樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

「どうする家康」「どうする日本」(その1)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、好評のうちに幕を閉じた。しかし私的には、物語の進

展とともに“このタイトルはどうも内容にマッチしていないのではないか”という違和感

があった。この13人が後の泰時の時代に設置された「評定衆」の元となる「13人の宿老

(合議衆)」を指すものであるなら、それらしく扱われてもよさそうな中原親能や二階

堂行政などには全く光が当てられなかったからである。それが最終回で、13人は義時が

実質的な“北条幕府”を完成させるために死に追いやったいわば仲間たちであることが明

かされ、“参りました”と言う他はなかった。三谷幸喜は最初にこのシーンを頭に描き、

観客は元より演者までを欺いて一人悦に入りながら話を進めてきたのかもしれない。

 

鎌倉時代はよくわからないところが多々ある。このドラマでは、伊豆の田舎の小さな豪

族の北条宗時という男が“武士の世をつくり北条がそのてっぺんに立つ”という荒唐無稽

とも言うべき野望を抱いたことがすべての発端となっている。当人は早々と姿を消した

が、父時政、妹弟政子と義時、義時の子泰時の3代でその野望が完成されるという物語

である。それはまた、子が親を乗り越えてゆくという物語でもあった。いずれにせよ、

衝撃のラストシーンの余韻が覚める間もなく、大河は「どうする家康」へと舞台を移し

た。

そこで私も”そのうちいつか“と先延ばしにしてきたことに取り掛かることにした。

それは山岡荘八の「徳川家康」26巻を読破することである。

実はこの本は、1983年の大河が「徳川家康」(滝田栄主演)に決まったときに、当時中

学生であった長男が読んだもので、処分せずにとっておいたものだ。あまりにも長編な

ので手が出せずにいたのだが、目も衰えてきたので最後の機会だと思って決心したとい

うわけである。他の本も読むので4,5か月はかかると踏んでいる。

そして第1巻「出生乱離の巻」を読み終えたところで、TVの「どうする家康」が始まっ

た。小説の方は家康(竹千代)が生まれて間もないところなのに、TVドラマの方は家康

が今川の人質時代から始まり、名前はまだ松平元康だが早くも桶狭間の初陣まで進んで

しまった。小説の桶狭間は第3巻の最後である。今回のドラマがどういう仕立てになっ

ているのかはわからないが、出来れば小説の方を少し先行させて両者を楽しみたいので

追いつかねばならない状況だ。

 

「小説徳川家康」は昭和25年~昭和42年、足かけ18年にわたって新聞に連載された世界

一の長編小説である。作者山岡荘八は文庫本第1巻の「文庫版に際して」にこう記して

いる。

“この「小説徳川家康」は、第2次大戦の末尾、鹿児島県の鹿屋基地に最後の従軍を命じ

られてあった私の、戦後最初の新聞小説であった。ある意味では、鹿屋基地から次々に

飛び立って、沖縄のアメリカ艦艇に突入していった海軍特別攻撃隊の戦士たちに捧げる

私の香華のつもりであった。むろん当時戦争はそのまま書けなかった。そこでその壮烈

さ、淡々さ、若しくはそれを貫く誠実さを、時代を家康の草創期に借りて書こうと考え

たものだ。”

そして「あとがき」ではこうも述べている。

“私は徳川家康という一人の人間を掘り下げてゆくこととよりも、いったい彼と、彼を

取り巻く周囲の流れの中の、何が、応仁の乱以来の戦乱に終止符をうたしめたかを大衆

とともに考え、共に探ってみたかった。(中略)

読者から貰った投書の中に、当時の新興勢力織田氏ソ連になぞらえ、京文化にあこが

れを持つ今川氏をアメリカになぞらえて、作者は、弱小三河を日本として書いているの

ではないかというのがあった、私はそうかもしれないと答えた。しかし、私はこの読者

の声にさらにもう一つを付け加えたかった。その織田氏豊臣氏も、やがて今川氏と同

じ崩壊の種子を宿していた。実は作者の描きたい狙いの一つはそこにもあるのだと。“

 

三谷幸喜がそうしたように、作者は物語の結末や狙いを秘して進めるのが普通なのだ

が、山岡荘八は敢えて早々と狙いを語っている。そして、その理由についても、このよ

うに語っている。

“作者が小説の狙いを前もって読者に打ち明けることは或いは賢明でないかもしれな

い。が、私にあえてその愚かしい多弁を求めるものがあったとしたら私はこう答える。

―人間の世界に、果たして、万人の求めてやまない平和があり得るや否や。もしあり得

るとしたら、それはいったいどのような条件のもとにおいてであろうか。いや、それよ

りも、その平和を妨げているものの正体をまず突き止め、それを人間の世界から駆逐し

うるか否かの限界をさぐってみたいのだと。(中略)これは世に言う歴史小説とは少し

く違い、いわば私の「戦争と平和」であり、今日の私の影であって、描いて行く過去の

人間群像から次代の光を模索して行く理想小説とも言いたいところである“

 

家康は次々に降りかかるピンチをことごとくチャンスに変えてきた男である。今回の大

河ドラマのタイトル「どうする家康」もそこに焦点があてられるのであろう。

その最たるものとして、小田原攻めの際秀吉から「関八州を与える、その代わり現在の

所領東海5国を差し出せ」と要求されたことがある。“まるで美田と泥沼を交換しろとい

うようなもの”と門井慶喜が「家康江戸を建てる」に書いたとおりの無茶苦茶な要求で

ある。家臣団がこぞって反対する中、家康はこれを受け入れ、江戸というより関東平野

の大改造を行い260年にわたる平和と一つの文明の礎を築き上げるのである。

今回のドラマの脚本を担当するのは「相棒」や「ALWAYS三丁目の夕日」などで知られ

る小沢良太であるが、そのタイトルからしてもピンチをチャンスに変える家康の生きざ

まが描かれることになることは間違いない。

覇権を争う大国に挟まれた弱小国という環境は、現在の日本にも当てはまるものであ

り、「どうする家康」は「どうする日本」へのヒントを与えてくれるに違いないが、

「どうする日本」については次回送りとしたい。

                          2023.01.10