樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

熟議民主主義の始まり(J-153)

11.11に開かれた特別国会において首班指名選挙が行われ、30年ぶりとなる決選投票を

経て、第103代石破総理が誕生した。

半月前に実施された解散総選挙では、与党が大幅に議席を減らして過半数割れとなり、

メディアは”自民大敗“と報じたが、結果として野党が目論んだ政権交代は成らなかった

のだから、”大敗“ではなく”辛勝“というべきであろう。

もし野党各党が手を組めば数字の上では政権交代が成立した。それが出来なかったのだ

から、野党第1党の立憲はよく言っても”惜敗“ということになる。実は公示前の98議席

ら148議席へと躍進した立憲民主党も、小選挙区における総得票数は1570万票で、前回

より150万票も下げている。戦後3番目に低い53.85%という低投票率のおかげで相対的

に浮かび上がっただけの話なのだ。

選挙結果は、キャスティング・ボートを握ることになった国民民主党などの”思うつ

ぼ“になったわけだが、もしかすると国民の多くもそれを望んでいたのかもしれない。

小選挙区制では、得票数全体では僅差であっても当選者数は大差となりやすく、本来は

政権交代が起きやすいとされている。支持政党なしという国民が多い日本ならなおさら

のはずなのだが、そうならないのは野党が離合集散を繰り返していて2大政党を形成で

きないからだと言われてきた。いわゆる55年体制は、社会党の消滅によって崩壊した

が、実はその残骸が今も残っている。端的に言えば、立憲君主制や外交安全保障等、

いわば“国家観”が大きく異なる勢力が二大政党への道を阻んでいるのである。

今回の総選挙は、自民党には裏金問題という逆風が吹き荒れるなかで実施されたが、私

立憲民主党政見放送を見て、2009年のようなことは起きないだろうと直感した。

立憲の政見放送野田佳彦代表と辻本清美代行によって行われたが、TV画面では、左側

に手話通訳が立ったので辻本氏が正面中央というかたちになった。しかも彼女が少し前

に出て光が当たっているように見えた。その映像が、かつての鳩山政権に結び付いたと

き、これは私だけの感情ではあるまいと思ったのである。

あの時は、多くの国民が“一度私たちにやらせてみてください”という口車に載せられて

鳩山民主党に投票した。民主党は193議席も伸ばし、308議席となる圧勝であった。

ところが、71%という高い支持率でスタートした鳩山政権は、10か月後には17%まで低

落する。何10年もかけてようやく決着した普天間基地の移設問題を”最低でも県外“と言

ってひっくり返すなど、その政策や言動はあまりにもリアリズムに欠けていたからであ

る。

後を継いだ菅直人は国旗に敬礼しない首相であることにまず驚かされた。そして、韓国

反日デモ慰安婦支援グループの水曜集会)に参加したことがある岡崎トミ子議員

を、こともあろうに国家公安委員長に指名するという驚きの人事をやらかした。さらに

は3.11の東日本大震災に当たっては指揮統率力の無さが浮き彫りになった。市民運動家

上がりの彼の得意技は”批判“でしかなかったことを国民は思い知らされたのである。

次の野田佳彦首相は、前二者と比べれば“まとも”であった。石原都知事の奇策に待った

をかけ尖閣を国有地としたのも英断である。だが、“まとも”であるがゆえにマニフェス

トになかった消費税増税に踏み切り、安倍総裁との党首討論の中で負けを承知で解散総

選挙を約束し、そして惨敗した。安倍元総理の言葉を借りれば、この”悪夢のような“3年

間の記憶はまだ残っているのである。

民主党はその後「民進党」や「希望の党」など離合集散を繰り返し、今はその大半が、

枝野幸男が立ち上げた立憲民主党に合流している。

今回の首班指名選挙における決選投票において、立憲野田代表に票を投じた少数野党は

共産党のみであった。そこに違和感があまりないのは立憲の中に親和グループがいるか

らである。先に述べた55年体制の生き残りだ。実は、そこがこの党の限界であり、ひい

ては2大政党実現への壁なのだ。

 

民主主義の最大の取り柄は、平和的・合法的に政権を交代させられることである。

何故に政権交代が必要かと言えば、権力は腐敗するという宿命を帯びているからだ。

しかし、国家観が異なればそれは「革命」となる。革命の対象は独裁かイデオロギー

であって、ほとんどの国民はそれを望んでいはいない。

勝者総取りの選挙システムと多数決の原則は、いわゆる「敵対的民主主義」になりやす

い。アメリカや韓国などはそれに近く、選挙の度に「恨み」や「報復」の種がまかれ

つづける。

しかし、多様化が進む社会においては「多数」=「正義」とはならず、多数決は意思決

定に手間がかかる民主主義の方便に過ぎない。

これに対し、異なる意見や立場を熟議することにより合意形成して行くやり方を「熟議

民主主義」と呼ぶ。

今回の総選挙は、期せずして(?)その状況を作り出したと言えるかもしれない。

果たして「熟議民主主義」の成果が見られるのか、はたまた決められない政治に終わっ

てしまうのか、そのカギを握るのは野党各党の能力と姿勢だ。

しかし、予算通過や法案成立と引き換えに、少数野党の人気取り政策を取り入れるとい

ったようなことが常態化するなら、それもまた健全とは言い難い。

やはり、55年体制以前の「自由党」と「民主党」のような、国家観に大差のない二大政

党が生まれ、適度に政権交代があることが望ましい。

いずれにせよ、新たな政治環境の中で、本来の政策論争がこれまでになく活発になるこ

とを期待してはいるのだが・・・・。

 

                           2024.11.15