...( Y-9 )の続きです...
話を取り上げたいと思います。
養老先生によると、
“・・脳の部位に損傷があって失読症(ディスレクシア)を発症したとき、
欧米の患者は「字が読めない」というシンプルな病態になるが、
日本人の場合は、「漢字が読めない」と「仮名が読めない」
の二つのケースに分かれる。つまり、日本人は脳内において、
漢字を読む部分と仮名を読む部分が解剖学的に別の場所にある・・・。
というのです。
いつも常識的な内容であると断りながら、今の言論界ではそれが却って
ユニークな存在に感じられる著作を次々に発表している内田樹先生は、
この話を聞いたことが「日本辺境論」を書くきっかけになったと
「呪いの時代」に記しています。そして、
“マンガにおける絵の部分は表意文字で、吹き出しが表音文字にあたる”
という「マンガ論」もうかがった、と書いています。
これにも、「なるほど!」合点させられます。
漢字・仮名の言わばハイブリッド言語がいかに有利であるかは、
簡単に実験することができます。
新聞・雑誌・パソコンなど、何でもいいから文字がぎっしり詰まった、
日本語・英語・中国語・ハングル語などを、
読めなくていいから、眺めてみてください。
日本語の文章だけは、少し立体的な感じで、
キーワードが浮かび上がります。
キーワードは概ね漢字・カタカナで、それに数字が加わる感じです。
”速読法“はおそらくこの仕組みを利用しているのです。
日本語は外来語(名前なども含めて)をカタカナで表記するので、
実に簡単で、しかも分かりやすいのですが、
その他の言語はかなり苦労しているように見受けられます。
実はずいぶん前に、
そのことを裏付けるようなエッセイを目にした記憶があります。
筆者は、国際会議などで同時通訳をしている女性でした。
彼女が言うには、
“スピーチが始まる前に原稿を渡されるのだが、それはほんの数分前で、
時間的余裕は全くない。それでも、原稿が日本語の場合はなんとか全体に
目が通せる。それは漢字仮名交じり文のおかげである。“
探せば本棚にあるはずですが、そんな内容のエッセイでした。
聞いたことがないかもしれませんが、
「日本は○○という国である」と表現するときに、
「日本は詩人の国である」と言われることが在ります。
たしかに、
ほとんどの新聞や雑誌には「和歌」や「俳句」のコーナーがあって、
結構応募する人がおおいために、そこに選出・掲載されることは、
なかなかの難関のようです。
この事実だけをとってみても、
日本にはいかに多くの詩人がいるのかが分かります。
長い年月をかけて、
日本人は“国語”を鍛え、磨き上げる努力を重ねてきました。
そしてまた、その国語によって、
日本人の感性や情緒や教養が磨かれてきたのです。
しかし、近年その国語が“乱れている”と指摘する人たちがいます。
「英語教育など止めてしまって、もっと国語教育に力を入れるべきだ」
とその人たちは主張します。
私が尊敬する藤原正彦先生もその一人です。
先生のエッセイ集「祖国とは国語」を読み返すたびに、
私もその主張に引きこまれそうになるのですが、
実は、私はその部分になると少し違った考えなのです。
次回はそのことについてお話ししたいと思います。