樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

祖国とは国語(その3) (Y-10)

...( Y-9 )の続きです...

 

表意文字表音文字の合体>

 

表意文字表音文字を融合させた日本語の優位性を語る前に、

まず「バカの壁」などでおなじみの養老孟司先生のおどろくべき

話を取り上げたいと思います。

養老先生によると、

“・・脳の部位に損傷があって失読症ディスレクシア)を発症したとき、

欧米の患者は「字が読めない」というシンプルな病態になるが、

日本人の場合は、「漢字が読めない」と「仮名が読めない」

の二つのケースに分かれる。つまり、日本人は脳内において、

漢字を読む部分と仮名を読む部分が解剖学的に別の場所にある・・・。

というのです。

いつも常識的な内容であると断りながら、今の言論界ではそれが却って

ユニークな存在に感じられる著作を次々に発表している内田樹先生は、

この話を聞いたことが「日本辺境論」を書くきっかけになったと

「呪いの時代」に記しています。そして、

“マンガにおける絵の部分は表意文字で、吹き出し表音文字にあたる”

という「マンガ論」もうかがった、と書いています。

これにも、「なるほど!」合点させられます。

 

漢字・仮名の言わばハイブリッド言語がいかに有利であるかは、

簡単に実験することができます。

新聞・雑誌・パソコンなど、何でもいいから文字がぎっしり詰まった、

日本語・英語・中国語・ハングル語などを、

読めなくていいから、眺めてみてください。

日本語の文章だけは、少し立体的な感じで、

キーワードが浮かび上がります。

キーワードは概ね漢字・カタカナで、それに数字が加わる感じです。

”速読法“はおそらくこの仕組みを利用しているのです。

日本語は外来語(名前なども含めて)をカタカナで表記するので、

実に簡単で、しかも分かりやすいのですが、

その他の言語はかなり苦労しているように見受けられます。

 

実はずいぶん前に、

そのことを裏付けるようなエッセイを目にした記憶があります。

筆者は、国際会議などで同時通訳をしている女性でした。

彼女が言うには、

“スピーチが始まる前に原稿を渡されるのだが、それはほんの数分前で、

時間的余裕は全くない。それでも、原稿が日本語の場合はなんとか全体に

目が通せる。それは漢字仮名交じり文のおかげである。“

探せば本棚にあるはずですが、そんな内容のエッセイでした。

 

聞いたことがないかもしれませんが、

「日本は○○という国である」と表現するときに、

「日本は詩人の国である」と言われることが在ります。

たしかに、

ほとんどの新聞や雑誌には「和歌」や「俳句」のコーナーがあって、

結構応募する人がおおいために、そこに選出・掲載されることは、

なかなかの難関のようです。

この事実だけをとってみても、

日本にはいかに多くの詩人がいるのかが分かります。

長い年月をかけて、

日本人は“国語”を鍛え、磨き上げる努力を重ねてきました。

そしてまた、その国語によって、

日本人の感性や情緒や教養が磨かれてきたのです。

しかし、近年その国語が“乱れている”と指摘する人たちがいます。

「英語教育など止めてしまって、もっと国語教育に力を入れるべきだ」

とその人たちは主張します。

私が尊敬する藤原正彦先生もその一人です。

先生のエッセイ集「祖国とは国語」を読み返すたびに、

私もその主張に引きこまれそうになるのですが、

実は、私はその部分になると少し違った考えなのです。

 

次回はそのことについてお話ししたいと思います。