樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

首相辞任とメディア(J-32)

8.28、安倍首相が記者会見を開き辞任を表明した。

持病の潰瘍性大腸炎再発により、今後の政権運営に自信を持てず、

このタイミングしかないと判断したというものだ。

辞任を決断したのは、検査結果を聞いた8.24であると説明されたが、

その日は奇しくも連続在位日数が2799日となり、歴代最長となった日だ。

とは言え、道半ばでの辞任は無念であろう。

もちろん私も残念だが、ここは、世界各国の首脳の中で、はっきりと

日本の存在感を示し、我々にある種の満足感を与えてくれたことに感謝し、

「ありがとうございました、お疲れ様でした」というしかない。

メルケル首相も今期で退陣し、トランプ大統領もかなり危ない。

となると、あとは、悪名高いプーチン習近平の天下となる

・・・・耐え難い。

 

メディアは、「突然の辞任・・政局混乱」という図式を描いているが、

国民も自民党内も案外落ち着いている。

混乱しているのはむしろメディアと野党の方だ。

記者会見の質問は、もう無茶苦茶で「おつかれさま」の一言もない。

ある記者は、

”質疑の場面なのになぜか質問と答えが目の前のメモに書いてある・・

そのような関係がメディアと政治という関係において、民主主義において、

どのようにお考えになっているのか” と問う。

この記者は、正確な答弁などハナから期待していない。メディアの使命は

不意打ちをくらわして、失言や醜態を導き出すことだと考えている。

”今日はいつものプロンプタを使わないのは・・?”などというのは

歴史に残る愚問だろう。

 

翌日の毎日新聞、「論点」と題して3人の論客のコメントが載った。

電話取材なのか「聞き手」として記者の名が記されている。

トップバッターは、東大名誉教授の御厨貴先生である。

つまみ食いをして悪いが、先生はこんなことをおっしゃる。

”安倍首相は後継を育てないまま政権を去ることになった。

佐藤政権の三角大福中、中曽根政権の安竹宮小泉政権の麻垣庚三。

長期政権はこのように次期首相候補を競わせたが、安倍首相は将来を

見据えた人事をしてこなかった。”

「?????・・・」

その昔、”派閥政治は諸悪の根源” みたいなことが言われていた時代、

これは後継者育成システムだなんておっしゃっていませんでしたよね。

そもそも、後継者を競わせることが首相の使命ですか?

 

二番バッターは東京工大中島岳志教授、

”・・憲法は、いくら有権者過半数が支持してもダメなもののリスト。

立憲とは、過去の死者が今の私たちをしばる仕組みともいえる。

安倍政権は、立憲を敵視し、・・・・”

ちょっと待ってほしい。

憲法は、あの戦争で亡くなった人たちが残した遺言ではない。

勝者(連合国)が敗者(日本)に無理やりかませた手かせ足かせだ。

またこうも言う。

”なぜ安倍政権は長く続いたのか、・・・アベノミクス憲法改正

実現しないことで最大の効果を発揮する政策だった。常に「道半ば」を

強調して、有権者に「じゃあ、もう少し支持してみよう」と思わせてきた。”

・・・これを読んだときは思わず笑ってしまった。

きっとそんなことをいう人が現れるだろうと予想していたからである。

三番手の評論家は内容がないので省略する。

 

そして、9.1(火)、期待通りの過激なコラム、大治朋子記者の「火論」

である。彼女は、

”政権の営みを見るたびに思い起こしたのは古代ギリシャの哲学者

プラトンの作品に登場するカリクレスという政治家だ。「力こそ正義」

と豪語して法も大衆も軽視・・・対照的なのがソクラテスの人生観だ”

と切り出して教養の片りんを見せることから始める。

カリクレスの名前は聞いたことがないので、少し調べてみると、

少しばかり様子が異なる。

それがよくわかるのは、プラトンの著書「ゴルギアス」である。

念のために行っておくと、プラトンソクラテスの弟子で、

アリストテレスの師という関係にある。

 

ある日、ソクラテスがカリクレスのもとにやってくる。

そこには高名なソフィスト(弁論術)の第一人者ゴルギアスがいる。

ソクラテスは、当時もてはやされていたソフィストを論破しようと

乗り込んできたのである。

そして、ソクラテスは、ただひたすら質問者・批判者の立場に立ち、

ゴルギアスともう一人の仲間を論破してしまう。

この手法は、論争において絶対に負けないという、現代においても

野党や批判者がよく使うずるいやり方だ。

 

そこで登場するのがカリクレスである。

ソクラテスは、カリクレスの並々ならぬ実力を見抜き、

「君と出会えたことは何と幸運なことか。私が本物かどうかは君という

試金石を通じてはっきりする。それでは問答を始めようではないか」

といって、そこから二人の問答が延々と続く。

カリクレスの、

「私が言ってるのは現実なのだ。心を殺されないために身体を殺された

のでは意味がない。そのうち君は誰かに無実の罪を着せられ殺されるだろう」

という言葉に、

「それは覚悟の上だ。長く生きるよりも善く生きることのほうが大切だ」

ソクラテスは答え、どこまでも決着はつかない。

最後は、カリクレスの方から打ち切る形で論争は終わる。

理想主義と現実主義の論争は大体そうなる。

その後、カリクレスが指摘した通り、ソクラテスは殺されてしまう。

 

要するに、二人の論争は「理想」対「現実」の話なのである。

それは、決着をつけるべき問題ではなく、いわばバランスの問題なのだ。

カリクレスはソクラテスほど有名ではないが、彼の思想はニーチェ

熱狂させ、後世に多大な影響を与えたともいわれている。

大治記者の主張は、かなり一方的であるといわれても仕方がない。

 

ここに取り上げた方々は、口をそろえて安倍首相を批判するのだが、

それらの内容は、非難に近いものである。そして、あることを

おそらく意図的に伏せている。それは、安倍政権が衆参の選挙で6連勝

しているという事実である。

つまり、国民はバカだ、騙されていると言っているのである。

それはいい、言論の自由は大切だ。

問題は、そちらの意見ばかりをとりあげるメディアにある。

だから、門田隆将に”新聞は倒閣運動のビラになった”と言われるのである。

                     2020.09.02