樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

これからが、これまでを決める(J-23)

 

5.25、とり残されていた首都圏と北海道の「緊急事態宣言」が解除され、

新聞の見出しに従えば「全面解除」となった。

しかし、これがゴールでないことは、

言う方も聞く方も十分承知しているわけで、

「で?」とでも言いたいような、少々しらけた発表の場となった。

 

世界が不思議がろうが、遅すぎようが、

結果としては、まあまあここまでうまく運んだ日本なのだから、

少しは胸を張ってもよさそうなものだが、現政権には“雄弁家”がいない。

首相の言葉は粘りのないソバのごとくぶつぶつ切れるし、

誠実そうで失言がないのが取り柄の西村大臣は、専守防衛”で、

失礼ながら、大会社のクレーム処理担当のイメージが重なる。 

さて事態が一段落したこの時、

首相か大臣の口から発信するのに、将にふさわしい言葉がある。

それは、

“これからがこれまでを決める”という言葉だ。

「これまで」は「これから」を決めるかに見えて、実はわからない。

しかし、「これから」は、まぎれもなく「これまで」を決めていく。

政府や知事の対策も、国民の行動も、そして志村けんの死も、

あらゆるものが、「これから」によって評価されていくのである。

 

この言葉は、藤原正彦さんのエッセイ(文芸春秋)にあったのだが、

調べてみると、浄土真宗大谷派の藤代聡麿師の言葉らしい。

2017.1.1に東京文京区の稱名寺のブログにも載っているので、

もっと広まっていてもおかしくないのだが、

残念ながら私は知らなかった。

一度でも目にすれば忘れるはずのない、この歴史的名言をである。

 

今回、今この時にこそふさわしいと紹介したのだが、

考えてみると、いつでも、どこでも、どんなときでも、

この言葉は、必ず人の心に訴える力がある。

消すことができない過去、思い出したくない過去、

あるいは逆に、いい思い出、自慢したくなるような出来事・・・

それらはすべて、

「これから」の生き方によってその意味が変わる可能性がある。

過去は「これから」によって書き換えられてゆくのである。

いつかこの言葉をもう一度、その時はYシリーズで、

取り上げてみたいと思う。

                    2020.0527