樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

日本核武装論は暴論か(Y-40)

プーチンの演説から

5月9日、モスクワの赤の広場では恒例の「対独戦勝記念式典」が挙行されました。

しかし例年とは違って、観覧席に外国要人の姿はなく、規模も縮小されていました。

無法なウクライナ侵攻で、世界から非難を浴びながらもこの式典を強行したのは、内外

に余裕を示す必要があったのでしょうが、今回の特別軍事作戦の失敗をカモフラージュ

しようとする意図をも感じさせるものでした。

それがどうであれ、世界の注目はプーチンが何を語るかの一点にに集中していました。

”この日にプーチンは「勝利宣言」をするつもりだ”というのが1か月ほど前までの見方で

したが、予想外のウクライナの奮闘が続き、最近では”「戦争宣言」をして総動員体制

に移行するのでは”との見方が主流となっていました。

しかしプーチンは、この軍事行動を正当化するいわば”言い訳“に終始しました。

「戦争宣言」は必要なかったのでしょうか、そうではなく、”出来なかった”というの

が真実ではないでしょうか。さすがのプーチンも、ほぼ独断専行の軍事作戦に対して総

動員をかけるわけにはいかないだろうと思うのです。

それが何を意味するのかと言えば、”泥沼化“つまり”長期化“です。下手すると、この戦

争はプーチンが失脚するまで継続するかもしれません。

今回の露軍のウクライナ侵攻は、世界にこれまでにない衝撃を与えています。

それは、本来「通常戦」にも歯止めをかけるはずの「核」に、真逆の働きがあることを

知らされたからです。つまり、「核」を持つ国は、その気になれば持たない国を侵略で

きるということが示されたのです。

その核を持つ国のリーダーが「独裁者」であるほど、より危険度が高いことは誰でも想

像でき、現実にそういう国が存在していたことが“衝撃”なのです。

日本にとって、ウクライナの悲劇は決して他人事ではありません。周辺には、ならず者

とまでは言わないけれど「世界の無法三兄弟」ともいうべき中・露・朝が海を挟んで対

峙しています。流石の平和ボケ国家もようやく「このままでは・・」と考え始めたよう

な気配は感じられますが、未だ本格的な議論には至っていません。

現在持ち上がっているテーマを絞り込むと、一つは「防衛予算の増額」であり、もう一

つは「専守防衛の見直し」ということになるでしょうか。具体的には、「防衛予算の

GDP比2%(以上)への増額」と「敵基地攻撃能力の保有」が焦点です。

しかしその議論は、いずれも従来の思考からすこしも抜け出せていません。

GDPの何%などと外枠を決めて陸・海・空の予算分捕り合戦をやらせるのは、政治家や

官僚がそれが文民統制だと誤解しているからであり、本来の議論から外れています。

防衛費を世界と比較して、あたかも交際費のように扱うがゆえに、”戦闘機1機削れば幼

稚園がいくつ”といった的外れの議論が持ち上がるのです。かつて日本人は「安全と水

はタダだと思っている」と言われましたが、意識が変化したのは「水」だけです。

また、「敵基地攻撃」は意志の問題であって装備の問題ではありません。これまで、装

備そのものに無用な制約ををかけ、著しく抑止効果を損ねてきた歴史は大いに反省しな

ければなりません。

 

文芸春秋の特集記事から

そんな中、文芸春秋5月号は、”緊急特集「ウクライナ戦争と核」”と題して8人の識者の

論文を掲載しました。

しかし「核」に絡んだ論文は、「日本核武装のすすめ」(エマニュエル・トッド)、

「核共有の議論から逃げるな」(安倍晋三)、「核の選択・清水幾太郎を読み直す」

片山杜秀)の3編で、他は「核」については語られていません。

だからこの特集は、最初から「ウクライナ戦争と核」というテーマで企画したものでは

なさそうです。特集の内容は、タイトルほど「核」中心の議論にはなっていません。

最初に登場するエマニュエル・トッドの「日本核武装のすすめ」も、背表紙に赤文字で

紹介され、本文の題もそうなっているので、いかにも日本の核武装を主題とした論文の

ような装いですが、中味はそれほどでもありません。

本人が“自国フランスでは冷静な議論が許されない(袋叩き似合う)ので初めて日本の

メディアに自分の見解を公にした”と最初に断わっているとおり、「戦争の責任は米国

NATOにある」という独自の見解をまとめたものです。日本の核武装については最後

に触れられていますが、論文全体から言えば10分の1程度です。

とは言いながら、賛同しかねる前半のロシア擁護論とは違って、付け足しのような日本

核武装論の方にはかなりの説得力があります。

エマニュエル・トッドはこの論文の中で、“核の保有はパワーゲームの埒外に自らを置

くことを可能にする”ことで、それは“国家として自律することである“と主張します。

そして、”「核共有」という概念は完全にナンセンスであり、「核の傘」も幻想だ”と断

定します。なぜなら“使用すれば自国も核攻撃を受けるリスクのある核兵器は、原理的

に他国のためには使えないからだ”というわけです。

そして、この説はおそらく正しいのです、残念ながら。我が身を核保有国の立場に置き

換えてみれば、やはりそうならざるを得ないではありませんか。多くの国民もその判断

を指導者に期待するはずです。やはり、「核」は他国のためには使えないのです。

 

日本の選択

日本では、“唯一の核被爆国”という言葉がまるで枕詞のごとくに使われます。

だから?という問いには、“だから核兵器の非人道性を世界に訴え、核禁止運動の先頭

に立たねばならない”という答えが返ってきます。

何のために?と問えば、”世界から核兵器を失くすためですよ、当たり前でしょう”

と呆れ顔をされます。

どうやって?と聞けば、”だから最初に言ったでしょう日本が禁止運動の先頭に・・”

と元に戻ります。・・・それでいいのでしょうか。

核兵器禁止運動と言えば、国連の核兵器禁止条約の批准国が50か国に達し、2021年1月

に発効となりました。これによって締約国は、核兵器の開発や保有、使用などの全てが

禁止されています。締約国は、その後も徐々に増加してはいますが、影響力を持つには

至っていません。核保有国はもとより主要国のほとんどが”無視“しているからです。

日本も同様です。

現実的に見れば、この条約は核保有国の特権的地位を保証し非保有国の権利を奪うとい

うある意味差別的な条約とも考えられます。失礼ながら、締約国のほとんどは、核を持

つ能力のない国々に留まっているのです。核保有国にしてみれば、締約国の拡大は大い

に歓迎するが自身がその輪に入ることはないというわけで、この運動が実を結ぶことは

望めそうにありません。

ならば、唯一の被爆国日本はどうすればよいのでしょうか。

歴史を遡って、なぜ日本に原爆が落とされたのかを考えてみましょう。決定的な条件は

当時原爆を持っていたのがアメリカ唯一であったということに尽きるでしょう。もし日

本も持っていたと仮定すれば、戦争そのものが避けられたのではないでしょうか。

安全保障上の抑止力には、拒否的抑止と懲罰的抑止があり、安倍元総理はこの特集の中

で”日本は懲罰的抑止の全てをアメリカに依存している”と述べています。”全て”という

ところには不満がありますが、元総理が言うのだから日本の方針はそうなのでしょう。

しかし、拒否的抑止はいわば“虫よけスプレー”のようなものですから、“倍返し”的な懲

罰的抑止ほどの効果はありません。だから、抑止力の根幹となっているのは「日米同

盟」だというわけです。同盟こそが抑止力だというわけです。

ところが「核」には、単独でも最大の抑止力になり得る力があります。見方によって

は、小国が大国と対等な場に立てる「究極の防御兵器」であるとも言えるでしょう。

現に北朝鮮がそれを証明しています。

勿論、核兵器などない方がいいに決まっています。しかしその実現のためには、例えば

強力な国連軍のような実力組織が必要です。丁度国内における警察のような役割を果た

す国際的組織がなければ、人は安心して丸腰になることができません。

安倍元総理は、「核共有の議論から逃げるな」のなかで、“日本は「作らず、持たず、

持ち込ませず」に加えて、「言わせず、考えさせず」まである非核五原則だ”という故

中川昭一議員の言葉を紹介しています。日本がまず考えるべきことは、世界の前に日本

が再び核の被害に遭わないための方策です。そのために最も有効な手段が「核の保有

であることに議論の余地はありません。4~5隻の核搭載原潜を持つだけで日本の抑止

力は格段に向上するでしょう。アメリカはそれを望まないかもしれませんが、核の傘

より確実なものとするためにも、その意思があることを表明すべきです。

しかし、たとえ頭では理解しても、日本が一気に核保有に向かうことは無理だろうと思

います。ならばどうするか。それは海上兵力の増強です。日本を攻めるには海を渡らな

ければなりません。最終的には着上陸侵攻によってどこかを占領し屈服させることが必

要です。それをさせないために何が一番効果的でしょうか。最も効果があると思われる

戦略はおそらく米空母を日本近海―出来れば日本海ーに存在させることでしょう。

だから、日本の海上兵力は米空母を護る能力に集中させる。そのくらいの覚悟を決めな

ければ、アメリカの懲罰的抑止力を確かなものにはできないのではないでしょうか。

もう一つは、在日米軍基地の存在です。日本を攻めることはアメリカに刃を向けること

であると相手に認識させなければなりません。

”自分の国は自分で守るという強い意志がなければ誰も助けてくれない”という言葉をよ

く聞かされます。しかし、ウクライナの現実はどうでしょう。助けてくれると言っても

武器などの支援と経済制裁だけではありませんか。ウクライナはロシアを攻撃できませ

ん。自国に侵入したロシア軍と戦うだけです。核を持たない国が核を持つ国に攻められ

た場合はあのような戦いを余儀なくされるのです。悲惨です。

しかし日本は自らそのような戦いしかしないと宣言し、実際にそのような戦力装備をし

ているわけです。”もし攻められてもあなたの領土に対する攻撃は致しません、どうぞ

試してみてください”と言っているようなものです。本当にそれでいいのでしょうか。

どんなに想像を膨らませてみても、日本に対して武力を行使するかもしれない国は先に

述べた三つの国しかありません。そしてその三国はいずれも「核」を保有しています。

日本の安全保障は「核」抜きには語れないのです。

ところが、エマニュエル・トッドが”「ロシア擁護論」は自分の国では発表できない”と

語ったように、日本では「核」を語ることがタブーになっています。だから、エマニュ

エル・トッドや40年前の清水幾太郎を引っ張り出すしかないというのが日本の言論界の

実情なのです。

日本が本気で核廃絶の先頭に立とうというのなら、まずは核保有国の仲間に加わり、

次いで国連の安全保障常任理事国入りを果たし、国連軍の常設を実現する、といった大

胆な発想が現実主義者の中から聞こえてきてもおかしくはないと思うのですが、そんな

意見は”核アレルギー状態の現状では、”暴論”の一言で片づけられること必定です。

さはさりながら、今回のウクライナ侵攻が、あたかも”黒船来航”のようなインパクトを

日本に与えたことは間違いなく、その影響が建設的な防衛論議に発展することは十分期

待できます。

日本人にとって悩ましい問題の一つに”花粉アレルギー”がありますが、「核アレルギ

ー」はそれ以上に悩ましい問題です。今回は、本来語るべき人たちが口をつむぐ「核」

について、素人の強みと無責任さを武器に勝手気ままな意見をのべてみましたが、これ

をテーマに議論する気も能力も私にはありません。ただ、アレルギーからの脱却には、

まず自由に語ることが必要だと考えるだけです。

とりあえず10年後を見てみたい気がしますが、生きていますかね。

                          2022.05.15

 

 

憲法記念日の失望と希望(J-108)

5月3日憲法記念日の朝のこと、郵便受けに共産党の”チラシ“が投入されていた。

明らかに夏の参院選に向けた活動とみられ、”フライング“の感もするのだが、タイトル

は”ロシアは侵略戦争やめよ“となっている。その中味は、この機会にロシアを非難し、

共産党に対する負のイメージを払拭したいという意図がありありの内容だ。

要約すれば、“安保条約、自衛隊社会主義などについては、国民の意思により変えて

ゆく、日本共産党は現行憲法全条項を守る立場なので天皇制も当然守る。労働時間を大

幅に短縮させ、その自由時間を使ってそれぞれの個性や潜在的な能力を最大限発揮でき

る社会を目指す”といったところだ。

一見”みんなの党“的表現だが、よく読めば矛盾だらけ、詐欺師的文言である。

仮に政権与党の座に就いたならば、天皇制は国民の総意でないからと言って廃止に向け

た動きをするだろうし、また個人の能力や個性は、むしろ労働(仕事)において最大に

発揮されるのが民主主義の世界なのだから、そもそも労働に対する感覚が古いままだ。

何よりも、近年は憲法改正を望む国民の方が多数を占めるようになっているのだから、

何事も国民の意思により決めてゆくというのなら、改憲論議お断りという態度を改め、

憲法改正の発議をすることこそ国会議員の責務であることを再認識する必要がある。

 

憲法改正の賛否を問う世論調査は毎年行われているが、実は今年の調査には例年以上の

関心を抱いていた。言うまでもなく、ロシアのウクライナ侵攻が国民の意識を大きく変

えたのではないかと期待していたからである。ところが、実際にはあまり大きな変化は

起きなかったというのが実態だ。

細かいデータは省略するが、その数値は調査機関によって相当の開きがある。

ここ数年間の調査結果は、大まかに言えば、読売、産経、共同では憲法改正に賛成が50

~60%、反対が40%前後であるのに対し、朝日、NHKは30~40%で両者が拮抗

し、毎日はその中間と言ったところで落ち着いている。

しかしながら、今年の朝日とNHKのデータには注目すべきポイントがあると思われるの

で、そこに焦点を当ててみたい。 数値は%で()内は昨年の値である。

 

       憲法改正に 賛成   反対   9条改正に賛成   反対

   朝日    56(45) 37(44)  33(30) 59(61)

   NHK      35(33) 19(20)  31(28) 30(32)

 

NHKは電話調査なのでその影響があると思われるが、この5年間数値はほぼ変化せず、

常に“どちらでもない”が40%を超えている。NHKは他の調査と大きな乖離があること

について、自分たちの調査方法に疑問を持つべきであるのだが、不遜にも都合のいい専

門家を引っ張り出し、“改正への流れができるのではと懸念したがデータを見る限り国

民は冷静だという印象を受ける”(東大石川健治教授)などとコメントさせているから

たちが悪い。

また、朝日の調査結果は今回改正賛成が反対を大きく上回り劇的に変化した。朝日は、

その理由として女性の賛成票が増えたことを挙げている。 一方9条改正については、

相変わらず6割程度を改正反対派が占め、他社の調査と大きく異なる。

朝日の調査には、いわゆる”バイアス“がかかっていると見るべきかと思うが、いずれに

せよ、今年の憲法改正に関する世論調査結果は、全体として見れば従来と大きな変化は

なく、私の希望的予想とはかなりの開きがあった。

 

ロシアのウクライナ侵攻は「核を持つ国が核を持たない国を侵略した時、それを止めら

れるものがいない」という現実を国際社会に突き付けている。そして我が日本は、厄介

な三つの核保有国と問題を抱えながら対峙している。ウクライナは決して他人事ではな

いのである。

しかるに衆院憲法審査会で野党側の筆頭幹事を務める立民の奥野議員は「ウクライナ

問題をダシにして改憲に突き進もうとする与党の姿勢を許すわけにはいかない、ロシア

より許せないのが今の自民党だ」といい、志位共産党委員長は「日本がやるべきことは

敵基地攻撃能力ではなく東アジアを戦争のない平和な地域にすること」だという。

この人たちはウクライナに「日本国憲法をプレゼントしよう」というつもりなのか。

憲法改正に関する世論調査結果から“国民の意識はあまり変わっていない”と結論付けた

憲法学者やメディアは、それを“国民は冷静だ”と持ち上げる。

本当にそうなのだろうか。ただ能天気なだけか平和ボケなのではないか。

その想いが表題の憲法記念日の「失望」の部分である。

 

では何が「希望」なのかといえば、意外に思うかもしれないが朝日の調査にある。

朝日の調査には、「今夏の参院選で与党と憲法改正に前向きな勢力が3分の2以上の議席

を占めた方が良いと思うか」という問いがある。実はこれに対する回答で、改憲勢力

2/3以上を占めた方が良いが44%で、占めない方が良いの35%を大きく上回った。

朝日は前回の参院選前(2019年)の調査では、44対46で占めない方が良いが多かった

と残念そうに伝えているが、朝日の調査にしてこの数値なら実態はそれ以上かもしれ

ない。NHKの調査でどちらとも言えないと態度を明らかにしなかった4割を占める人た

ちの本心は、もしかすると改憲賛成派が多いのではないかとも思われ、そこに「希望の

光」を感じたのである。

                           2022.05.06

 

 

ウクライナのコサック魂(J-107)

 

大方の予想に反して、ウクライナが驚異的な頑張りを見せている。そのエネルギーの源は一体どこにあるのだろうか。

 “そのヒントはここにある”

ウクライナの国歌を引っ張り出してきたのがフジTVの「めざまし8」である。

いいところをついていると思うが、言葉足らずの感がしたので少々掘り下げてみたい。

日本語訳は色々あって、定番らしきものはなさそうだったので、そのいくつかを参考に

して、自分流に意訳してみた。

 

     <ウクライナは永遠に> 

   1.ウクライナの栄光と自由は滅びず

     運命は再びわれらに微笑む

     敵は陽の下の露と消え

     我らの地は自ら治める

     身魂を捧げよう 自由のために

     そして伝えよう 我らがコサックの末裔であることを

   2.同胞たちよ 戦場であろうとも

     立ち上ろう サン川からドン川まで

     我らは他者による支配を認めない

     ウクライナに幸運は再び巡り

     黒海は微笑みドニプル川は歓喜に満ちる

     身魂を捧げよう 自由のために

     そして示そう 我らがコサックの末裔であることを

   3.我らの忍耐と努力は報われ

     自由の歌はウクライナに響き渡る

     カルパチア山脈にそして草原に

     ウクライナの名声と栄光は世界に知れ渡る

     身魂を捧げよう自由のために

     そして示そう 我らがコサックの末裔であることを

 

この歌に謳われているのは「自由」と「独立」であり「不撓不屈」の精神である。

そして、繰り返し強調されているのは、“我われはコサックの末裔である” という自分

たちのルーツである。

では、コサックとは何者なのか。

「コサック」という言葉は、「自由な人」「豪胆な者」を意味するトルコ語由来だそう

だが、時と場合によっては「放浪者」「無法者」といったニュアンスもあるらしい。

遺伝子的にはタタール人とスラブ人の混血が主体となっているようだ。

元々はウクライナと南ロシアのあたりに生まれた軍事的共同体で、16世紀ごろにはポー

ランドに属するザポロージャ・コサックとドン川流域でロシアに依存していたドン・コ

サックの二つに分かれていた。自由と自治を好む性格から、しばしば反乱を起こしては

抑えつけられるということを繰り返していたが、ロシア革命後のソ連の時代には苛烈な

弾圧を受け、人口の7割が死亡したとも言われている。そのために、WWⅡではコサッ

クはドイツ軍に味方した。今次のウクライナ戦争では両者が相手を“ナチ”呼ばわりして

いるが、どちらにもこじつけはあるにせよ言い分があるともいえる。

2番の歌詞に出てくるサン川は、ポーランド国境のカルパチア山脈からバルト海に達す

ヴィスワ川の支流でポーランド領にあり、ドン川はヴォルガ川と運河で結ばれたロシ

ア領内の大河であって、いずれもかつての東西の激戦地である。

歴史的に見れば、ロシアとウクライナは密接なつながりがあり、プーチンベラルーシ

ウクライナは同胞であり一体だという。しかしウクライナにしてみれば迷惑な話だ。

彼らにとってプーチンがやっていることは、例えが悪いかもしれないが、いわば“俺の

女に手を出すな”と凄むヤクザか “ストーカー殺人” に近い感覚かもしれず、このし

こりは日韓関係どころのレベルではなさそうにみえる。

それにしても、ウクライナ人の不撓不屈の精神には恐れ入る。

先の北京パラリンピックでは世界第2位のメダルを獲得したが、今にして思えば、それ

も逆境に強いウクライナの証明だったのだろうか。

これが”コサック魂”といえば恰好はいいが、そろそろ何とかならないものか。

                         2022.4.22

東大入学式から小さな波紋(J-106)

4月12日の東大入学式における来賓祝辞が、小さな波紋を広げている。

この日来賓祝辞を述べたのは、東大校友会会長の宗岡正二氏と映画監督の河瀨直美氏の

お二方であったが、ちょっとした騒ぎとなっているのは河瀨監督のスピーチだ。

その全文は東大のホームページなどで見ることができるが、正直なところ私には分かり

にくい表現が多く、頭脳明晰な若者がどのように理解したのか、少々気になっている。

私の頭で河瀨氏の主張を要約すれば、「自由に生きることの苦悩と魅力を存分に楽しみ

ながら、当たり前と思っていることの奥に隠れている真理を追求してほしい」といった

ところだが、河瀨氏は自身のこれまでの歩みといくつかのエピソードを紹介しながら、

その説明をしようとしているように見える。

物議を醸しているのは、その中のあるエピソードに関連する部分である。

節分の豆まきで「福は内、鬼も内」と掛け声をするお寺の管長と対話する機会があった

際、その管長がつぶやいた「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとん

や」という言葉に氏は反応する。

“この言葉を私は逃しませんでした。管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないの

で、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすること

はこういうことではないでしょうか? 例えば「ロシア」という国を悪者にすることは

簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとし

たら、それを止めるにはどうすればいいのか、何故このようなことが起こってしまって

いるのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろう

か?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで私は安心していないだろうか?

人間は弱い生き物です。だからこそ、繋がりあって、とある国家に属してその中で生か

されているとも言えます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性がある

ことを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って

それを拒否することを選択したいと思います。”

 

これに対して、SNSを中心に“悪いのはロシアに決まっている”といった調子の意見が殺

到し、果ては著名な大学教授までもがご登場する騒ぎに発展した。

東大の池内教授は「侵略戦争を悪といえない大学なんて必要ない」と言い、慶応の細谷

教授は「ロシアとウクライナの違いを見分けられない人は人間としての重要な感性の何

かが欠けているか無知かのどちらかだ」と言い放った。

また、東京外大の篠田教授は“「どっちもどっち」論を超越的な正義として押し付けよ

うとする人々がこの社会で力を持っている”と名指しを避けながら一部著名人の言動を

批判した。

 

しかしよくよく見ると、河瀨氏はロシア寄りの発言をしているわけではない。

「悪」を存在させることで「私は」安心しているのではないだろうか、と言っている。

私は真実がつかめていない、私は無知なのだ。もしかすると皆さんもそうではありませ

んか、と語りかけているのである。

では河瀨氏の発言に問題はないのかというと、実は大いなる問題がある。

それは最後の“自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚し

ておく必要があるのです”というところだ。

今回の騒ぎは、本来この部分に対する批判が中心であるべきであったと思う。

今回の戦争を観察して、“自分たちの国がどこかの国を侵略する可能性があることを自

覚しなければならない”というべき対象はロシア国民とその他少々の国であって、どう

考えても今の日本の若者に対して言う言葉ではない。見通せる将来において、自覚すべ

きは、略侵する側よりも侵略される側になることの可能性である。やはり、ウクライナ

のような事態にならないためにはどうすべきかとなるのが普通の感覚だ。

 

今回の河瀨氏の発言が何事もなく過ぎ去ったとすればそれもある意味怖い話だが、波紋

を広げたと言ってもそれはあくまで小さな波紋に過ぎない。しばらくアンテナを伸ばし

ていたが、大手メディアは取り上げる気はなさそうである。

なぜ河瀨氏が来賓祝辞を述べることになったのか。なぜ大手メディアは無視を決め込ん

でいるのか。そこがいささか気になるところであるが、河瀨氏の言葉を借りて誤解を恐

れずに言うと、“いわゆる東京裁判史観がいまだ広く深く浸透している”ということかと

やはりなってしまう。勿論こう言えば「どっちもどっち」論者から突っ込まれることは

覚悟の上である。

                          2022.04.17

 

中国の狙いは「漁翁得利」か(J-105)

 

ロシア軍の突然のウクライナ侵攻から50日、戦況はまさに泥沼化の様相である。

現在は、ウクライナ東部が主戦場となっているが、ロシア軍の民間人大量虐殺の実態が

明らかになるにつれ、一時は期待もされていた停戦・和平交渉はどこかへ吹っ飛んで行

ってしまったようだ。 NATOからの武器支援と半ば無責任な世界の応援団に押され、

ウクライナもやすやすと白旗を揚げる訳にはいかない状況になってきた。

今後の予想については二つの見方がある。一つはウクライナ全土の制圧と政権転覆を諦

めたプーチンが、5月9日の「対独戦戦勝記念日」までに何らかの成果―例えばドンバス

地方の完全制圧―を出して勝利宣言をし、ロシア側に有利な停戦・和平交渉に持ち込む

というものであり、もう一つはまだまだ終わらず最悪2~3年は戦争状態が継続するとい

うものだ。

いずれにせよ、主導権はロシア側にあり、ウクライナには気の毒だがウィン・ウィンの

決着は望めそうにない。

世界の多くの国々は厳しくロシアを非難するものの、核のボタンを収めたカバンをちら

つかせるプーチンの前に、直接介入はできない。数次にわたって強化された経済制裁

よるロシア経済のダメージは相当な規模に及んでいるようだが、これに同調しない中・

印の貿易額の方がはるかに大きいので、その効果は限られたものとなる。

要するに、カギを握っているのは中国なのである。

毎日新聞の社説(4.10)は「大国にそぐわぬ利己主義」と題して中国の外交姿勢を次の

ように批判した。

“中国の姿勢はロシアによる侵攻から1か月以上過ぎた今も曖昧なままだ。

「主権と領土の一体性」の尊重を訴えながら、対露批判は避けている。

・・(中略)・・

中国は「国連中心の秩序」を掲げてきたはずだ。ロシアへの国際的な圧力を弱めるよう

な言動は大国としてふさわしくない。“

 

この社説、一言で言えば”甘い“。

”日頃ご立派な貴方らしくない”と阿っているようにさえ感じられる文脈だ。

識者の中には“中国は困っている”と論評する人もいる。

ロシアにもウクライナにも友好関係を維持しているからだという。

これもまた中学生レベルの分析である。

 

中国は板挟みになっているわけではない。明らかにロシア側に立っている。

しかし中ロ関係を歴史的に見れば、むしろ敵対関係にあった期間の方が長く、両国が手

を結ぶのは概ね共通の敵が存在する場合に限られている。かつての日本や今のアメリ

がそれだ。

中国は、“現在の状況を憂慮する”と言いながら、実は”いい塩梅だ“と思っているかもし

れない。戦争が長引けば長引くほど中国の存在感は増大する。両者が疲れ果てたところ

で仲裁役としての出番が回ってくれば最高だ。一方ロシアは、勝利したところで弱体化

は避けられない。それは中国に対する潜在的な脅威を低下させると同時に、米欧との対

立構造をさらに拡大させて結果的に米欧の対中圧力を分散させることになる。

偏見かも知れないが、中国は対等な同盟関係を結ぶことが嫌いな国のようである。

それはおそらく”約束“とか”契約“に対する意識が緩いからなのだろう。

だから、中露が軍事同盟を結ぶことは金輪際あり得ないと思う。

中露の信頼関係は“理”ではなく“利”によって左右されるのである。

中国は今、“何もできない”のではない。それが最も”得”だと思うから“何もしない”のだ。

待っているだけで、“嫌われロシア”の資源を優先的に確保し、廃墟と化したウクライナ

の復興支援をする“という状況がやってくる。これこそ中国のベストシナリオだ。

だから中国は傍観している。漁翁得利すなわち「漁夫の利」作戦である。

中国にとっての心配事があるとすれば、「プーチンの失脚」による終結なのだが、そこ

に至るルートは中国の態度によって大きな影響を受ける。よって今後中国の態度に変化

が生じるかどうかは、最も注視すべきポイントのようにも思われる。

                           2022.04.14

 

首相公選制を再考する(J-104)

あまりホットな話題ではないが、今世界で起きていることと無縁ではないとも思うの

で、この際「首相公選制度」について再考してみたい。

このテーマは、私の頭の中では賛否いずれの引き出しにも収まらず、長らく一時保管箱

に入れられたまま放置されてきた。というより、停滞する日本のカンフル剤になるかも

しれないこの制度改革に対して、識者も国民もすっかり熱が冷めてしまっている。

今なお旗印に掲げているのは「維新の会」だけかもしれない。

 

首相公選論が初めて登場したのは、戦後まもなくの1945年のことだ。新憲法制定のため

に組織された「憲法問題調査委員会」において、野村淳治東大名誉教授が提案したのが

始まりらしい。

その後、1961年に中曽根首相が提唱したことがあるが、大々的に検討されたのは2001年

小泉首相が私的諮問機関として立ち上げた「首相公選制を考える懇談会」においてで

ある。この懇談会は佐々木毅東大総長を座長とする11名の有識者たちで構成され、12回

の会議を経て1年後に報告書を提出した。

報告書では3つの案が提示され、それぞれの特徴や実現するための要件などが述べられ

ているが、最初から特定の案を推奨したり優劣を論じたりするものではなかった。

三つの案を簡単にまとめれば次のようなものとなっている。

 

第Ⅰ案:国民による直接選挙(大統領制に近い)

    立法と行政の厳格な分離(閣僚は国会議員との兼務不可)

    任期4年、3選を禁止

    首相の権限は強化されるが、議会とのねじれ現象が起きやすい

第Ⅱ案:議院内閣制を前提にした首相統合体制

    首相候補者を明示して衆院選を行う。(衆院選が事実上の首相指名選挙に)

    閣僚は基本的に国会議員から指名

第Ⅲ案:現行憲法の枠内における改革案

    制度的な問題や慣行に関する課題を是正し政府と与党との食い違いをなくす

    具体的には・党首選出手続きを国民一般に開かれたものとする。

         ・首相の人事権強化

         ・政権担当中の与党党首任期規定の停止  など

 

首相公選制度の狙いは、首相のリーダーシップがより発揮できるようにすることであ

る。端的に言えば、”決められる政治“への転換だ。私も以前は橋本徹氏などの口車に乗

せられてどちらかといえば賛成側にいた。ところが、不思議なことに議院内閣制を採用

している国の中で、首相公選制度を設けている国は皆無なのである。だから参考とすべ

きモデルがない。唯一1992年に公選制に変えたイスラエルは、予想に反して小政党が分

立して政局が不安定になり、わずか3年で元に戻してしまった。だからと言って、日本

もそうなるとは思われないし、イスラエルの失敗がこの議論に冷水を浴びせたわけでも

なさそうに思う。

問題は、先に紹介した「懇談会」が提示した3案のうちⅠ、Ⅱ案は憲法改正が必要で、

Ⅲ案はとても首相公選制とは言い難いからである。しかも、Ⅰ、Ⅱ案は、憲法改正に手

を付ける前に、参議院の在り方、衆参の選挙制度の在り方、政党法の問題を片づける必

要があるのだという。とてもじゃないが、今の政治家にそのような覚悟とエネルギーが

あるはずもなく、この問題はいわば”泣き寝入り“のかたちで火が消えてしまった。

 

しかし、最近になって私の考えは変わった。首相公選制はあまり良くないかもしれない

と思い始めたのである。逆に"箸にも棒にも掛からない”と思っていた第Ⅲ案を練り直

せば十分ではないかとも思うようになったのだ。

その訳は、ロシアと韓国にある。最近の両国の事情は、直接選挙でリーダーを選出する

政治形態のリスクを如実に表している。直接選挙によるリーダーの選出は、必ずしも適

格者が選ばれるとは限らず、強力な権限の付与は独裁を生む可能性が少なからずあると

いうことだ。

歴史における大いなる悲劇と無残な殺戮は、概ね独裁者によって演じられてきたと言っ

ても過言ではない。しかもそれらは、戦争よりもむしろ内部抗争や権力強化のためであ

ることが多い。

“もうそんなことは起こるまい”ということが何度も繰り返されるのが現実だ。

”災害は忘れたころに・・・”というが、”人災は忘れる間もなくやってくる”のである。

 

韓国では、激しい選挙戦を制した尹次期大統領が公約に掲げていた、青瓦台の移転を巡

りもめている。現大統領がその予算を認めないからである。彼自身が2017年の選挙で公

約していながらそれを破棄した移転問題であるにもかかわらず、最後の嫌がらせをして

いるわけだ。おそらく新旧大統領は、5月に交代した後の戦い(訴追)に向けて準備を

進めているところだろう。選ばれたとはいえ票差はわずかであり、議会との大きなねじ

れが残されたままで船出する新大統領の行く手は嵐の海だ。これほど国が真二つに割れ

てしまった原因の一つが、直接選挙によるリーダー選びだとすれば、そのリスクは避け

た方が賢明ではないだろうか。

一方ロシアでは、独裁政治に見られる典型的な弊害が明らかである。

国中が極端な情報コントロール下に置かれる中で、忖度と同調圧力が蔓延し、まるで

新種の恐怖政治が出現したかのようである。

しかしながら、世は諸行無常である。先に行われたクリミア併合8周年祝賀行事におい

て、プーチンが演説する場面を実況放映中突然画面が切り替わるというハプニングがあ

ったが、これを放送事故というのはかなり無理がある。いずれにせよ、プーチンの先は

そう長くはなさそうに見え、花束と拍手で見送られることにもなりそうにない。

 

というわけで、一時保管箱にあった「首相公選制度」は「反対」の引き出しにしまうこ

ととする。ただし、現状に満足しているわけではない。せめて、首相の任期中は与党の

党首指名選挙を控える程度の改革は進めてほしいものだと思う。首相や閣僚がコロコロ

変わるのは外交上も大きなマイナスだし、それを密室でやられるのも気分が悪い。

                         2022.3.26

 

コロナは中国より出でて中国に還る(J-103)

 

過去最大の大波となったオミクロン株による第6波は、ピークを過ぎて下降局面にはあ

るものの、未だ新規感染者が1日5万人程度の“高止まり”の状況にある。

そんな中で政府は、「蔓延防止等重点措置」を予てのプラン通り21日をもって全面解除

とすることにした。

その決定に異を唱えたのは立憲民主党共産党のみで、メディアや医師会などは案外反

発していない。至極当然だとも思うのだが、その背景にはワクチンと変異株の弱毒化が

ある。ここにきて、新型コロナへの恐怖感は著しく希薄化しているのである。

世界もまた同様だ。というより、世界は一足先にその域に到達している。

人口約570万のデンマークは、一日の感染者数が過去最大の5万人を超えた2月1日の時点

でほぼすべての規制を撤廃した。累計感染者数が国民全体の5割を超え、もはや規制に

意味がなくなると同時に、恐怖感も消えてしまったようだ。国民の多くは、“みんな一

度は罹るけど、ワクチン打ってるから大丈夫”といった雰囲気である。

オーストリアもまた3月5日にほぼ制限を撤廃した。その代わりに、この国ではワクチン

接種を義務付ける法案が成立し、15日から施行されている。

ロシアのウクライナ侵攻もあってか、このところコロナの話題は激減した。しかし、

2年を超えるウィルスとの戦いの中で各種のデータも蓄積され、いろんなことが分かっ

てきた。今こそ我が日本も、将来に備えた学習が必要だと思う。

 

感染拡大初期において危機的状況に陥ったイタリア・スペインや、その後感染者が急拡

大したアメリカ・ブラジルなどの国々は、今は比較的落ち着いた状況にある。一方で、

当初は優等生と言われていた韓国・ベトナム・オーストラリアといったところが、今は

感染拡大の真っただ中にある。中でも、最悪の事態となっているのが韓国だ。

韓国は2020年初め、新型コロナが”武漢肺炎“とも呼ばれていた時期に、いちはやく感染

が拡大した。しかしその後、“K防疫”と自称する対策が効いたのか一旦は沈静化に成功し

た。累計感染者数が100万人を超えたのは今年の2月6日で、そこまでは、日本の3分の1

以下に抑えられていた。ところがそこから2週間で200万を超え、その後も7日、5日、3

日、3日、3日毎に100万人ずつ積み上げて、遂に3月16日には62万人という最大値を記

録し、わずか2日間で100万人に達して収まる気配がない。累計感染者数は825万人を超

え、あっという間に日本を抜き去ってしまった。

次は、憲法によって国民に移動の自由が保障され、とくに強い感染防止対策がとられな

かったスェーデンの状況を見てみよう。

スェーデンは、欧州各国がロックダウンなどを実施する中で、日本同様の“お願い”

ベースに終始し、半ば無策の“集団免疫戦略”だと一時は非難された。それを裏付けるよ

うに初期段階での死者数も多かった。そこには、介護の現場に移民出身のパート勤務者

が多いという事情や、集中治療を必要とする場合、必ずしも高齢者が優先されないとい

った理由もあったとされる。しかし、それらの問題はあったにせよ、現時点における

データからすれば、EU諸国と比べて死亡率が高いとは言えない。

ここで主要な国と特徴的な国のデータを眺めてみよう。

(データの根拠は、「日経新聞の新型コロナ感染マップ3.16」である。

 また、人口比の数値は、人口を感染者数あるいは死亡数で割った値、

 つまり「何人に一人が感染又は死亡しているか」を表している)

 

            人口   感染者数  人口比  死亡数   人口比

    日本     1億2686万  591.4万   21.5   26,625   4,765

 

    米国    3億2906   7963.2    4.1   968,329    340

   イタリア                   6055           1356.3           4.5           157,314            385

      オーストリア         892             328.4            2.7             15,289           583

A       英国                  6753           2005.9         3.4           163,833           412

          仏        6513           2394.4            2.7           141,640           460

             独        8351           1802.8           4.6            126,424           660

          デンマーク        577             302.5           1.9                 5305         1,087 

 

          ベトナム       9734               682.5          14.2            41,607         2,340

B        韓国       5122              825.6            6.2             11,481        4,461

          豪州       2569              376.3            6.8               5,662        4,537

 

       スウェーデン       1003               247.2           4.1              17,937          559

C       中国    14億3932                78.6        1831                9483     151778

         (香港)        740         66.2    11.1          4,847        1,526

 

この表のAグループはアメリカとEU の国々で、感染拡大の時期や波の様子など途中の

状況には大きな差があっても、データは次第に接近して来るということがよくわかる。

デンマークは国民の50%以上が感染しているが、まだ完全な集団免疫が形成されたとも言え

ず、コロナとの戦いが容易には終わらないことを示している。

Bグループは、初期段階で“優等生”と言われた国々である。日本もこのグループに入る。

このグループは、オミクロン株に変異してからの感染拡大が激しく、Aグループのデー

タを追いかけている状況にある。但し、死亡数は著しく抑制されている。

Cグループは、独特の特徴を示している二つの国である。

スウェーデンは、前述の通り、他のEU諸国と異なる対策を実施してきたが、最後にはEU諸国

の平均に近いデータとなっている。つまり、日本的に言えば“人流抑制”はさほど効果が

ないことを示しているようにも見える。

中国は、はっきりいってよくわからない。極端な都市ロックダウンが効いているのは確

かだが、ここまで感染拡大を防げているのは不思議でもある。ただ、よりデータが本当

らしく思われる香港の状況を見ると、その実態は現時点で世界最悪かもしれない。いく

つもの異なるレポートが存在するが、中には感染爆発ですでに市民の半数以上が感染し

たと推定する報告もある。

いずれにせよ、中国は新型コロナの”震源地“でありながら、世界で最も(強いて言えば

北朝鮮に次ぐ2番目の)”感染不拡大の国“であった。しかしながら、これまでの世界の感

染状況を振り返ってみると、いずれは同じ道をたどることになるのではないかという気

がしてならない。

それを望んでいるわけではないが、新型コロナウィルスとの戦いは、つまるところ

“中国を出でて中国に還り、旧型すなわち普通の風邪として認知されるまで続く”

と覚悟しておいたほうがよさそうだ。

                           2022.3.19