樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

自分らしさと自分のあいだ (Y-15)

 

“自分探しの旅に出る”

 

この言葉は、

サッカーの元日本代表N選手が、自身の引退会見で発表した

”今後の予定” でした。

あの時は、

“かっこいい!” という反応とともに、

“自分は「探す」ものではなくて、「つくる」ものだ”

というツッコミもあって、すこしばかり議論が沸騰しました。

この時のN選手の気持ちを勝手に想像してみると、

“これまでサッカー一筋で生きてきたので、

引退後のことは何も考えていなかった。

何ができるのかわからないし、何をしたいのかさえわからない。

だから、少し休んで、じっくり考えてみたい“ 

と、まあこんな気持ちを彼流に表現した、

ということではなかったかと思います。

それに対して、“自分は探すものではない・・”

などと大上段に振りかぶるのも大人げないというか、

あまり品のいいコメントではないような気がするのですが、

一つ言えることは、

このときN選手は、”今の自分以外の自分を求めていた”

ということです。

スポーツ選手が、例えばゴルフで予選落ちした選手が、

“自分らしいゴルフができなかった” というとき、

或いは力士が “自分の相撲が取れなかった” というとき、

彼らの頭にある”自分らしさ“は ”理想形“ を描いています。

本当は、上手くいかなかった現実の自分こそが

まぎれもない“自分らしさ”であるにも拘わらずそれを否定し、

うまくいった“過去の自分”、

あるいはあるべき姿としての“未来の自分”を構築して、

それを”自分らしさ“と主張しているわけです。

「現実の自分」は、「過去の自分」「未来の自分」の

いずれからも影響を受けるのです。

 

1996年、アトランタの女子マラソンで銅メダルを獲得した

有森裕子が、直後のインタヴューで語った、

“初めて自分で自分をほめたいと思います“

という言葉は、その年の流行語大賞にも選出され、

その後も”名言“として語り継がれています。

今、その時の映像をユーチューブなどで見直してみると、

彼女の表情は、42.195キロを走り終えた直後とは信じられないほど

生き生きとしていて、美しく輝いています。

そういえば、このときの彼女の語り始めの言葉も、

「とにかく自分らしく・・・」でした。

あの時多くの人が感じたのは、銀メダルを獲得した4年前のバルセロナ

における松野明美との代表争いで受けたバッシング、その後の故障、

手術、実績がないまま再度代表に選ばれたことへのプレッシャー等々、

苦しい状況が続いた中での「初の女子陸上連続メダル」という快挙に対する

気持ちがほとばしり出たものだろうということでした。

 

しかし、どうも本当はそうではなかったらしいのです。

 彼女は高校時代まで超一流というわけではなかったようで、

都道府県対抗女子駅伝では岡山県の補欠選手でした。

そして、その大会の開会式で、

フォークシンガーの高石友也が、激励のために詠んだ詩の一節、

 

ここまで来るのに一所懸命 頑張ってきた自分も

苦しんだ自分も 喜んだ自分も

全部知っているのは あなた自身だから

ここに来た自分を

人に褒めてもらうんじゃなくて

自分でほめなさい

              (全文不明)

に感動し、

いつかこの言葉を言いたいという気持ちで

ここの言葉を温めながら頑張ってきた

それがやっと言えた

というのが真相らしいのです。

 

私は、「自分らしさ」と「自分」もまた「虹」と「影」の

関係にあって、

生きるということは、その隙間を埋め戻したり、

あるいは橋を架けたりするようなものかと思っていましたが、

有森選手のエピソードを知って、

ただ“自分をほめたい”という一心がこれほどまでに

モチベーションを高めるものであるということに

驚嘆させられます。

これについては別途お話ししたいと思います。