決を受け入れた。

多くの国民もまた、息をひそめてひたすら天皇の身を案じていた。

皆が皆、“天皇さえ存続すれば、日はまた昇る”と信じ”我慢した“のである。

一方、アメリカも天皇の存在を必要だと考えた。それは占領政策を円滑に進めるため

でもあったが、最大の理由は、おそらく日本の赤化防止であっただろう。

だからといって、彼らが天皇制の永続を望んでいたかというと、そうでもなさそうな

事実がいくつかある。敗戦時には、14の宮家が皇族を形成しており、皇位継承資格者は

第1順位の明仁親王(現上皇)以下32位の閑院宮春仁王まで順位が決まっていた。

それが今上陛下(昭和天皇)の弟宮3家のみとなり、新憲法と同時に改定された皇室

典範は、歴史上最も皇位継承の条件が厳しいものとなった。

マッカーサーは、死刑を宣告されたA級戦犯の処刑日を、皇太子(現上皇)の誕生日と

した理由を明かしていないが、旧皇室典範が定める皇位継承資格”男系の男子“に手を加えていないことと合わせて考えるならば、その本音は“皇統の断絶”であったかもしれない。

そして現に今、その危機的状況が訪れている。

 

女系天皇容認論の台頭

皇位継承問題は、今から14年前、つまり2006年(H18 )9月6日、実に40年9か月

振りの皇族男子として悠仁親王が誕生されるまでの間は、今よりも数段深刻な状況

にあった。

そこで、当時の小泉総理は、2005.1.25(H17 )私的諮問機関として「皇室典範

関する有識者会議」を設置し、同会議は17回の会議開催を経て11.24に答申を発表

した。

その結論は、“皇位継承資格については女子や女系の皇族に拡大することが適当である”

というものであった。そして継承順位については、次の4案を示し①②を推奨した。

 

 ① 長子優先(男女にかかわらず直系の長子が皇位を継ぐ)

 ② 兄弟姉妹間では男子優先

 ③ 男系男子優先

 ④ 男子優先(男系女系にかかわらず男子優先)

 

結びにはこう述べられている。

“多角的に問題の分析をした結果、非嫡系継承の否定、我が国社会の少子化

といった状況の中で、古来続いてきた皇位の男系継承資格を女子や女系の

皇族に拡大することが必要であるとの判断に達した。検討に際しては、今後

皇室に男子がご誕生になることをも含め様々な状況を考慮したが、現在の

社会状況を踏まえた時、中長期的な制度の在り方として、ここで明らかにした

結論が最善のものであると判断した。“

 

この有識者会議のメンバーは、

吉川弘之 (元東大総長、座長)

園部逸夫 (元最高裁判事

岩男寿美子(慶大名誉教授、故人)

緒方貞子 (国際協力機構理事長、故人)

奥田 碩 (日経連会長、トヨタ会長)

久保正彰 (日本学士院院長)

佐々木毅 (元東大総長、学習院大教授)

笹山春生 (東大名誉教授、歴史学

佐藤幸治 (京大名誉教授)

古川貞二郎(元内閣官房副長官

の10名であった。

“批判は許しませんぞ”とでも言いたげな”重鎮“揃いだが、おそらくこの中に、肝心の

天皇家の意向を踏まえて参画した人物はいない。また、単純に男女平等の観点から

意見を述べた複数の委員がいたとも伝えられている。

いずれにせよ、この答申を朝日、毎日、読売は肯定的に評価し、ひとり産経のみが、

“将来天皇に対する敬愛の念が薄れ日本という国家のありようを危うくする恐れあり“

として懸念を表明した。

世論調査の結果も7,8割が答申を支持し、皇室典範改正に向けた動きは本格化

するかに見えた。

ところがその流れは一瞬にして凍り付いてしまったのである。

 

衝撃のニュース

有識者会議の答申が発表されてからわずか2か月後、2006年2月7日の衆院

予算委員会での出来事である。民主党議員の質問の最中に首相秘書官がメモを

片手に小泉首相に歩み寄り何かを告げた。中継カメラは小泉首相の「えっ⁉」と

驚いた表情をとらえ、なにごとか重大な事態が生じたことを想像させた。

そして間もなく、“秋篠宮紀子妃殿下にご懐妊の兆候あり”とのテロップが流れた。

有識者会議の答申は、もともと現状の危機を打開するためのいわば”方便“である。

見えていた結論に理屈付けをしたようなものとみることもできる。

然し状況は一変し、“結論を急ぐな”という空気が国民の間にも広がった。

そして、何という幸運であろうか、2006年9月6日、おそらく史上最もその誕生が

待ち望まれた皇子がお生まれになったのである。

しかし、それで皇統の危機が完全に解消したわけではない。

                         -続くー

                               2020.11.26