樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

祖国とは国語(その4)(Y-11)

・・・(Y-10)のつづきです・・・

 

<日本人の造語センス>

始まりは1984年らしいのですが、毎年12月1日に

新語・流行語大賞」が発表されます。

新語の中には、例えば「朝シャン」などのように、

広辞苑に採用されるものもあれば、

いつの間にか忘れられてしまうものもあります。

最近の新語では、「神ってる」や「爆買い」などは微妙ですが、

「どや顔」「イクメン」などは定着しそうな感じがします。

 

このように、言葉というのは いわば”生き物“であって、

時代とともに生まれ変わってゆくのが宿命です。

言い換えれば、いつの時代に生きた人にも、

(それは主として年配の人たちであると思われますが)

“この頃は言葉が乱れている”

という感覚があったのではないでしょうか。

しかし、乱れを糺せと言われても、

一体いつの時代に戻せばよいのでしょうか。

 

私たちの先祖は、古くは漢字とともに中国文化を学び、

明治以降は、主として西洋文化を導入してきました。

そしてこの時、それらの文化を翻訳するにあたって、

おびただしい数の新語を生み出してきました。

哲学・経済学・科学技術などの用語には、それに該当する

日本語はなかったのですから、それはさぞかし大変な作業

であったと思います。

 

革命・共産主義・自由・国際・銀行・商業・情報・細胞

・・・等々 枚挙にいとまがありません。

さらに、漢字をマスターしたことによって独自に造語した

愛情・暗算・入口・学歴・記号・場所・広場・母校・・

等々といった“純和製漢語”もたくさんあります。

後者は、いかにも日本語的な匂いのする漢語となっていて、

日本人にはそれがわかるはずです。

そしてこれらの和製漢語は中国・韓国に逆輸入されていきました。

 以前、韓国で日本語由来言語の排斥運動が起きたことがあって、

調べてみたらあまりにも多いので諦めた、というエピソードが

あるほどです。

(現在はハングルになって、痕跡を見ることは困難ですが)

 

戦後になると、今度はいちいち翻訳していられないほどの、

大量の英語の波に襲われることになりました。

そこで活躍したのがカタカナです。

つまり、そのまま日本語に取り込んでしまえ、というわけです。

広辞苑に載っている いわゆる”カタカナ英語”を数えてみると、

どうやら5000以上はありそうです。

それらの中には、アテンド、コミット、オファーのような

日本語に置き換えにくいような言葉もあり、

そう言ったカタカナ言葉を随分耳にするようになりました。

 

ときに、「カタカナ語が多すぎる」という非難の声が上がりますが、

この傾向は止めようもなく、もはやどうにもなりません。

それどころか、今度は和製英語を造語し始めたのです。

チャームポイント、ニューフェース、テープカット、ネームバリュー

など、そのうちアメリカに逆輸入されそうな和製英語が次々に

造語されています。

これらの和製英語をあらためて眺めてみると、それは

得意の4文字熟語のセンスを応用したもののようにも感じられます。

 

こうしてみると、日本人の造語センスはなかなかのもので、

英国人記者コリン・ジョイスは、「ニッポン社会入門」の中で、

「やけ酒」「ポイ捨て」「ずる休み」「逆切れ」「KY」といった言葉を

とりあげて、日本人は造語センスとユーモアがある」と感心しています。

やがて、そういった言葉や和製英語のいくつかは、

英米の”ディクショナリー”に載るかもしれません。

だって、most attractive feature より charm point の方が

おしゃれじゃないですか。

 

ここで終わりにするつもりでしたが、もう少し延ばして

次回は「日本語の豊かさ」についてお話ししたいと思います。