樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

英国王の戴冠式から(Y-48)

5月6日、英国王チャールズ3世の戴冠式が行われました。

実に70年ぶりとあって、大いに世界の関心を集めるものと思われましたが、それほどで

もなかったというのが私の印象でした。

購読紙毎日新聞の扱いもいたって冷ややかで、この日大したニュースがなかったにもか

かわらず、1面の大半は残間里江子氏の特集記事で占められ、戴冠式は6面に追いやられ

たうえに「君主制反対論」に約半分のスペースを割くという扱いでした。

それでもTVで観る分には、”さすが英国”と思わせる映像が随所に見られました。

式典は従来よりも規模を縮小して実施されたということでしたが、世界の要人約2000人

が参列し、日本からは慣例により皇太子格の秋篠宮夫妻が出席されました。

秋篠宮の席は皇太子格のグループの最上位の席でしたが、その席次をめぐって、あるTV

番組でちょっと気になる発言がありました。その席次をわざわざ話題にしたうえで、

”それは日本の皇室と英国王室の長年の交誼によるものでしょう”とまとめてしまったの

です。

そうではないでしょう。前に当ブログでも触れた通り、欧州の王室はほぼほぼ親戚関係

にあって日英の交わりとは比較にならないほど深い関係にあるからです。日本の皇室に

最上位の席が用意されるのは、いわば”格“なのです。

「格」は王室の歴史で決まり、とくに理由がなければ、1.日本、2.デンマーク

3.英国、4.スペイン、5.スウェーデン、6.タイ・・・・となっているようです。

もしも好き嫌いで席次を決めていたらそれは要らぬ軋轢のもとになります。

日本の皇室の歴史は圧倒的で、世界で唯一「姓」のない家系であり(それは王朝の交代

がなかったことを意味します)、今や[King]よりも格上とされる「Emperor」と呼ばれる

唯一の存在なのです。

新国王チャールズ3世は、エリザベス女王と王配フィリップ殿下の子ですから従来の慣

習に従えば、ここで王朝名はウィンザーからマウントバッテンに替わることになります

が、そうならないように、すでに子孫の姓はマウントバッテン=ウィンザーとすること

が早々と(1960)決められていて、王朝の交代はないことになっています。

ウィンザー朝の始まりは、ちょっと複雑です。

英国が最も輝いた時代とも言われる前王朝・ハノーバー朝ヴィクトリア女王は王配に

ザクセン・コブルク・ゴータ家からアルバート公を迎えます。したがって、その子エド

ワード7世からゴータ朝となるわけですが、次のジョージ5世のとき、ドイツ風の名を嫌

ってウィンザー(城の名から)と改名してしまうのです。(1917)

これがウィンザー朝の始まりです。

新国王チャールズ3世の父フィリップ殿下は、エリザベス女王の“一目惚れ”が始まりで、

出会いはどうやらテニスコートらしく、どこかで聞いたような話ですが、フィリップ殿

下は、当初あまり歓迎されていなかったようです。彼はギリシャ国王ゲルギオス1世の4

アンドレアスとアリキ妃の間に末っ子(第5子長男)として生まれますが、生後1か月

の時にクーデターが発生し、国王の弟である彼の父も死刑を宣告されます。しかしそこ

に英国が介入し、一家は亡命することになります。その家系はギリシャデンマーク

ノルウエーの王家につながる名門グリュックスブルグ家で、フィリップの紋章は、デン

マーク王家、ギリシャ王家、母方のバッテンベルク家、エジンバラ市の紋章を組み合わ

せたものとなっています。

なぜマウントバッテン朝にならないのかは不明ですが、ウィンザー朝が生まれた時の経

緯やフィリップ殿下の姉たちがドイツに嫁していてチャーチルなどが彼を嫌っていたか

らではないかとも言われています。ヨーロッパの歴史はとても複雑で、王室の歴史も例

外ではありません。

チャールズ3世の即位によって、実は英国国歌にも変化がありました。

次の通り、「Queen」が「King」に替わったのです、当然ながら。

 

God save our gracious King              おお神よ我らが慈悲深き国王を守り給え

 Long live our noble King        我らが気高き国王よとこしえにあれ

 God save the King        神よ国王を守り給え

 Send him victorious        君に勝利を

 Happy and glorious        幸福と栄光をたまはせ

 Long to reign over us        御世の長からんことを

 God save the King          神よ国王を守り給え

                                                                  (世界の国旗国歌研究協会訳)

Godのあとにコンマ(,)が要るのではないかと思えば、これは仮定法現在形で「祈

願」を表す用法だとのこと。大統領演説などの最後に使われる“God bless you。God

bless America”と同じです。

実はこの国歌の作詞・作曲者はともに不明です。(複数の候補者は挙げられている)

詞は6節までありますが、通常は1節のみが歌われ、場合によっては1、2節または1.3節

が歌われます。4節以降は謳われることが在りません。

一般に、古い国歌には”外敵“に言及した部分がよく見られ、現在では省略または削除さ

れることも多いのです。

作者不明のこの国歌ですが、いつごろできたかは推定できます。そのヒントは、決して

歌われることのない第6節にあります。

6.ウェイド元帥の勝利が

  主の強大なる助力によりもたらされんことを

  彼が反乱を鎮めんことを願わん

  激流のごときスコットランドの反乱を打ち破らん

  神よ我らが国王を救いたまえ

 

キーワードはウェイド元帥とスコットランドの反乱です。

1640年、英国はクロムウエルが率いたピューリタン革命によりチャールズ1世が処刑さ

れ、共和制となってスチュアート朝が一旦途切れます。

しかし、まもなく厳格なピューリタニズムにもとづく独裁政治に国民の不満が募り、議

会尊重を条件に処刑された王の息子チャールズ2世をたてて王制復古します(1640)。

チャールズ2世には継嗣がなかったので弟のジェームズ2世が後を継ぎますが、フランス

育ちの彼は敬虔なカトリック信者だったのでプロテスタントの国教会と対立します。

ジェームズの娘二人は国教会側でしたが、異母弟として男子が生まれると王はカトリッ

クの洗礼を受けさせます。これに危機感を抱いた議会は、長女のメアリとその夫オラン

ダのウィレム3世を迎えてジェームズを追放します。この無血革命が「名誉革命

(1688)で英国は立憲君主国へと変貌してゆきます。

しかしこの時、ジェームズ2世とその直系を正統な国王として復位させようと活動する

グループ・ジャコバイトが誕生します。国王メアリの死亡(1694)に次いでウィレムも

死亡(1702)すると妹のアンが王位につきますが、アンは17回妊娠しながら、一人も育

つことがなく、処刑されたチャールズ1世の妹の系統からドイツのハノーバー選帝侯ジ

ョージ1世を迎えハノーバー朝となります(1714)。しかし、依然としてジャコバイト

スコットランドを拠点として勢力を保っており、1年後の1715年ついに反乱を起こし

ます。この時鎮圧にあたったのが国歌に登場するウェイドなのです。だから英国国歌が

生まれたのはまさにその頃に違いなく、もしかすると作者は推定できるが差しさわりが

あるので分からないことにしているのかもしれません。

英国のプロテスタンティズム(労働に価値を与えた)と議会制民主主義は産業革命をも

たらし、やがてこの国歌が世界中に鳴り響く栄光の時代へと発展させる基となりました。

改めてこの国歌を眺めてみると、それは「君が代」と同じ願いを謳っているように感じ

られます。別の言葉で言えばそれは「万歳」であり、英国国歌に「国王陛下万歳」とい

う題をつけることがあるのも頷けます。

国歌に込められた願いを一言で言えば、それは「継続」であり「保守」ということにな

るのではないでしょうか。

国歌にはその国の成り立ちや性格を知るうえで大変役に立つ情報が秘められています。

しかしながら、日本の国歌「君が代」は1999年に法制化されるまで、正式には国歌とし

て認められていませんでした。軍国主義の象徴だとして反対するグループは今なお存在

しています。そのためもあるのでしょうが、未だ国民の国歌に関する知識は、はなはだ

心もとない状況のままです。

国歌にはその国を知るうえで役に立つ情報が含まれているので、他国の国歌についても

メロディだけでなく詞にも関心を持つべきです。

日本が否応なくお付き合いせざるを得ない国といえば、それは過去・現在・未来を通じ

て、米・中・露・韓の4国であろうと思います。

次回から、それらの国の国歌をとりあげて、少々分析してみたいと思います。

                          2023.05.14