樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

どうにもならない憲法の違和感(Y-4)

どうにもならない憲法の違和感

 

日本人であるにもかかわらずと云うべきか、

日本人であるがゆえにと云うべきか、

私は「日本国憲法」を好きになれないままに

年老いてしまいました。

初対面は中学3年生のときだったでしょうか、

その時抱いた違和感は今も消えないまま続いています。

困ったことに、

「この素晴らしい憲法を守ろう!」

と主張する人たちの中には、

我があこがれの吉永小百合さんをはじめ

とてもいい人達が多いのです。

しかし 誠に申し訳ないのだけれど、

やっぱりこの憲法を好きになれないのです。

 

違和感の第一はその前文です。

“日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、

われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが

国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって

再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに

主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

          (中略)

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して

はならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この

法則に従うことは、自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする

各国の責務であると信ずる。“

 

これが何かの翻訳であることは中学生でもわかります。

日本語の文章は、こんなふうに

語句や文節をペタペタと張り付けていくような形にはならない

・・・・ですよね。

後半部分などは正しく“悪文”でしょう。

試しに weblio の翻訳にかけてみたら 英→日 日→英 共に

全く意味不明・支離滅裂の文となりました。

このことは オリジナルの英文も 翻訳された日本語の文も、

どちらもが“悪文”であることを示しているようにも思われます。

どうしてこんなことになったのでしょうか。

時間がなかったのも 大きな原因の一つでしょう。

GHQの下で そうせざるを得なかったのかもしれません。

しかし もしかすると 

この憲法の起草に携わった日本人担当者(たち)が、

これが “日本人の手によるものではない” ということを

そっと知らせるために、それに気づいてほしいと願って、

あえてそうしたのかもしれません。

前文は条文ではないのだから、

もう少し“違和感”のない文章に替えてほしいような気がします。

じゃあ お前ならどう書く?

という挑発に乗せられて 後半部分を書き換えてみました。

 

政治における道徳性は自国のみを対象とするのではなく、全世界に敷衍されるべき

ものであり、他国と公正な関係を確保し、これを維持しようとするすべての国家が

守るべき原則であると我々は信ずる。

・・・あまりパッとしないですかね。

 

前文には内容的にも違和感があります。

 

“主権は国民にあり、憲法は国家権力を縛るものである”

という主張はその通りだと思います。 しかし、

そもそも国民が選んだ代表者から成る政府をはなから敵視し、

あたかも国民は過去も未来も常に無謬であるかのごとき論調には、

ちょっとついて行けないというか、 国民として 

“それってずるくない?” という後ろめたさを感じます。 

やはり 初めから 全面書き換えをお願いした方がよさそうです。

 

実は 私が“違和感”を感じる部分は前文だけではありません

例えば第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は

 主権の存する日本国民の総意に基づく“

という条文です。

 

ある番組であるコメンテーターがこんな発言をしてちょっと話題になりました。

”国民の総意に基づくとあるのだから、いつまでも世襲であっていいのか、

そろそろ考える必要があるのではないか“ と

 

第二条に“皇位世襲・・・”とあるのでアンダーラインの部分は不要だと思いますが、

このコメンテーターは、当然それを知っていながら 本心(天皇制反対)を隠して

視聴者を混乱させようとしているのでしょう。

 

このような例は他にもあります。

野党議員の中には、内閣や国会議員の誰かが憲法改正に言及するとすぐに 

第99条を持ち出して非難する人がいます。

内99条にはこう書かれています。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し

擁護する義務を負う“

だから、“尊重し擁護すべき立場の者が改正に言及するのはけしからん”

というわけです。

しかし 実はその前に第9章(99条)があって

そこには改正手続きが規定されているわけですから 

“改正の際は99条に基づいて実施する” のが憲法を守るということであって、

むしろ改正の発議をすることこそ国会の義務であると規定されているわけです。

いわゆる”護憲派“と呼ばれる人たちの中には、

分かっていながらこんな嘘を言う”先生“もいて困ったものです。

これに加担するマスメディアも同罪です。

 

憲法最大の嘘といえば、やはり第2章(第9条)戦争の放棄だと思います。

前段の“・・国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

は他国にもよく似た文言がある内容で何も問題はありませんが

2項の“前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。

国の交戦権は、これを認めない。“

という条文は 大問題です

9条に関しては もはや語りつくされた感があるので省略して“例えばこんな感じに”

という私案を恥ずかしげもなく提示してみます

 

2 前項の目的を達するため、我が国の独立と自衛に必要な最小限度の武力組織として、内閣総理大臣を最高指揮官とする陸海空自衛隊を組織編成し、これを保持する。

 

紆余曲折を経て、現在は ほぼこのような解釈となっているのだから、

その通りに書けばいいだけではないかと思うのです。

 

実はこのほかに、私には いの一番に改正してもらいたい条文があります。

それは あまり話題になっていない第27条で、

すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。”という条文です。

3項に“児童は、これを酷使してはならない”とあるので、

ここにいう”国民“とは老若男女、すべての国民を指していると解釈されます。

では 勤労の義務を果たしていない人、或いは様々な事由により

勤労の義務を果たせない人は、国民ではないというのでしょうか。

さしあたり 年金生活者の私の身分はどうなるのでしょうか。

共産主義の匂いがプンプンといった条文ですが、

仮に共産主義国家であっても この条文は問題だろうと思います。

第27条は 死ぬまでには改正してもらわないと 

“シンデモシニキレマセン”

 

憲法最高法規であるがゆえに、

それが守られない状態が続くということは、

”死んだも同然“どころか

”お前はすでに死んでいる!”と言われても仕方がありません。

そして 今現在がその状態なのです

 

死んだも同然の条文を修正し

時代とともに必要となった条文を加え

日本の文化と伝統を守るために

そして新たなる発展のために

憲法改正は喫緊の課題なのです