樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

「尊厳死」私の選択(Y-21)

 

先月(7月)24日、毎日新聞の一面トップに「ALS患者を嘱託殺人」

という事件が報じられて以来、そのことが頭から離れない。

元来自分は、尊厳死安楽死についてはどちらかと言えば肯定的で、

自死」に関しても全否定するような宗教観は持っていない。

なぜなら、それらはある意味 “最も人間らしい行為のひとつ” である

ようにも思われるからである。

例えば、卑近な例としてソウル市長の自殺などは、わが身に置き換えれば

それしかない“おとしまえ”のような気もしないでもない。

だからといって、全面肯定というわけでもない。

なんとなく、歯切れが悪い表現になってしまうのは、

やはりケースバイケースだと思うからである。

 

冒頭に述べた事件、実はその日には詳しく記事を読まなかった。

「嘱託殺人」という”決めつけ“から、当事者の心情などそっちのけにした、

いつもながらの議論が展開されているだろうと、当方も”決めつけ“て

しまっていたからである。

その後。追跡調査記事やALS患者ながら社会活動をする女性医師の寄稿

などが紹介され、今回はかなり異質だと感じたので、あらためてこの事件を

読み直してみた。

 

二人の医師が逮捕されたのは723日であったが、事件そのものは

昨年(20191130日に起きている。

最大の問題は、この医師たちが担当医でなく、SNSでのやり取りによって

無法の“有償契約”を成立させていることである。

いわば嘱託殺人の請負人がたまたま医師であったというべき事件で、

私のような考えを持つ者にとっても、これは”アウト“としか言いようがない。

尊厳死安楽死をめぐる事件は、不起訴もしくは有罪のケースにおいても、

執行猶予がつくことが多いが、今回はそうはなるまい。

当然のごとく、昨日(8.13)起訴されたが、おそらく「自殺ほう助」も

認められず、執行猶予もつかない実刑判決となりそうな気配である。

 

しかしながら、“これにて一件落着”というわけにもいかない。

そもそも、ALS患者の女性は”被害者“なのだろうか。

彼女にとっての最悪のストーリーは、お金だけ取られて逃げられる

というケースである。

医師の口座に130万円が振り込まれていたことが判明したが、

殺人依頼としての対価として考えるならばむしろ”格安“というべきで、

両者の間に、尊厳死あるいは自殺ほう助という共通認識があればこその

事件であるとも言えよう。彼らにとっては、この国の法的整備が未完で

あるが故のやむを得ない行為であったのかもしれない。

 

考えてみれば、他人ごとではない事件だ。

この国には、約1万人のALS患者がいる。癌などの末期患者はその数十倍

はいるだろう。

その中に、いつ自分が入ってもおかしくない年齢に、すでに達している。

心地よい想像ではないが、覚悟は必要だ。もう心揺れ動く齢でもない。

 

本題に入ろう。

私は尊厳死を望む。

つまり、延命治療は望まない。胃ろう、人工呼吸器は拒否する。

意識がなくなれば、そのまま枯れるように死を迎えたい。

 

思い出すのは愛犬の死である。

19年生きた「サスケ」は、最後は何も食べなくなって、買い物に

出かけている間に、妻が作った小さな布団の中で眠るがごとく

息を引き取った。

帰ってみると、出かける前と同じ姿で、体にはまだぬくもりがあった。

これこそが理想である。

(補)

「爺怪説(J)」として書き始めたが、内容的に「遺言(Y)」となって

しまったので、Yシリーズに入れることにした。

                         2020.0814