樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

終わりと始め(Y-36)

晦日、とくに見たい番組がなく、久しぶりに紅白歌合戦をたっぷりと観た。

残念ながら、初めて聞く歌や知らない歌手が多かったが、映像だけは少し楽しめた。

その流れにまかせて、“行く年くる年”の除夜の鐘を聞きながら、こんなことを思った。

 

行く年と来る年の境界には、何かがあるわけではなく、ただ見えない線が引かれている

だけである。例によって、世界のあちこちでその見えない線を乗り越える瞬間に向けて

のカウントダウンが始まるのだが、その瞬間に何かが物理的に変化するわけではない。

つまり年の終わりと年の初めは呼び名が違うだけで、実は同じものだ。

 

人生は、無限に広がる白紙の上に散りばめられた、これまた無数の「点」の中からどれ

かを選び、点と点を結ぶ作業を繰り返すようなものだと思う。

それらの「点」はいわゆる人生の「節目」であり、それまでの活動の終点であると同時

に次の活動の出発点となる。いわばEND/STARTボタンのようなものである。

そうした「点」は、半ば必然的に訪れる場合もあれば、突然に何の前触れもなく訪れる

場合もある。入学、卒業、就職、結婚、子の誕生、親の死、などは誰にも訪れる節目で

あるが、個人ごとに細部を見れば、それぞれはまるで人相のごとく個性的で千差万別で

ある。

 

シェークスピアの、彼にしてはあまりパッとしない「All’s well that ends well」(終わり

良ければ総て良し)という戯曲が出所らしいが、「始め良ければ終わり良し、終わり良

ければ総て良し」という言葉がある。たしかに、何事もいいスタートを切れば半ば成功

したようなところもあるし、結末さえ良ければ途中はどうでもよいといった面もある。

しかし大切なことは、始まりと終わりは川の流れのように繋がっていて、何かが始まれ

ば必ず終わりがあり、何かが終われば必ず何かが始まるということだ。

 

世界は、長引くコロナ禍の所為で経済を始め様々な分野で泥沼状態から抜け出せない状

況が続いている。しかし比較論的に言えば、日本はダメージが少ない方なので、よりい

いスタートが切れるはずである。2022年の始まりは、願わくば日本がいち早く光を取り

戻し、復興の先頭に立ってほしいものだと思う。

                          2022.1.3