樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

楽観は母の形見(Y-30)

何となくではありますが、楽観論(者)・悲観論(者)あるいはオプチミスト・ペシミ

ストといった言葉を、最近はあまり見聞きしなくなったような気がします。

これに取って代わる言葉としては、ポジティブ・ネガティブが一般的で、若者たちの間

ではネアカ・ネクラが幅を利かせています。

タレントのタモリが流行らせたと言われているネアカ・ネクラは、元々は“見かけによ

らず根は明るい(暗い)”という意味合いが強く、なかなかいい造語センスだと思って

いたのですが、いつの間にか“根っから明るい(暗い)”という意味になって、とくに

“ネクラ”に対する評価は格段に下がってしまいました。つまり、”暗い“に含まれてい

た”深い“が消え、ネクラは”一目置かれる存在”から“いじめの対象”にまで転落してし

まったのです。

しかし、ヒトはそう簡単に二分化できるものとは思われません。楽観と悲観は、あたか

もDNAの二重らせん構造のように同一人物のなかで絡み合っています。

そして、人は概して楽観に支配されているように思われます。またそうでなければ、

起業家は生まれないし、結婚さえもできなくなってしまうでしょう。

 

自分自身はどうかと言えば、基本的にはオプチミストですが、ネクラ的要素もあるよう

に思います。たとえば、昨今のコロナ禍における悲観的な報道がいちいち引っかかると

いうことが在ります。ごく自然に、コロナのおかげで何かいい事が起きていないかと考

えてしまうのです。たとえば、ワクチン開発における新技術が格段に進歩するであろう

ことや、日本の弱点が浮き彫りになったことや、空気がきれいになったことや、オゾン

ホールが復活していること等に関心が向いてしまうのです。いわば“ノリの悪い楽天家”

です。

この性格は、紛れもなく母親の影響です。

幼いころ、母は私にこう言いました。

“お前は運のいい子だから、何が起きてもそれがいちばんいい事だと信じなさい”

母は、おそらく作り話を交えて、何度も何度もこの言葉を繰り返したので、私の頭は

すっかり洗脳されてしまい、この言葉は私の人生に大きな影響を及ぼしました。

”結果オーライ“ではありません。”結果がベスト“だというのです。

思いどおりにならないことや失敗があっても、実はそれがベストなのだというのです。

母はこの言葉を「塞翁が馬」の故事にヒントを得て私に教えたのかもしれませんが、

この言葉が私にどれほど勇気を与えてくれ、そしてどれほど危機を救ってくれた事で

しょう。この言葉は、いわば母がくれた”お守り袋”であり、”忘れ形見”なのです。

だから私は世の母親たちにこの話を伝えたいと思います。

是非、私の母の真似をしていただきたい。

“三つ子の魂百まで”という言葉もあるように、幼子の間に“洗脳”することが肝要で、

おそらくその役割は父親には向いてないのです。

                        2021.3.8