<神社の種類と格付け>
明治新政府は、慶応4年(明治元年)「神道国教化」の方針を採用し、本地垂迹説に代
表されるそれまでの神仏習合を禁じる太政官布告(神仏判然令)を発しました。
本地垂迹説とは、日本の神々は仏が化身したものだという一種の神仏同体説で、平安時
代に始まり、次第に一般化していました。たとえば、天照大御神は大日如来、秋葉権現
は観音菩薩、大国主神は大黒天といったような組み合わせが出来ていたのです。(宗派
によって組み合わせには違いがあります) そのため、神社に仏像が祀られていたり、
その逆に寺院に神体が納められていたりする例は数多くありました。
「神仏判然令」の内容は、塗装した鳥居は白木に変えること、神社にある仏像は寺院
に、寺院にある神体は神社へそれぞれ渡すこと、神社の狛犬はそのままでよいが唐獅子
は取り除くことといったもので、「仏教排斥」を企図したものではありませんでした
が、これをきっかけに全国各地で「廃仏毀釈」運動が広がり、多くの文化遺産が破壊さ
れるという事態に発展しました。
政府の当初の方針は、神官と僧侶を共に教導職に補任して両者による国民の教化を考え
ていたようですが、それはうまく機能せず、結果的には多くの寺院とともに僧侶の数も
激減してしまいました。
明治4年5月14日(1871.7.1)、政府は太政官布告のかたちで「近代社格制度」を発令
しました。これは、967年に制定された「延喜式」に倣い、新たに神社を等級化した制
度で、「式」というのは、律令の施行細則にあたります。
この社格制度で、神社は「官社」・「諸社」に分類され、伊勢神宮は特別の存在として
すべての神社の上位に置かれます。
また、官社は神祇官(のちに宮内省)が祀る「官弊社」と国司(後に知事)が祀る「国
弊社」に分類され、それぞれがさらに大・中・小に区分されました。格付けの順位は、
伊勢神宮>官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣
社となりますが、当初(明治4年)の時点では、官幣小社と国幣大社及び別格官幣社に
列せられた神社はありませんでした。
その詳細は省略しますが、官幣社は35社、国弊社は62社で合わせて97社というものでし
た。それが1946年GHQの神道指令によって国の管理を離れる直前には、官幣社84、国
弊社92となり、別格官幣社も0から28に増えて、その総数は2倍以上の208にまで膨れ上
がっていました。朝鮮、台湾はもとより、パラオにも神社が立てられていたのです。
靖国神社が格付けされた「別格官幣社」は、功績のある忠臣や国家に命を捧げた武将・
志士・兵士などを祭神として祀るために創設され、楠木正成を祀った湊川神社がその第
1号(M.5)となりました。日光東照宮(家康)、建勲神社(信長)、豊国神社(秀
吉)、上杉神社(謙信)、尾山神社(利家とまつ)などはみな、この別格官幣社になり
ます。社格としては最も低い格付けですが、実態としては官幣小社と同等に処遇されて
いたようです。菅原道真を祀る「天満宮」も本来は別格官幣社とすべきところですが、
「雷神」として例外的に官幣中社に格付けされています。
話を再び明治初期に戻します。
明治4年、神社は太政官布告により国家の宗祀とされました。つまり、明治政府は神社
を国の祭祀を行う公共施設として位置づけたのです。一方、江戸後期あたりから国学や
儒教の影響を受けた新興の神道系宗派が勢力を伸ばしていました。それらの新興宗教に
は教祖が存在し、それぞれ教義があって、従来の神社神道とは根本的に異なる部分があ
りました。そこで政府は、それらを「教派神道」としてまとめ、明治15年に従来の「神
社神道」から分離した上、「神社神道」を法制上“非宗教”扱いにしてしまいました。
“神社は一般の宗教とは別物“ということになったのです。
明治22年に制定された「帝国憲法」において、「信教の自由」は次のように条件付きで
保障されています。
28条: “日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ
信教ノ自由ヲ有ス”
この条文において、国が特定の宗教を管理又は支援することが憲法違反に当たるかどう
かは分かりませんが、いずれにせよ「神社神道」が”非宗教”である限り、この条項には
無関係な立場となったわけです。
そしてこの宗教観は、日本人に大きな影響をもたらしたと考えられます。
つまり、一つ屋根の下に神棚と仏壇が同居していることに何の違和感もないという感覚
が生まれたのです。そして、その感覚はさらに拡大し、七五三の宮参り、教会で結婚
式、お寺で葬式などといったことはごく普通の行動となってゆきます。 その行動は、
とくに一神教を信じる外国人には理解しがたい宗教観であろうと思いますが、それが自
然の行動として行えるのは、つまるところ、日本人にとってはキリストも仏も「カミ」
仲間に見えるからではないでしょうか。
2020年(令和2年)のデータによると、日本の宗教法人は180,544に上り、その内
訳は、文部科学大臣所轄の神道系が212、仏教系483、キリスト教系328、その他諸教
124、都道府県知事所轄の神道系84,361、仏教系76,572、キリスト教系4,492、諸教
13,972となっています。その信者を総計すると、2億人を超えるそうですが、その原因
は明らかに、法人の多くが大幅な水増し報告をしているからです。しかしそれは、必ず
しも間違いではないのです。現代の日本人の多くは、特定の宗教組織に対する帰属意識
は薄いものの、生活の中では様々な宗教的行事や儀式に参加しています。法人側はそれ
を信者と数えるわけです。3割程度あるいはそれ以上いるといわれる「信ずる神も宗教
もない」という人たちも、「無神論者」ではないのです。
二宮尊徳の「二宮翁夜話」には、“真理は一つだが入口はいくつもある”という話が納め
られています。いわば、「宗教多元主義」の思想です。
宗教多元主義とは、様々な宗教がお互いの価値を認め共存していこうという思想です
が、日本人の伝統的な宗教観はこれに近いのではないでしょうか。
最後に一つ言い忘れていたことを付け加えます。
現行憲法において「信教の自由」は、”信教の自由は何人に対してもこれを保障する”
(20条)として、無条件に保障されているようにみえますが、そうではありません。
実はその前の12条において、”この憲法が保障する自由及び権利は、これを濫用しては
ならないのであってに常に公共の福祉のためこれを利用する責任を負う(一部省略)”
と条件を付しているのです。
”常に公共の福祉のため”という条件は、帝国憲法の”安寧秩序を妨げない限り”よりもむ
しろ厳しい条件のようにも思われますが、(自由=わがまま)と誤解して日常的に憲法
違反をしている人もいるようです。これも戦後教育のなせるわざでしょうか。
次回は「靖国神社に祀られている英霊」についてお話ししたいと思います。
2023.10.11