樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

祖国とは国語(その5)(Y-12)

・・(Y-11) のつづきです・・

 

<日本語の豊かさ>

☆外国人にとっての日本語 ☆

お笑い世界のM-1などにも出場し、一時人気者となった、

アメリカ生まれの「厚切りジェイソン」という芸人がいます。

しばらく姿を見かけませんが、彼の得意ネタに

「漢字難しいよ~!」というのがあって、

これが結構ウケていました。例えば、

”「親切」を分解して“「親(おや)」を「切って」どこが親切なの!」”

“「ホワイ ジャパニーズ!」”とやるわけです。

 

異国の地に足を踏み入れれば、誰しも言葉の壁にぶつかります。

日本で暮らそうとする外国人ならば、

当然 日本語がその壁になるわけですが、

どうやら「漢字」に苦労しているひとが多いらしいのです。

彼らは皆「日本語は難しい」と言い、

私たち日本人は、(そうだろうなあ・・)と同情します。

そして、カタコトの日本語を「お上手ですね」と褒めたりもします。

両者ともに“日本語は難しい”と同調している現象のようですが、

果たして、日本語は他の言語より特に難しいのでしょうか。

 

同じ印欧語族圏の人たちならば、

語源が同じだけに似たところが多いので、とっつきやすいのは当然です。

漢字が大変だというなら、

常用漢字2,136字の日本より、6,7千字が必要といわれる中国語の方が

何倍も大変です。

日本語は、仮名さえ覚えれば一応手紙などは書けるわけだし、

単語を並べただけでも意味は通じます。発音も難しくありません。

「て・に・を・は」という武器があるので、S.V.O.とかS.V.O.C.

だとか、そんな“語順の苦労”にも無縁です。

 

“いやそれだけじゃないんです、日本語は数の数え方だとか、

一人称・二人称などの表現だとか、敬語だとか、男女言葉だとか、

とにかくややこしすぎるのです。“

と、さらに彼らは訴えます。

そういうときは、

“そんなことは気にしなくて結構です。

数は「〇個」、自分は「私」、相手は「あなた」で問題ありません。

数の正しい数え方なんて日本人でもいい加減なものなんですから“

と答えてやりましょう。

 

たしかに、日本語には底知れぬ“深さ”があります。

しかし、それはレベルに応じた表現の仕方があるということでもあり、

日本語の“難しさ”というよりは“豊かさ”と呼ぶべきものだと思います。

 

☆リズムと文体☆

 

日本語には、リズムがあります。

その代表は言うまでもなく、五・七調、七・五調と呼ばれるもので、

和歌や俳句などで磨き上げられてきたものです。

古くは「平家物語」や「方丈記」江戸時代には「曾根崎心中」など、

どれも見事な七五調でつづられています。

歌の世界を見れば、「唱歌」に「軍歌」に「歌謡曲」、

演歌は勿論AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」に至るまで

七五調が使われています。

有名な上田敏の訳詞「山のあなた」はカールブッセの原詩よりも

優れているのではないかとも言われています。

 

日本語の特徴としてもうひとつ、「文体」があります。

古くは、話し言葉と書き言葉はまるで「別物」で、

書き言葉の最後の部分は、長い間「あり」「なり」「たり」「けり」

で結ばれていました。

その後明治期になって、「言文一致」の流れが生まれ、

やがて「です、ます調」と「だ、である調」の二つが主流となり

今日に続いています。

お気づきだと思いますが、このブログも(Y)シリーズは「ます調」、

(J)シリーズは「である調」で書いています。

しいて理由はありませんが、なんとなく合っているように

感じるからです。

日本人はこの他にも、「男・女」「子供と大人」「先輩・後輩」

などによって、話し言葉であっても、その ”文体“ を使い分けます。

外国語には、それほどの差異はないように感じられますが、

そうだとしたら、これも日本語の難しさではなくて、“豊かさ”

なのだろうと思います。

 

オノマトペ

これこそ日本語の最大の特徴かもしれないと思うのが、

大量のオノマトペの存在です。「擬態語」「擬声語」の類です。

それに気づいたのは、

英和辞典で「crack」という単語を調べた時でした。そこには、

「ドカン」「バリバリ」「ズドン」「パチッ」「ピシャ」「パンパン」

「ガラガラ」「ポキン」「パシッ」「ピシッ」などの音、

と説明してあったのです。そのとき、

(いや全然違うんだけど どれなんだよ・・)

と思ったのが興味を抱いた始まりです。

私たちは、「笑う」という言葉一つをとっても、

「ニコニコ」「にやにや」「ニタニタ」「ウハウハ」「クスクス」

「げらげら」「ケタケタ」「からから」「にんまり」「ハハハと」

といった表現があり、その違いが分かります。

しかし、そのニュアンスを細かく教わったことはないはずです。

にもかかわらず、その違いがはっきり分かるというのは、

ある意味「すごいこと」ではありませんか。

しかもこのオノマトペは、「する」「に」「と」などをくっつけて

動詞や形容詞や副詞にも変換できるのです。

そんなオノマトペだけで出来上がった一冊の本があります。

“ありあわせの材料で作った名人の料理”みたいなこの本の名は、

「ぐずぐずの理由」(鷲田清一角川選書)です。

 

最近は、スポーツ界や芸能界などで、いわゆるハーフといわれる

日本人の活躍が目立つようになりました。

彼らの中には外国育ちも多いわけですが、

その彼らを観察していると、日本語がうまくなるにつれ、

日本人らしくなっていくのが分かります。

その変化を見るにつけ、

やはり日本人を作っているのは日本語なのだなあと

あらためて感じないわけにはいきません。

まさに、「祖国とは国語」だと思うのです。