樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

ネガティブキャンペーンに騙されるな(J-68)

観客数の最大が1万人かつ50%以下に制限されたとはいえ、有観客での開催が決まった

五輪がいよいよ目前に迫ってきた。選手団の到着が次々に報じられる中、そろそろメダ

ル予想や有力選手の紹介などがあってもよさそうなのだが、この期に及んでもメディア

はネガティブな報道を続けている。

開催までちょうど1か月となった今月23日、毎日新聞は紙面の多くを割いて、コロナ禍

の五輪開催を批判した。

まずCU(クローズアップ)では、こんな調子だ。

“祭典に対する思惑は3者3様だ。巨額の放映権料に支えられるIOC、世論の支持回復に躍

起の政府、都議選を間近に控える東京都、感染拡大の懸念が広がる中、それぞれの胸算

用が見え隠れする”

つまり、“オリンピックは権益と政治の欲の塊でしかない”と断じている。それが「毎

日」の基本姿勢と考えてよさそうな冒頭の部分である。以下、内容を詳しく紹介する余

裕がないので見出しを中心に取り上げてみる。見出しには、書いた側の姿勢がよく表れ

るからである。

スポーツ欄には、社会学上野千鶴子氏へのインタビュー記事が載っている。

その見出しは “歓迎されない初の五輪” だ。

しかし、調べてみると、上野氏はもともと五輪そのものに反対している人物らしい。

つまり、「毎日」の期待に応えてくれそうな人物を狙い撃ちした意図が丸見えだ。

16,17面全体を使った特集記事の見出しは“世界写す祭典・問われる意義”となってい

る。内容的にはオリンピックの負の要素・部分を列挙したもので、中でも一橋大学院坂

上教授の「ミニ論点」は “今大会は「やるべきではなかった大会」として後世に残る”

“「五輪は善」という認識が今回で崩れるだろう” とSNSばりの過激さだ。

この日の記事を一通り読んで、これはもはや中止させることは出来ないと覚った「毎

日」の”最後っ屁“なのかと思ったのだが、そうではなかった。その日から「毎日」、

東京オリンピックの分岐点“というドキュメンタリータッチの連載をはじめたのであ

る。メディアの性格上(商売上)そろそろ五輪応援団に変身してもおかしくないのに

、これはどういうことだろう・・・と考えているうちにふと気が付いた。

おそらくこれは、都議選を踏まえた「ネガティブキャンペーン」なのである。だから敢

えて連載記事を書いて引き延ばしているのだろう。そう考えると一連の動きがすべて繋

がってくるようにも思えてくる。となれば、とりあえず7月4日の都議選までこのキャン

ペーンが続くと覚悟しなければならないようだ。

直近の話題はウガンダをはじめとする選手団の陽性判明という事件(?)だ。

メディアはこれを“早くもバブル方式のほころびが明らかになった”と報じる。そして外

国の検査やワクチンの信頼性に疑問を投げかける。

あるいはまた、選手団に対する規制が一般より甘いことを見つけて“アスリートは特別

か”とクレームをつけ、“外国人と国民の命とどちらが大事か“とわめく野党の声を伝え

る。

しかしメディアは、基本的な知見に触れていない。おそらく、分かっていながらそうし

ているのである。

まず第一に、ワクチンに関する問題がある。ワクチンは後天性免疫を獲得して重症化を

防ぐ(あわよくば無症状化を狙う)手段であって感染を防ぐものではない。だから、ワクチン接種を済ませていても選手団から陽性者が出ることは十分あり得る。にもかかわ

らず、そのワクチンは信頼できるのかとおかしな方向に誘導しようとする。

確かに、中国のウィルスベクタ―ワクチンは、エボラ用と同じアデノウィルスを使用し

ているのでアフリカでは80%の人がベクター(運び屋)そのものを排除する免疫を持っ

ているため効果が期待できないという説があるが、それならそれではっきりとそう書け

ばよい。

第二はPCR検査関する問題である。PCR検査は検体を採取した時点におけるウィルスを

増幅させて感染の可能性を判断するものだ。陽性=感染ではない。また、陰性であった

としても、検査後ただちに隔離でもしない限り陰性を保障することは出来ない。

だから、選手団から陽性反応が出ることは覚悟のうえでその対策が必要となる。指摘す

るならそこで、政府もまた水際作戦をしっかりなどと言っている場合ではない。

第三は「バブル方式」に関する問題である。バブル方式は、選手たちと一般市民の接触

機会を遮断するシステムである。バブルの内と外を比較すれば、リスクが大きいのは外

側すなわち我々一般人の側だ。だからバブルで守ろうとしているのは選手たちに決まっ

ている。

それをあたかも、外国から得体のしれない新型株が入ってくるかもしれないといった懸

念に置き換えて不安感を煽るのは度が過ぎるというものだ。

 

東京オリンピックの招致活動に際して、日本は「お・も・て・な・し」と確かに言っ

た。当時頭に描いた「おもてなし」は、もはや絵にかいた餅となってしまったが、私た

ちは今できる「お・も・て・な・し」を考えなければならない。まずは選手たちが力を

発揮できるように出来る限りの環境を整え、そして無事に送り返すことが必須の条件

だ。そういった声がどこからも上がってこない。なんだかおかしい。

直近のニュースによると、ワクチン接種の進んだイギリスで再び感染が拡大しつつあ

り、1日の新規感染者数が2万人を超える状況だという。それでもイギリスは、7月19日

には予定通り規制を撤廃するという。重症患者や死者数が著しく減少しているからであ

る。極論すればイギリスでは「新型コロナ」は「旧型コロナ」に変わりつつあるという

ことだ。つまり、普通の風邪になりつつあるということである。

大谷選手につられてMLBの実況をよく観ているが、アメリカでも観客の顔からマスクが

消えている。コロナをなめてはいけないが、負け犬になるのは情けない。

 

ウィルスは宿主なしには生きられないくせに絶滅しない。それどころか、人類よりも歴

史は古いと言われている。絶滅しないのは宿主と共生してきたからである。ところが彼

らは頻繁に突然変異を繰り返し、ときに宿主を殺してしまうような”出来損ない“が生ま

れる。それがミツバチを宿主にするウィルスであれば、ミツバチは濃厚接触者ばかりだ

からあっという間に感染が拡大して全滅し、当然ウィルスも全滅する。しかしミツバチ

の行動範囲は狭いので離れた集団は感染を免れる。ヒトの場合はそうはならない。ヒト

の行動範囲は広いので、感染は極めて広範囲となる。一方濃厚接触者は比較的少ないの

で感染が一気に広がることはなく、長期にわたる事態となる。やがてヒトの免疫とウィ

ルスの無毒化変異とがあいまってパンデミックは収束するが、しばらくすると再び“新

型の出来損ないウィルス”が誕生して、ときにはパンデミックを引き起こす。

大雑把に言えば、ウィルスとの付き合いはそういうことだろうと理解しているのだが、

これからも今回のようなパンデミックが起きることは間違いない。しかしながら、今回

ヒトは遺伝子工学を応用して、新しいタイプのワクチンを短期間で作る技術を獲得し

、しかもそれが極めて有効であることを確認できた。次がいつになるかはわからない

が、その対処は格段にスマートに実施できるはずである。

さて、話を元に戻して、都議選のあとメディアの態度はどうなるのだろうか。

オリンピック中は、さすがにネガティブキャンペーンは控えるだろうとみているのだ

が、もしオリンピックが欠陥だらけでうまく運ばなかったときは、こんどは衆院選に向

けたネガティブキャンペーンが繰り広げられる公算が大きい。

今から身構えるのも馬鹿げてはいるが、騙されないように気を付けたいとは思う。

                                2021.6.30