“遊びをせんとやうまれけむ 戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば わが身さえこそ ゆるがるれ“
これは平安時代に編纂された「今様」集、「梁塵秘抄」の冒頭を飾る有名な言葉として
知られています。編纂したのは、あの平清盛と生涯主導権争いを演じる一方で、「今
様」に熱中して何度もノドをつぶしたと伝えられる後白河法皇とされています。
それから750年余り時を経た明治の初期、いわゆる”お雇い外国人“の一人として米国から
招かれ、福井の藩校明新館や大学南校(東大の前身)で物理・化学などを教えたグリフ
ィスは、こんな言葉を残しています。
“この2世紀半の間、この国の主な仕事は遊びだったといってよい”
どうやら日本人は、命の危険さえなければ、貧乏などものともせず“遊び”に情熱を傾け
てきたようです。
平安時代や江戸時代は比較的平穏な時代で、それが顕著なのかもしれませんが、伝統的
な「祭り」や「芸能」などが途切れることなく続いていることを考えると、案外騒乱の
時代にも「遊び」は失われていなかったのかもしれません。
「遊び」にはいろんなものがあります。
まず、ゲームスポーツの大半は遊びから生まれたものと言えるでしょう。オリンピック
種目の変遷をみても、遊びの要素はむしろ強くなってきています。
そもそも「sport」という言葉は「disport」(気晴らしをする)の頭が消えたものらし
く、釣りや登山は勿論のこと、囲碁・将棋をはじめとする諸々のゲームもスポーツの仲
間としてとらえられています。Sportの動詞には「遊ぶ」という意味もあるわけで、広
くとらえればスポーツと遊びは同じものと言えるのかもしれません。
「芸」もまた同様です。というより「芸」はより広い意味を持ち、スポーツは芸の一部
であると考えることも可能でしょう。
一昔前まで、西洋人が抱く日本人のイメージの代表は、”エコノミック・アニマル“でした。
“小柄で、勤勉だが、画一的で、金にしか興味がなく、ユーモアを解さない。長けて
いるのは人まねとパクリだけ”
というものでした。しかしそれは大いなる誤解で、原因はコミュニケーション・ギャッ
プにありました。こんなジョークがそれを物語っています。
“ マイク: 「日本人ってジョークを聞くと3回笑うんだって」
チャールズ: 「えっ?どうして?」
マイク: 「1回目はみんなにつられて笑い、2回目はジョークを言った人に気を遣
って笑い、3回目は3日目くらいにやっと意味が分かって笑うのさ」“
しかしそのようなジョークはもはや通じなくなりつつあります。外国語が苦手な
日本人のイメージは未だ払しょくされていないにせよ、本当の日本人は個性的で、
笑いが大好きで、何事にも工夫を凝らす民族であることが理解され始めました。
頭に浮かぶ一つの例として、あの一世を風靡した(?)「PPAP」が思い出されます。
あの何でもないような単純な”芸“が世界の人気を得たのはそれなりの理由があった
はずです。もう一つの例はアイデアの宝庫「100均」です。
これら二つに共通するのは「遊び心」です。
「遊び」には「遊興」のほかに「余裕・間」といった意味があります。これは動きの
あるものに必要なもので、ハンドルの遊びや関節の軟骨がそれです。人の人生もまた
“動きあるもの”と考えるならば、「遊び」は不可欠なものと言わざるを得ません。
「遊び」はごく身近なレベルから超高級なレベルまで、つまり100均からぜいたく
品まで、ありとあらゆるところに存在します。そして、われわれ日本人は実は遊びが
大好きで、しかも優れたセンスを持っているのです。
これからの社会は、AIと精密機械の進歩発展により大きく変化し、仕事の大半はこ
れらに取って代わられるだろうと予想されています。ロボットがロボットを作り、
ロボットが教師になり、ロボットが診断をして手術をする時代が目の前に迫ってい
ます。しかし、そうなったとしても、AIが作った小説や音楽に人は感動しないでし
ょうし、ロボット同士のスポーツ競技や囲碁・将棋の対戦が人気を得ることはないは
ずです。つまり最後に残るのは「遊び」なのです。
「遊び」は人間らしさの象徴であり、人間にとって必要不可欠なものであり、私たち
にはそのセンスがあるということを忘れてはならないと思います。
2021.6.27