樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

仕事をせんとや生まれけむ (Y-3)

 

”遊びをせんとやうまれけむ

戯れせんとやうまれけむ

遊ぶ子供の声聞けば

わが身さえこそ動がるれ”

 

これは後白河法皇がその編者であるとされる

梁塵秘抄」の中の 有名な一首です

 

ここにいう「遊び」は

「game」あるいは「play」といったイメージだと思いますが

この歌は

“遊びというのは人間の本能なのかもしれない”

と主張しているようです

古来人間は

権力者に制限された時も

“遊んでいる場合じゃない” 時も

遊びを捨て去ることはありませんでした

それどころか 時には”抜け道”をくぐるようにして

次々に新たな遊びを考案し 創造し続けてきました

個々の遊びに栄枯盛衰はあるにせよ

その種類は 今も増え続けています

そして その一部は次第に高度化され より専門化し

現代のような”プロ“の世界が生まれ

情報通信機能の著しい発展 という追い風もあって

いまや巨大な市場となっています

その市場を支えているのは

“ファン” あるいは ”サポーター” などと呼ばれる

大量の ”愛好者たち“ です

これらの人々にとって

「遊び」は「hobby」「interest」「pastime」のどれかであって

それらをひっくるめた名称が「趣味」

ということになろうかと思います

 

趣味は 人を夢中にさせるものの代表格であり

そのために働いているかのような「釣りバカ日誌」の「浜ちゃん」は

人々の共感を呼ぶ人気者です

謎の死を遂げた あの紀州ドンファン

「趣味は女性である」と豪語(?)していました

その反対に

「仕事が趣味」 あるいは

「私から仕事をとれば何も残らない」

という人たちも少なからず存在しています

 

しかし 圧倒的多数の人たちにとっては

それが娯楽であれ 自己啓発の一部であれ

趣味は リフレッシュのためのツールである

と云ってもよさそうな気がします

 

かつて私がゴルフを始めたころ

とても上手な人と一緒にプレーしたことが在りました

その人が見事にバーディーをとったので

「ナイス・バーディー!」と手をたたいたら

「いや、もう一つ取らんといかん」

と、あまりうれしそうでありません

その前に彼はダブル・ボギーを叩いていたからなのですが

その時私は直感したのです

“ゴルフは下手くそなままでいた方が楽しいかも・・” と

しばらくして 私は 次の言葉に出会いました

 

ビリヤードをまあまあ上手くやってのけるのは紳士のしるしであるが、

あまりにも上手すぎるのは時間の使い方を間違えた人生のしるし

                          マーク・トウェイン

この言葉は当時の私の気分にピタリとはまって

それ以降 私は練習場に行くのをやめました

一時夢中になった囲碁も同じです

当然どちらも成長は止まって 悔しく思うことも多々ありましたが

それも楽しみの一つと受け止め 後悔はしませんでした

それが私の「趣味」にたいする姿勢です

“何事にも全力を尽くせ” とか

“獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす”

といった言葉もありますが

趣味と仕事を同じ土俵に乗せるのはどうでしょう・・・

私はやはり “仕事あっての趣味” なのではないかと思います

 

仕事に関する名言や格言はたくさんありますが

私が出会った最高の名言はこの言葉です

 

“仕事の報酬は仕事である”

 

いい仕事をしたからと言って

その会社が必ず儲かるとは限らないし

個人としても 昇級や賞与が約束されるものでもない

しかしいい仕事をすれば 間違いなく次の仕事(注文)が来る

仕事の報酬は仕事なのだ という意味です 

この言葉は 私が社会人になろうとしたころ 大先輩から教えられたもので

ずっと 彼自身の言葉だと思っていたのですが その後

ある会社の社長さんが 自身のモットーにされていることを知りました

そこで 問い合わせてみたところ

先々代の社長(祖父)から教えられた言葉だということでした

私はソニー創業者の一人「井深大」氏ではないかと推測していますが

今もって この言葉の出所はわからないままです

しかし 誰の言葉であろうと

この言葉は 仕事というものの本質をついた名言だと思います

 

仕事に夢中になり 生きがいを感じられるならば

その人生は 間違いなく幸せだと言えるでしょう

そうなれるかどうかは

仕事に向き合う姿勢とも関係がありそうです

それをdutyととらえるか

あるいはtask ととらえるか

はたまたmissionととらえるか

その仕事に向き合う姿勢・覚悟によって

「toil」や「labor」が「pleasure」あるいは [reason of being]

に変わるような気がします 

仕事に打ち込んでいる人の後ろ姿は頼もしく

なんとなく爽やかで

時には感動的でさえあります

 

実はこれまで 

「仕事の報酬は仕事である」というこの言葉を

私はかなり多くの人に紹介してきました

「仕事の報酬は○○である」

さて、○○は何でしょう

と聞いてみるのがお決まりのパターンでした

正解を出した人はいませんでしたが

「○○は仕事です」と答えを明かすと

ほとんどの人がすぐに納得しました

さて

この質問を外国の人たちに出してみたら どんな反応を示すでしょうか

おそらく納得せずに 自分の答えを主張し続けるのではないでしょうか

ということは

ここに日本の “強み” があるとも言えそうな気がします

日本という国

日本の企業

そして日本の人々の心の中に

「仕事の報酬は仕事である」という実感が残されている限り

日本は 世界から一目置かれる存在であり続けられる・・・

この言葉にはそんな力があるような気がして 

広く伝わることを願っています

 

 

 

 

 

 

 

 [勝1]