樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

祖国とは国語(その2)(Y-9)

<日本人が守るべきもの>

私と同僚の「日本が守るべきものは何か」という議論は、

つまるところ、「国体の継続」というところにたどり着きましたが、

二人とも、まだ何か究極の価値にたどり着いていないような

”物足りなさ“を感じていました。

そして、ごく自然に、

「それでは日本人が守るべきものは何だろう」

という議論へと発展してゆきました。

たとえ国滅ぶとも、「日本人が最後の最後まで守り通すべきもの・・」

これまでの議論の中で、その姿は既にぼんやりと見えていたのか、

答えは案外早く見つかりました。

それが「ことば」つまり「日本語」です。

日本人を日本人たらしめているもの、それは国土でも血でもなく、

「ことば」なのではないかという答えです。

そして、日本人が日本語を大切に守っている限り、

日本人がどこかに消え去ることも、

誰かに飲み込まれてしまうこともないという確信です。

 

表題の「祖国とは国語」は、

数年後に読んだ藤原正彦のエッセイ集から拝借したものですが、

著者自身が“シオランという人の言葉らしい”と述べているので、

許してもらえるでしょう。

”らしい” というのは、

どうやら 山本夏彦のエッセイ集「完本文語文」からの引用のようで、

山本夏彦ファンを公言する藤原正彦さんが

この言葉に同調したものと思われます。

「自慢するわけではありませんが・・」

と言いながら自慢しているのですが、

そのこともあって、今回は少し話を引き延ばしています。

 

シオランという思想家は、初めて聞く名前でしたが、

調べてみると、異端というか ちょっと風変わりな感じの思想家です。

例えば、

“毎日毎日が 私たちに消滅すべき理由を新しく提供してくれることは

素敵なことではないか“

といった言葉が示すように、彼のアフォリズムにはどこか“人間嫌い”

の匂いが感じられるものが多いのです。

その彼が「祖国とは国語」という言葉を残したことには、

少し違和感もありますが、ルーマニア生まれのフランス人であることが

影響しているのかもしれません。

 

いずれにせよ、

考えれば考えるほど、この言葉には納得させられます。

文字を持たなかった私たちの先祖は、おそらく4,5世紀ごろに

漢字を導入し、恐るべき勢いでこれをマスターしました。

中国語の発音ができなくても、文章は書けるようになったのです。

有名な聖徳太子の17条の憲法も、原文は残されていませんが、

“以和為貴・・・(和を以て貴しとなす)

篤敬三寶・・・“(篤く三宝を敬え)

のように、漢文で書かれていたはずです。

しかもこのとき、漢字が表意文字であることを利用し、いわゆる

「訓読み」を考案したのはすばらしい先祖の知恵でした。

その次には、

日本語のまま文章に出来るように漢字の一部を「表音文字」に

替えてしまいました。

いわゆる万葉仮名の誕生です。

それが「和歌」の発展につながり、

日本人の感性や情緒に磨きがかかりました。

 

さらに平安時代になると、ひらがなカタカナを考案し、

ついには、表意文字表音文字を混合させた、

漢字仮名混じりの「国語」を作り上げてしまいました。

この漢字仮名交じり言語が私たちの国語を豊かにし、

日本人の心を作り上げる、原動力となったことは、

疑うべくもありません。

 

欧米先進国を除けば、自国語だけで博士号を取得することは難しい

と言われています。それができるのは日本には優れた翻訳文化が

あるからです。

つまり外国の語彙を置き換える日本語の語彙があるということで、

とくに、外来の哲学・経済・科学などの専門用語を

ことごとく造語して対処した、明治期の知識人の功績は

大いに称えるべきかと思います。

 

今回はここまでとし、

次回は、あの養老孟司先生が語った驚くべき“脳の機能”を皮切りに、

表意文字表音文字の併用がいかに有利であるかを

考えてみたいと思います。