DNAの二重らせん構造を発見して、1962年のノーベル医学生理学賞を受賞した
F.クリックは、1994年に著した「The Astonishing Hypothesis」(驚くべき仮説:
邦題「DNAに魂はあるか」)のなかで、こう述べています。
“私の言う「驚くべき仮説」とは、
あなた-つまりあなたの喜怒哀楽や記憶や希望、自己意識と自由意志など-
が無数の神経細胞の集まりとそれに関連する分子の働き以上の何物でもない
という仮説である“
この本の副題は「The Scientific Search for the Soul」(魂の科学的探究)
となっており、F.クリックは、人間を「心」「身」つまりソフトとハードに
分けた時、「心」の働きはすべて神経細胞(ニューロン)の相互作用で説明できる
ことになるだろうと予言しているのです。
現状においてこの分野の研究がどうなっているのか、
詳しくというよりほとんど知りませんが、
やがては「脳」の神秘が明かされていくのでしょう。
人間の「脳」に関するこの仮説は、一方で「AI」に対する無限の可能性を示唆して
いるようにも感じられます。
いわゆる未来学者の多くが、
“近い将来、人間の仕事の大部分がAIにとってかわられる”
と予想しています。
果たしてそれが、人間にとって“輝かしい未来”なのか、
むしろ“不幸な未来”なのか、それは一概に言えるものではありません。
20数年前、「AI囲碁」というゲームソフトが発売されたとき、そのソフトは
アマチュアでも使い物にならないほど弱く、時間もかかりました。それが今や
プロが研究相手として利用するほどの実力を備えています。
特定の分野においては、すでにAIは人間を凌駕している
といってもいいのかもしれません。
今後あらゆる分野で、AIは限りなく人間に近づいて行くことでしょう。
しかしそれは、心身の「心」全体ではないと思うのです。
どういうことかというと、
例えば、ロボット工学とAIが融合して“AI宇宙飛行士ロボット”が
誕生したとします。
しかし、そのロボットが人間飛行士よりも優れた能力を発揮したとしても、
彼は宇宙から見る地球の姿に感動することはないだろうということです。
つまり「心」にはいくつかの側面があって、
AIがとってかわれるのはその一部でしかないと思うのです。
日本語には、「頭(脳)」「胸」「腹」「肝」という言葉を使って表現する
「こころ」があります。AIが受け持つのは、
そのなかの頭(脳)に限られているような気がします。
例えば、胸が熱くなる、胸が痛む、胸躍る、胸を焦がす、胸が騒ぐ、
といったAIは存在しえないでしょうし、
同様に、腹を固める、腹を探る、腹を据える、腹をくくるAIや
肝をつぶしたり、肝を冷やしたりするAIも想像できません。
このような表現は日本語ばかりではないのです。
英語では、「こころ」にあたる言葉として、
Mind ,Heart, Spirit, Soul があり、日本語と対比しても
さほど違和感はなさそうなので表にしてみましょう。
こころを表現することばの比較
英語 基本義 側面 日本語
mind 思考する場所=brain 知 頭(脳)
heart 中心部 情 胸
spirit 生命の息吹 意 腹
soul 霊魂 魂 肝
こうして並べてみると、AIが担当できるのは「知」すなわち脳の側面に
限られているようで、そこは教育や経験によって変化する分野です。
「情」と「意」は何とも言えませんが、少なくとも「魂」は変化せず
AIがたどり着けない分野だと思うのです。
F.クリックの「DNAに魂はあるか」がよく理解できなかった腹いせに、
訳の分からないクレームをつけましたが、
かれの“驚くべき仮説は、いつまでも仮説のままであってほしい
と願っているのが、私の“本音”なのです。
2020.06.11