樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

五輪開催は世界との約束(J-65)

 

五輪開催まであと2か月余りとなってもコロナ感染収束の兆しが見えない中、中止の決

断を迫る動きが活発化している。メディア報道からは、国民の過半数が中止を望んでい

るように感じられるのだが、本当にそうなのだろうか。もし、そうだとして、それは正

しい判断なのであろうか。そう思わない私は間違っているのだろうか。

理由付けは後に回すことにして結論を先に言うと、私はその規模や実施要領などに条件

が付されるとしても、五輪は開催されなければならないと思っている。

 

振り返れば、2013年9月7日、オリンピックの東京招致が決まったとき、日本は2020年

の開催を世界に約束したのだ。

ところが思いもよらぬパンデミックが勃発し、1年の延期が認められた。そしてこの

時、日本は2021年開催という新たな約束を結んだことになる。

中止を決定する権限はIOCにあって日本側にはない。規約では中止の条件として、

戦争、内乱、ボイコットのほか、大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かさ

れると信じるに足る合理的な根拠があるとIOCが判断した場合となっている。

日本ができるのは”中止“ではなく“返上”である。そうなれば1940年に次ぐ2度目の不名誉

な事態となる。賠償金が発生するかどうかは別にして、参加国の過半数が不参加を表明

でもしない限りそうやすやすと止めるわけにはいかない。“自己都合”で約束を破る行為

は末代まで禍根を残す・・・と私は思う。

 

ここで、中止を訴える側の意見をとりあげ少し掘り下げてみよう。

第一に共同通信の全国電世論調査がある。

5月15,16に実施された調査の結果は、中止すべき:59.7%、無観客で実施:25.2%、

制限をつけて実施:12.6% であったが、多くのメディアが、前回(4月調査)よりも

中止が20.5ポイントも急増したと報じた。しかしそれは正しくない。実は4月と5月では

設問が異なるのである。4月のデータは、中止:39.2、開催:24.5、再延期32.8であっ

た。見かけ上は、たしかに中止が39.2⇒59.7と20.5ポイント上昇している。しかし、

開催も13.3ポイント上昇しているのだ。何が起きているのかと言えば、再延期を望む人

たちが中止と開催に分かれ、より多くが中止側に流れたということだ。再延期を望んだ

人たちの本心は、できればやってほしいということだろう。それが中止に多く流れたと

ころにからくりがある。

まずこの調査が、聞き手の意向や誘導に大きく影響されやすい電話調査であるというこ

とだ。そして調査機関が共同通信であることも考慮しなければならない。

共同通信の顧客は言うまでもなく新聞社とか放送局などの大手メディアである。

つまり、共同通信には、それらの顧客が買ってくれるネタを提供しなければならない

宿命がある。

この通信社は北朝鮮キューバにも支局を置いたことを自慢しているが、逮捕されたり

追放されたことがないことを勘繰れば、流した情報の中立性には疑問符が付く。

 

次に目立っているのは立憲民主党である。

5月10日午後の参院予算委員会蓮舫議員が総理を問い詰めた。

「オリンピック選手と一般の国民のどちらを優先するのか」

これに菅総理が「選手と国民は別の管理になる」と答えたので、蓮舫議員は「そんなこ

とは聞いていない。もし外国選手と国民が同時に救急搬送を要する事態になったらどち

らを優先するかと聞いている。国民でしょう」と食い下がり、質疑が何度か中断される

事態となった。このあたりは私の記憶違いがあるかもしれないが、5.11の毎日デジタル

では、千葉商科大の田中信一郎准教授(政治学)のコメントを次のように報じている。

“選択肢は「オリンピック」と「国民の命」と「どちらでもない」の三つしかない。

でも首相はどれも選ばなかった。“

つまり、この准教授は、“首相は答えをはぐらかした”と指摘しているのである。

しかし、その見方は恣意的と言われても仕方がない。

選択肢はもう一つある。それは「どちらも」だ。そして首相はそれを選んだのである。

失礼ながら、政治家のくせに口下手な総理の気持ちを代弁すればこうなる。

“選手たちは一般とは別の管理下に置かれるので、心配されているような事態は起こり

えません。オリンピックと国民の命は比較できるものではなく、どちらも大切なものと

考えております。”

 

最後の一つは市民運動である。

中心にいるのは、都知事選でおなじみの元日弁連会長・宇都宮健児氏である。

都知事選立候補のときからオリンピックには反対していたので、今に始まったことでは

ない。このグループは、そもそもナショナリズムに結び付きそうなものや出来事が大嫌

いだ。それが今回は、“オリンピックにかかる金をコロナ対策に回して命を守ろう”など

とキャンペーンを張り、35万人の署名を集めたらしい。しかし、オリンピックにかかる

費用は既にほとんどが使用済みだ。これからの分と中止による損失分を比較するともは

や何とも言い難い段階になっているらしいのだ。どうやら共産党の支援(指示?)を受

けているようだが、この緊急事態宣言下でデモ行進を決行するなど、どこかピントがず

れている。

池江璃花子選手に“五輪に反対の声を上げてほしい”などと無神経かつ残酷な“おねだ

り”をしたのもこのグループかそのシンパであろう。この人たちは、付き合えば“いい

人”が多いのだが、一種の原理主義者的傾向があり、目的が正しければ(正しいは勝手

な思い込みなのだが)手段は問わないという、”愛国無罪“に似た精神構造の持ち主で始

末が悪い。

病院の窓ガラスに”もう限界“と張り紙をしたグループもあるが、五輪のスポーツドクタ

ー200人の募集に393人の応募があったことなどからすると、医療ひっ迫の問題は実

は“一部の”医療ひっ迫問題であることが見えてくる。

問題は数ではなくシステムにあるのだ。

 

以上、五輪中止キャンペーンを広げる三つのグループを取り上げてみたが、よくみると

共通の思想が流れている。表面的には”政府批判“であり、内面的には”自己都合“だ。

“万難を排して約束を守る”美徳はもはや何処かに消えてしまったのだろうか。

                         2021.5.19