樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

75回目の敗戦記念日に想う(Y-22)

 

報道によると、今年の戦没者追悼式典は、40のうちの37が中止

または規模縮小の開催となったようです。

勿論それは新型コロナの影響です。

例によってメディアは、紙面の多くを特集記事で埋めていますが、

特に目新しいものは見当たりません。

おそらくは作り話なのでしょうが、

“お前知ってた?日本ってアメリカと戦争したらしいぜ”

“やべっ!まじかよ!”

みたいな若者たちのエピソードが、まんざら嘘とも思われないこの時代、

戦争の不条理と悲惨、それに対する平和の貴重さ有難さを語り継ぐことは、

もちろん意義深いことです。

しかしながら、相変わらずの報道に接しながら感じるのは、

”日本はまだ先の戦争に“けじめ”をつけていないのではないか”

という実感です。

 

例えば翌日曜日のサンデーモーニング

コメンテーターには、姜尚中佐高信というお決まりの論客。

番組の中で、過去の発言を取り上げられた面々は、

中村哲野中広務後藤田正晴筑紫哲也、の各氏といったところ。

そこは、いわゆる良識派とも評される人物を慎重に選んだようですが、

この人たちの発言を巧みに“つまみ食い”しながら、導いていった先は、

“あの戦争は負けてよかった。もし勝っていたらもっと酷いことに

なっていた。負けたおかげで現憲法を持つことができた“

というものでした。

こういった思考の根底には、現憲法前文に述べられている

“日本国民は・・(中略)・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が

起こることのないようにすることを決意し・・・“

という視点があるように思われます。

つまり、真珠湾奇襲の成功に万歳を唱えた大多数のメディアと国民が、

すべての罪と責任を政府に転嫁して、

偽りの“けじめ”をつけようとしているような気がするのです。

真珠湾の奇襲を最も喜んだのは誰か・・・・、それは紛れもなく

アメリカの大統領FDR(フランクリン・ルーズベルト)でした。

アメリカは、議会も国民も、独ソ戦から欧州全域に拡大しつつある

この大戦に参戦することには反対でした。

日本の中国進出を快くは思っていなかったでしょうが、

日本との戦争にも反対でした。

アメリカ国民の大半は、二つの怪物(独裁国家独・ソ)が死闘を繰り広げ

互いに衰弱するのを眺めていればよいと考えていたのです。

対欧州外交が手詰まりとなったFDRは日本に意地悪を始めました。

そして最後通牒とも言うべき「ハルノート」を突き付けるに至ったのです。

日本は和平交渉をあきらめ、対米宣戦布告を決意しました。

しかも運悪くいくつかの事情が重なり、

(すべてを察知していたFDR側の策略という説もありますが)

真珠湾奇襲攻撃は、宣戦布告よりも先になってしまいました。

しかし、万歳を叫んだのは、実はFDRの方だったのです。

 

では、日本はどうすればよかったのでしょうか?

・・・・待てばよかったのです。

ハルノート」は、誰が見ても理不尽な要求です。それを公にすべき

だったのです。世界に・・どこよりもアメリカ国民に・・・。

現在問題となっている韓国(文在寅)との問題も、その対策は

基本的には同じではないかと思います。

 

私たちがこの敗戦記念日に思いを新たにしなければならないのは、

もっとも“ましな”制度だと考えられている民主主義に内在する欠陥

についてです。

民主主義下の自由は、民主主義を否定する思想の自由をも認めています。

つまり、共産党が政権を取ることをも可能にしているのです。

ヒトラー東条英機も(同列にしているのではありません)民主主義

の制度下で生まれた政権です。

民主主義は健全に機能している限り、民主主義を否定する思想は少数派で

あり続けます。しかし、社会不安が高まったときには、

そのバランス感覚が崩れることが在ります。

歴史を眺めるとき、民主主義の最大の欠陥はそこだろうと思います。

新型コロナ騒ぎを眺めてみると、“強制しなくても守る日本人”という

ある種の美徳が浮かび上がります。

しかしそれは“付和雷同しやすい日本人”の裏返しなのかもしれず、

私たちは時々自省してみる必要がありそうです。

                         2020.08.17