樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

Naomi の時代(J-52)

大坂なおみ選手の2度目の全豪制覇から3つのことを感じた。

一つは、S.ウィリアムズの後継女王争いから、大阪が頭一つ抜け出したということだ。

年齢的に見て、彼女にはまだ“伸びしろ”があり、今後しばらくは大坂なおみの時代が続

きそうな気配が濃厚である。実際、今回の試合内容はそう思わせるほど充実していた。

何がどう変わったのか。

関係者の多くは、メンタル面の成長を挙げている。たしかに、相手に先にマッチ・ポイ

ントを握られてから逆転勝利した対ムグルサ戦や、苦手としていた謝選手に付け入るキ

を与えなかった準々決勝にその成長ぶりがはっきり表れている。

ミスをしても以前のようにイラつくことがなく、“少し違ったか”とでも言いたげな納得

のしぐさや、時に苦笑いをするなど、その表情には常に余裕があった。

パワーやテクニックについてはコメントする能力がないが、私にはフットワークが印象

的だった。彼女のフットワークの良さがプレッシャーとなり、相手が自滅する場面が多

く見られた。要するに総合力がアップしているということだろう。 

これまでの彼女は、芝と赤土のコートではいい成績を収めていないが、今までとは違うはずだ。

オリンピックが開かれれば、今年は特別な年になる。つまり、これまでシュテフィー・

グラフしか成し遂げていない ”ゴールデンスラム“(5冠達成)のチャンスがある。

その挑戦権を持つのは、女子では大坂なおみただ一人で、その可能性は十分ある。

もしそうなれば文句なし、世界のスーパースターとして、そしてトップクラスのインフ

ルエンサーとして、正しくNaomi の時代が確立する。

 

二つ目は、まだ微かではあるが、多民族国家への兆候を感じることだ。

大坂なおみはハイチ人の父と日本人の母から生まれたいわゆるハーフである。

3歳の時からアメリカで育ち、米国籍を選ぶことも可能であったが、彼女は日本国籍

選択した。アメリカで育ちながら彼女の醸し出す雰囲気はどことなく日本人的であり、

それを含めて、彼女が世界の人々に愛されていることを嬉しく思う日本人は多い。

今ふと思い出されるのは、室伏重信という人物である。

ハンマー投げで日本選手権10連覇アジア大会5連覇を成し遂げ”アジアの鉄人“とも呼ばれ

た男だ。その彼もオリンピックとなるとミュンヘン8位、ロス14位と世界には全く通じ

なかった。最高の技術を持っていると言われながらの惨敗である。限界を感じた彼が、そこで何をしたか。

彼はミュンヘンの1972年、ルーマニアやり投げの選手と国際結婚をするのである。

そうして生まれたのが息子室伏広治の金メダルだ。このメダルは、新たな血(DNA)を

求めた父重信の執念が実ったものだと巷では噂されている。父の記録は息子によって破

られたが、未だ息子以外の日本人には破られていない。

 

投擲競技の外にも日本人の金は無理だと思われている競技種目がいくつかある。

しかし、それらの種目も達成不可能な夢ではなくなりつつある。例えば陸上100m、

現実的には100×4リレーの方が先になりそうだが、手が届きそうなところまで接近して

いる。そのメンバーの中心になるのは、やはりサニブラウンとかケンブリッジ飛鳥のよ

うな、いわば海外遺伝子を導入した選手たちであろう。バスケットやバレーなどもおそ

らくそうなる。

日本の人口とオリンピックのメダル数は、どちらも世界的に見た順位で11位程度とほぼ

同じ位置にいる。今後は人口の順位が徐々に下がり、メダル数の順位は多分上がって行

くだろう。そして同時に多民族化が進む。

やがて、スポーツ界や芸能界以外の分野でも、黒い肌や青い目の日本人が活躍する日が

やってくる。いい悪いではない。それが先進国の自然の成り行きだ。

Naomi の時代は、その流れを加速するエンジンとして作用するかもしれない。

 

三つめは女性の社会進出が本格化するということである。

「日本は男性社会である」という説がまかり通っている。単純に議員の数や社長の数で

比較するのはいかがなものかとも思うが、その声に押されたかのようにオリンピックの

トップ3役(五輪担当相・組織委員会会長・都知事)がすべて女性となってしまった。

もしかすると、競技が始まっても、女性選手の方が主役になるかもしれない。

1964年、アジア初の大会となった東京オリンピックで日本は、金16、銀5、胴8、合わ

せて29個のメダルを獲得したが、女子選手が獲得したのはわずか2個(バレーの金、体

操団体の銅)しかない。ところが2004のアテネでは金が9/16、2016のリオでは金が

7/12と男子を上回り、金銀銅の総数においてもほぼ互角の成績であった。オリンピック

に限らず、日常のスポーツでも、テニス、ゴルフ、サッカー、卓球、バレーボール、

スキー、スケート、カーリング・・・浮かんでくる選手の顔は女性が多い。

しかし、誤解を恐れずに言うならば、女性は女性と闘っているのである。男性を相手に

するのは混合種目だけだ。

社会に男女格差があるのは事実である。そして不当な差別は是正すべきである。

しかし、やみくもに数の均衡を図ったり、いかなる分野にも女性の進出を促すといった

方策は、必ずしも女性を幸福にしない。兵士は男の仕事であり、ボクシングは男のスポ

ーツだ。完全なる男女平等は、女性のみに与えられている特権の排除にもつながる。

とはいえ、大義名分を得た男女平等の流れは、その行き過ぎに気づくまで当分続けられ

るだろう。そこにもまたNaomiの時代が、少なからぬ影響を与えそうな気がしてならない。

何故なら、彼女が身を置くテニス界こそ、最も男女平等が進んだ世界だからである。

                            2021.2.23