樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

はじかれた6人(J-36)

日本学術会議は各学界を代表する210名の専門家で構成され、任期は6年、

その半数が3年毎に改選される。戦前にあった「学術研究会議」に代わって

戦後まもなくの(つまりGHQ支配下の)昭和24年に設立されたもので、

歴史は古い。

候補者の選出は紆余曲折を経て、2005年からは現在のコ・オプテーション方式

(簡単に言えば現会員が後継者を選ぶ)方式に変わっている。

任命するのは首相である。

ところが今年、105名の候補者のうち6名が任命されなかったことが判明した。

一見何でもないことのように見えるが、これが前代未聞とあって騒ぎは次第に

大きくなっているように見える。

この事実をメディアが一斉に報じたのは102日であるが、当初その扱いには

大きな差異があった。

その間の事情を105日、毎日新聞のコラム「風知草」が伝えている。

曰く

“「日本学術会議」新会員候補6人の任命を首相が拒否したことに驚いたが、新聞の

扱いに大きな差が出たことにもっと驚いた。朝日、東京、毎日は1面トップか

純トップで学者組織への権力介入を批判。読売、日経、産経は社会面か内政面の

2段か3段、事実に絞って伝えた・・・“

私はこの記事そのものに、もっと驚いた。

日頃、“いろんな意見があることを認め合おう”と主張しているご本人が、

“こんな大事なことを小さく扱うなんて・・・!“と怒っているからである。

戦前のメディアや世論が画一的であったことを心底憎んでいるひとが、

”オレに歩調を合わせないやつがいると嘆いているからである。

 

弾かれたのは、すべて第1部人文科学系の候補者で

宇野重規政治学・東大)、岡田正則(行政法早大)、

小沢隆一(憲法・東京慈恵医大加藤陽子(日本近代史・東大)、

松宮孝明(刑事法・立命館大)芦名定道(キリスト教学・京大)

6名である。いずれも安保関連法などで政府に反対意見を述べてきた先生方だ。

除外した理由を明かさずとも、そのわけは明明白白と言えるだろう。

 

日本学術会議が何をしてきたか、詳しくは知らない。

しかし、私にはある古い記憶がある。

それは、「建国記念の日」をめぐる激しい論争があった昭和41年ごろの記憶で、

私は大学生であった。

政府自民党は、211日とする案を提出していたが、それは紀元節の復活だと

反発する動きがあり、社会党5.3憲法記念日公明党4.28サンフランシスコ講和条約が結ばれた日、民社党朝日新聞も)は4.3聖徳太子17条の憲法制定の日、その他にも1.1(元旦)や8.15終戦)、立春など様々な案が出されていた。

そうした論争の中 日本学術会議は、最も国民の支持を得ていた2.11案に反対の意見を

具申した。(正確には、「学問・思想の自由委員会」が決議し総会がこれを承認した)

その後、「軍事研究」を禁止するような動きや、妙に中国と仲がいいような雰囲気も

あって、私にはこの組織が何となく左翼系の学者に牛耳られているように感じられた。

物忘れの名人がなぜこんな古い話を覚えているかというと、わけがある。

それは、ある日の哲学の授業でのエピソードである。

その哲学教授は、電車に自分の子供を置き忘れて帰ったというエピソードを持つ先生

であったが、当時建国記念日が話題になっていたことから、

「今話題の建国記念日だが、君はいつがいいと思うかね?」と聞かれた。

私は大した考えもなく、

「建国の日がいつだったかは分からないので、211日がいいと思います」と答えた。

他の案はいずれも、それが建国の日ではないことがはっきりしているので、証拠は

なくても、昔それを祝っていた日に戻すしかない、という意味であったのだが、

先生は、「ほう?」と言って首をかしげただけで、それ以上は聞かなかった。

その後気になって、紀元節をどうやって決めたのかを調べてみたりもしたので

今でも覚えているのである。

 

いずれにせよ今回、強い反発が予想される処置にあえて踏み切った首相の頭の中には、

以前からの問題意識が巣食っていたからに違いない。

首相の表情からは、並々ならぬ覚悟が秘められているようにも感じられる。

 

ここに1970年に筑波大学長、三輪知雄先生が残したコメントがある。

“大学自治と称するカーテンによって閉鎖された特殊社会であり、そこを職場とする

教師たちにはお坊ちゃん的な甘さがあり、独りよがりの色合いが濃く、また

おしなべて反権力的である。このような環境は進歩的左翼の育つ絶好の場であって、

学術会議は主にこのようなところから送り出された人たちから成り立っている“

学術会議にたいする批判もまた、決して稀ではない。 

もしかすると、学術会議はもはや時代遅れになっているのかもしれない。

頼りにされているのはむしろ、必要に応じて組織される他の諮問機関だ。

 

次のメンバーを現会員が選んで首相に推薦し、その通りに発令されないと

「前例がない」「違法である」と騒ぐところなど、まさに三輪先生のご指摘通りに

見えてくるのだが、首相には撤回する気がないらしい。仮に首相が折れたとしても、

学術会議との関係は冷え切ったものになるだろう。

メディアには、はじかれた当の先生ばかりが登場して、学問の自由が脅かされる

と危機を訴えるのだが、選ばれた他の先生方の意見も取材してもらいたいものだと

つくづく思う。たとえそれが ”ノーコメント” であったとしてもだ。

                          2020.10.6