“最年少記録は一度きりだが、最年長記録は(同じ人が)何度でも更新できる“
これは、パラリンピックの自転車競技で、日本人最年長の50歳で金メダルを獲得した
杉浦佳子選手が、優勝インタビューの中で発した言葉である。
事前に用意されていたのかもしれないが、ちょっとおしゃれで記憶に残る台詞だ。
なるほど、人は皆「人生初の一日」を積み重ねて生きている。
人生とは、いわば最年長記録の連続的更新なのである。
一方、同じ杉浦選手が19年の日本選手権で優勝したときの発言もまた印象的だ。
彼女は、このとき観戦していた特別支援学校の生徒たちを前にこう言ったのである。
“パラリンピックがある限り、障害のあることをちょっとラッキーと思ってほしい。
私が健常者ならここにはいない”
実は、彼女のレースを私は見ていない。観たのはゴール寸前とインタビューのニュース
映像で、その時の印象は、“このひとほんとに障碍者?”という感じであった。
彼女の経歴を辿ってみよう。
彼女は薬剤師として働きながら、趣味としてトライアスロンを始めたらしい。
30代になってからだというから、それ以前のことは分からないが遅咲きである。
ところが、5年半前のロードレース中に転落事故を起こし、脳に障害を負った。
以前、このブログの「祖国とは国語」で、“漢字と仮名は脳内の別の部分で処理されて
いる”という養老孟司先生の話を紹介したことが在るが、彼女はこの事故で、まさにそ
の説の通りに漢字が読めなくなったという。薬剤師に復帰するのは難しいとも言われた
絶望的な状況の中で、彼女は猛烈なリハビリと学習に励み、遂には薬剤師に復帰するま
で回復を遂げる。
彼女を称えるとすれば、むしろこちらの方で、自転車の「金」はラッキーな“おまけ”
というべきかもしれない。
いずれにせよ、現在の彼女は果たして障碍者なのだろうかという疑問は残る。
他にもそのような選手は見受けられるし、過去には健常者のなりすまし事件があったこ
とも事実である。
今回のパラリンピックは自国開催なので、いつもより報道に熱が入っているように見え
る。新聞記事もオリンピックに引けを取らぬボリュームである。
しかし実のところ、私はほとんど実況放送を見ていないし、記事も読んでいない。
なぜそうなのか、改めて考え直してみると、どうやら複数の要素が絡んでいる。
まず第一に、パラリンピックをオリンピックと切り離していることがある。
オリ・パラとひとくくりに呼ぶ割には両者の接点がない。パラリンピックでは障碍者
同士が戦い、それを健常者が報じてことさらに”素晴らしい“を連発する。
その姿が、私にはなんだか居心地が悪い。差別的な匂いが感じられるのである。
“オリ・パラは合体すべきだ”と私は思う。
走り幅跳びのように、種目によってはハンデなしに戦えるものもありそうだし、
視覚障害や車椅子なら健常者を同じ条件にして組み入れることも可能だ。
伴走者のある競技は「ペア競技」にすればよい。
第二に、パラの選手は国を背負っているという雰囲気があまりない。だから応援する方
も個人を応援する感じになるのだが、選手たちを知らないので、あまり熱が入らない。
しかし、“国家の威信をかける”雰囲気が強いオリンピックの方が本来の姿から外れてい
るのかもしれない。だから、オリ・パラを合体すればちょうどいい具合になるかもしれ
ない。
第三に、パラリンピックのクラス分けが複雑すぎるという問題がある。
観客(視聴者)にはそこがよくわからない。
公平性を保つために作られた細かい条件設定なのだろうが、障害の程度が千差万別であ
る以上、完全な公平性は望めない。そこは割り切ってもうすこしシンプルにする必要が
あると思う。
2021.9.02