樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

不安ビジネスと平和(J-37)

家の電話が鳴ったとき、決めているわけではないが、我が家では原則妻がとる。

私では、たいてい交代することになるからである。

妻の友人たち(つまりは高齢のご婦人たち)は、固定電話をよく使う。

たしかに、携帯電話とはまことに無作法なツールで、彼女たちは、それなりに

気を使っているのであろう。

 

電話は、妻が不在の時にもかかってくる。

妻は必ず相手の番号を確かめ、それが非通知であったり0120局番なら、

留守電で対応しているようだが、私はすぐに受話器を取り上げる。

正直に言うと、心のどこかでオレオレやアポ電を期待している。

これを撃退して、ブログに書けば面白かろうというわけだ。

それがただの一度もないところを見ると、どうやら彼らは私の莫大な資産を

知らないらしい。(実際はその逆であることがバレている?)

 

知人以外の着信でで最も多いのは保険の勧誘である。次いで家屋の点検修理、

サプリメントの勧めといったところだ。

保険は将来不安に対する備えであるから、実は高齢者にとっては、もう比重が

軽くなっている。老人の不安は、病気や事故よりもむしろ、長く生きすぎる

ことへの不安だ。

にもかかわらずである。この老人に、保険に入れと勧めるのである。

曰く、

「葬儀費用として貯蓄型の・・・」とか

「現在加入されている保険では、先進医療に適用されない・・かも・・・」

と情熱的に(途中で切られないように)隙間なく話し続ける。

やっと切れ目を見つけてこちらの言い分を言う。

「いや、もうお墓もありますし葬式は家族葬で十分ですから」とか、

「もうこの年ですから、いくらか寿命を延ばしてもらうよりは、楽に死ねた

方がいいです。手術よりはモルヒネを選びます」と答えると、

「そうおっしゃらず、残されたご親族のために・・・」

と食い下がってくる。

「でははっきり言いましょう。もう私自身は稼いでいないのですから、

その保険に入って一番得をするケースというのは、私にとっての最大の不運

ということになりませんか?つまり、加入してすぐに死ぬか、ややこしい病気

にかかるというケースです。それは胸糞悪いから希望しません」

 

ひとこと「結構です」と言えば済むものを、いちいち断る理由を説明するのは

それだけ暇だということでもある。

(性格が悪いから?)・・・認めます。

本当は、もう諦めてもらうのがお互いのためだと考えているからなのだが、

しばらくすると、また別のところからかかってくる。

 

家の点検修理改築などの勧誘も多い。

屋根・床下・水回りなど、こちらには分かりにくいところをまずは無料点検

しますと言ってくる。

「全国的キャンペーン中で、そちらの地区は○○日の予定になってますが

ご在宅ですか」などと、いきなり言ってくる怪しげな業者もある。

そして、床下に潜って写真を撮り、このとおり水漏れの痕跡があるなどと言う。

とりあえず保留して別の業者に見てもらうと、今度はまた別の個所だ。

挙句、このままでは遠からず浴槽が落っこちるなどと脅す。

浴槽はそんな構造ではない。いよいよ怪しい。

どうやら、彼らは自分が受注したい工事・作業に結び付く兆候を創造している。

そこまではないとしても、かなり誇張して不安を煽っていることは確かだ。

 

サプリメントの勧めもどこか似ている。

いったい世にどれほどのサプリメントが出回っているのだろうか。

健康維持と美容、言い換えれば老化防止だが、ずばりアンチエイジング

謳ったものもある。

人の体はタンパク質と水で出来ている。しかし、食物としてタンパク質を

摂取してもそのまま置き換わるわけではない。

それは消化器官の中でアミノ酸に分解吸収され再び合成される必要がある。

コラーゲンを摂取しても、そのまま自分のコラーゲンになるわけではない。

しかも、いわゆる「桶の理論」で他のアミノ酸とのバランスが悪ければ、

無駄になってしまう。欲しいものだけというわけにはいかないのだ。

いっそのこと、毎日卵を23個食べれば済む話なのかもしれない。

おそらく、薬よりも食事、睡眠、適度の運動の方が理にかなっている。

 

ここで述べてきたビジネスは、いわゆる「不安ビジネス」と呼ばれるものだ。

しかしよく考えてみると、その不安の中身は皆、どちらかと言えば

”ぜいたくな悩み“ でもある。

かつて山本七平が、謎のユダヤイザヤ・ベンダサンを名乗って書いた

ベストセラー、「日本人とユダヤ人」の冒頭にこんな話があった。

”出張先のニューヨークで高級ホテルを数日利用することになった、ある日本人

ビジネスマンのエピソードである。

彼は、毎日食堂などで顔を合わせる、あるユダヤ人夫婦と知り合いになった。

その夫婦はどうやら、宿泊というよりは、この高価なホテルに住んでいるらしい。

だが生活ぶりは極めて質素なもので、このホテルにふさわしい客には見えない。

不思議に思った彼は我慢しきれず質問した。

「あなた方はなぜこんな高いホテルに住んでいるのですか?」

ユダヤ人夫婦は答えた、

「ここは安全ですから」

「・・・・・」

というエピソードである。

ベンダサンは続ける。

”「地震・雷・火事・親父」は、ユダヤ人の私にとって実に興味深い言葉である。

この中には戦争も、伝染病も、ジェノサイドも、差別も、迫害もない。

地震・雷・火事・親父」はいずれも一過性のもので、少しの間我慢していれば

やがて通り過ぎてゆく。命を守るために外国へ逃げた日本人など見たことがない。

安全と水はタダで手に入ると考えている日本人、何と幸せな民族であろうか・・”

 

そう言われてみると、我々には安全に対するコストを無駄なものと考えている

節がある。保険や防衛費は“掛け捨てになること”こそが最善の結果だということ

がわかっていない。

「不安ビジネス」はここに挙げたものばかりではない。周りを見渡してみると、

世の中「不安ビジネス」だらけである。

防犯グッズ、防災グッズ、ドライブレコーダー、ウィルス対策ソフト・・・

天気予報なども入るかもしれない。台風の情報など最近の天気予報はちょっと

脅しすぎではないかと思うほどだが、実は不安ビジネスの対象となっている

脅威や心配事はどれもこれもそれほど致命的・圧倒的なものではない。

例えば戦争にでもなれば、たちまちにして消えてしまいそうな”不安”である。

不安ビジネスが繁盛するのは、平和の証でもあり、結構なことだが、

その裏で、本当の脅威に対する感受性が鈍っているのではないか、

という ”不安” もある。

                        2020.10.14