樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

腹を括って耐えるしかない(J-29)

 

「まだ死にたくない!なんて声高に言える年じゃないけど、

コロナでは死にたくないわ」と妻が言う。

その通り。後期高齢者ともなれば、「死」は「死ぬか生きるか」

ではなく、「いつ死ぬか、何で死ぬか」という形で目の前にある。

 7月に入り、あたかも感染者が再拡大しているかのような状況の中、

今日からGoToトラベル」キャンペーンが始まった。

議論は沸騰し、実施要領などの詰めの甘さも露呈して、

「これじゃGoToトラブルだな」と皮肉られながらの見切り発車だ。

除外された東京都と政府の不協和音もここまで聞こえてくる。

 

「高齢者の方はなるべく外出を控えて」と言われるまでもなく、

われら老夫婦の間で、旅行が話題に上ることはない。

“旅行先で入院して、面会謝絶のまま、エクモに繋がれて死ぬ”

というストーリーは、あまりにも受け入れ難いからだ。

“コロナでは死にたくない”というのは、そういうことなのである。

 

昨日の毎日新聞に「コロナ国内死者1000人超」という記事が載った。

この記事を書いたのは、島田信幸、斎川瞳、小川祐希という3名の記者だ。

死者が1000人を超えたというきっかけがあったにせよ、

感染者数でなく死者数に的を当てたところが、

不安を煽る従来の記事と違って読みごたえがある。

感染者数というのは、検査数に対する比率として使うときは

意味を持つが、もともとあまり使いようのない数値である。

無症状なら”患者”とも言い難く、”陽性者”と区分すべきであったのかも

しれない。

人口10万人当たりの死者数をベースにしたこの記事は、

二つのことを示している。

一つは、従来から分かっていることだが、

60歳以下の人はほとんど死なないということ。

もう一つは、6月以降の死者数は極めて低く抑えられている、

ということである。ここではっきりするのは、

高齢者自身及び高齢者関連施設の予防措置が、かなり成果を

収めているということだ。

若者たちは、その辺の事情を十分に感じ取っている。

“コロナはそんなに怖くない”

というのが彼らの実感なのである。

 

前にも書いたが、ノーベル賞の山中先生は文芸春秋橋下徹

との対談において、“日本人に死者が少ないのは、なんらかの

特別な要因(ファクターX)がある“ということと、

“このウィルスが怖いのは、元気だった人があっというまに

重症化して亡くなってしまうということだ“と述べている。

しかし、世界のデータをを眺めてみると、それは日本人特有

というよりは東アジアの特徴とよぶべきものだ。

むしろ、年代によるこれほどの差異がどこから来るものなのか、

急激に重症化する人とそうでない人はどこが違うのか、

そのあたりに「ファクターX」があるようにも思われてくる。

 

新聞記事は、“重症化する新型コロナ患者の多くは

「サイトカインストーム」を合併している“

という東邦大の館田一博先生の説を紹介している。

免疫システムの話は、専門的過ぎるためか、あまりメディア

には登場しない。しかし、

「サイトカインストーム=免疫システムの暴走」説は、

専門家の間ではよく知られた現象らしい。

 

サイトカインとは細胞から分泌される低分子のタンパク質の総称で、

いわば免疫機能の司令塔の役割を果たしている「生理活性物質」だ。

感染した細胞からはこのサイトカインが放出され、

それを検知した対ウィルス軍団ともいうべきT細胞やマクロファージ

などが集結してくる。

集まったこれらの免疫細胞はサイトカインによって活性化し、さらに

サイトカインを放出させる。このメカニズムが暴走すると、

正常な細胞まで傷つけてしまう。これがサイトカインストームである。

暴走しないように制御するのは、T細胞から分化したTreg細胞だ。

つまり、十分なTreg細胞が作られないときは、暴走の危険が高まる

ことになるわけだが、実はそこのところがよくわかっていない。

もしその原因が解明され、対策がとられたならば、

コロナはさほど怖いものではなくなる。

ワクチンよりもむしろ頼りになるはずだ。

 

ワクチン開発は急ピッチで進められているようではあるが、

実用化までの道のりは、まだまだ遠いようである。

また、ワクチンですべてが解決するわけでもない。

 

思えば23月のころ、夏まっさかりのこの時期まで、

マスクをつけさせられるとは思いもしなかったが、

こうなれば仕方がない、ジタバタせずに腹を括って、

じっと耐えるしかあるまい。

                2020.07.22