樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

理想は「虹」、現実は「影」(Y-14)

このところ、世界中から発信される情報の大半が、

新型コロナウィルスの話題で占められています。

いわば、情報社会にも“パンデミック”が発生している

かのような有様です。

しかし、よく考えてみると、

世の中が比較的平穏なときにあっても、

流れるニュースの多くは、災害、事故、犯罪、不祥事等々

いわば「不幸な情報」のオンパレードです。

 

もしかして、人は生まれつき不幸や不運を好むのでしょうか。

そんなことはないはずです。

では、何故人はめでたいニュースよりも不幸なニュースに

関心を持つのでしょうか・・・。

 

よく知られている言葉で、

“他人の不幸は蜜の味” というのがあります。

この言葉は、ドイツ語のシャーデンフロイデSchadenfreude

-自分が手を下すことなく、他者が不幸、悲しみ、失敗などに

見舞われたと知った時に生じる、快い感情―

から生まれたものだと思われます。

スターやセレブの不祥事・スキャンダルなどは、

その典型と言えるでしょう。

たしかに、人は自分が「幸」であるかどうかを、

周りの不幸によって確かめているのかもしれません。

そこには、「不幸」は見えるけれども、「幸」は見えない

という事情があるようにも思われます。

 

実は、人間社会が「理想」として掲げている要件には、

皆同じ傾向があります。

「自由」「平等」「安全」「平和」「公平」・・といった理想は、

いずれも実体がありません。

これらを説明しようとすると、反対の意味を持つ

「不自由(制約)」「不平等(差別)」「不安全(危険)」

といった実体のある言葉を使って「○○がないこと」

といったふうに言わないとうまく説明できないのです。

そればかりか、制約、差別、危険などがない社会も

存在したことはありません。

私たちは、制約や差別や危険などが許容内にあるときに、

自由、平等、安全などと呼んでいるに過ぎないのです。

つまり、「理想として掲げているもの」は、遠くに見える

『虹』のようなものです。

私たちは『虹』を眺めることは出来ても、

虹の橋を渡ることも、潜り抜けることもできません。

そこにたどり着くことさえできません。

ただその方向に向かって進むことができるだけです。

だがしかし、そこには大きな問題が存在します。

その『虹』は、全方位から見えているのではなく、

特定の範囲にいる人だけに見えているということです。

別の集団には、見えていないのかもしれないし、

或いは違った虹を見ているのかもしれません。 

 

現実はその逆で、どこまでもくっついてくる『影』

のようなものです。

そこから逃れるためには、永遠の闇に消えるしかありません。

 

少々飛躍するかもしれませんが、

私は、人間社会の衝突というのは、つまるところ

「理想対現実」の争いではないかと思うことが在ります。

例えば、「革新対保守」といった場合、革新が理想派であり、

保守が現実派ということです。

しかしこれを、 「改革推進派」対「現状維持派」

と言い換えることはできません。

実態は、むしろその逆であることが多いと思います。

 

理想派の側に組み入れてよさそうな主義主張には、

社会主義」「共産主義」「独裁」「宗教」「無政府主義

といったものが挙げられます。

現実派としては、

自由主義」「資本主義」「自由貿易主義」などです。

「民主主義」の社会というのは、

理想と現実の両者を含んだシステムで、

ある時は理想側に、またある時は現実側に振れて、

潮の満ち干のように変動している世界だと思います。

 

理想主義の典型は、「独裁」と「宗教」です。

「理想対理想の衝突」は、正義対正義の戦いになり、

当然和解や妥協が困難となります。

 

歴史を振り返ってみると

欲得の衝突よりも、理想(正義)の衝突の方が、

抜き差しならない戦争に発展しているように思われます。

かつて 日本も、

大東亜共栄圏」という「正義」を掲げることによって、

仲介役と妥協点を持たない戦争に突入してしまいました。

 

第一次・二次の世界大戦では、勝者・敗者ともに大損害を被り、

それまでの戦争に対するイメージは一変しました。

また、その後の冷戦の時代に、武器の破壊力が著しく増大

したこともあって、大国同士の総力戦の恐れは減少しました。

しかしながら、ソ連の崩壊によって、

“恐怖の均衡”という箍(たが)が外れたあとは、

小規模な武力衝突やテロなどが、むしろ増加しています。

 

世界は今、トランプ大統領に代表されるように、

自国第一主義” の傾向が強まっています。

その意味するところは”国益“であり、突き詰めれば

“経済”です。“損得”です。

ことあるごとに過激な発言を繰り返すトランプ大統領は、

危険人物のように非難されることもしばしばですが、

ある意味、超・現実優先主義の彼が、例えば北朝鮮を攻撃

するようなことにはなりにくいとも考えられます。

私はむしろ、アメリカが理想主義の方向に振れ、

「正義」を振りかざした時が危ないと思っています。

 

新型コロナの緊急事態にあって、日本のセキュリティ

関連法規があまりにも脆弱であることが明らかになりました。

ここまでの論法で言えば、

過度に理想側に振れていると思うのです。

つまり、個の自由、平等、人権 等が極大化され、

相対的に、公共の利益が極小化されているということです。

日本の不幸は、この期に及んでも、

”政府の権限を拡大してはならない”

と言い続ける言論人や知識人が多いということです。