テレ朝玉川さんの発言が小さな波紋を広げている。
24日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、自転車のあおり運転を”バカ中のバカ“と厳し
く断罪し、”どうすればこういう人がいなくなるのか・・分からない“とコメントしたらしい。
“らしい”というのはその番組を見ていないからなのだが、いつもの玉川さんらしくない
ではないか。さすがに“社会が悪い”とは言えなかったとしても、天下無双のコメンテー
ターが、”分からない“では済まされない。どこかから「喝!」の声がかかっても、文句
は言えませんぞ・・・。
そもそもの発端は、“ひょっこり男”とあだ名をつけられた30代の男が、埼玉県内で自転
車による煽り運転を繰り返し、昨年10月に逮捕された事件である。この逮捕は、6月の
道交法改正で新設された「あおり運転」の条項が自転車に適用された初の例でもある。
にもかかわらず、その後真似をする輩が多発しているというのである。
玉川氏はその理由が分からないという。そして、防止策として自転車にナンバープレー
トをつけることを提案している。しかし、理由もわからず対策を立てても効果は期待で
きまい。現に、車にはナンバープレートが付いているが、あおり運転防止の効果には?
がつく。何よりも膨大なコストと手間が予想される。
人の行為には何らかの理由がある。その理由を一括りすれば、“欲求を満たすため”と言
えるだろう。どのような欲求があるかは心理学の先生にお任せするとして、ここに
1936年から売れ続けている [How to Win Friends and Influence People] (邦題:人を
動かす)という本がある。
そのなかで著者のD.カーネギーこう述べている。
“心理学者ウィリアム・ジェームズは、「人間の持つ性情のうちで最も強いものは他人
に認められることを渇望する気持ちである」という。ここでジェームズが希望するとか
願望するとか、憧憬するとかいう生ぬるい言葉を使わず、あえて渇望すると言っている
ことに注意されたい。―中略― もしわれわれの祖先が、この燃えるような自己の重要
性に対する欲求を持っていなかったとすれば、人類の文明も生まれてはいなかったこと
だろう。”
つまり、“自己の重要感を満たす”という本能とも言うべき強い願望が、人の行動を支配
していると彼は主張するのである。ところがこの欲求は、いい方向・悪い方向のどちら
にもはたらく。
いい方向に向かえば、発明発見やスポーツ選手の新記録やその他もろもろの成功物語を
創出するが、悪い方向に向かえばパワハラやいじめなどにつながる。最悪のケースは
無差別殺人だ。
自転車のあおり運転は、子供がわざと危ないことをして親の気を引こうとする行為に似
ている。子供にとっては、親が駆けつけて叱ってくれれば成功だ。つまり、あおり運転
をする輩は、その行為がテレビで流れれば”大成功“なのである。
メディアはそのことに気づかねばならない。
“自己の重要感を満たす”という願望をを言い換えれば、“有名になりたい”に近い。
そこにメディアは大きく関係している。メディアは、おかしなことを流行らせている責
任の一端は自分たちにもあることを自覚し、基本的な姿勢を変える必要がある。
つまり、不幸なことや醜聞ばかりを報じるのではなく、美談や成功物語を報じるべきな
のである。
「どうすればいいのかわからない」という玉川氏も、本当はそのことに気づいているの
かもしれない。“しかしそれは自己否定になるので言えない”というのであれば、そこに
も「喝!」の声が飛ぶだろう。
2021.2.26