樗木(ちょぼく)の遺言と爺怪説

愛国的好奇高齢者の遺言と違和感をエッセイ風に・・・

祖国とは国語(その1) (Y-8)

 <日本が守るべきもの>

 

その昔、

「日本が守るべきものは何か」

ということで、ある同僚と議論したことが在りました。

きっかけは、自衛官が起こした不祥事に対して、

あるコメンテーターが、

「国民の生命と財産を守るべき自衛官が・・・」

と非難発言をしたことでした。

(この表現は今も時々使われています)

それに対して、二人とも「違うよね・・」と言ったことから、

「じゃあ何だろう・・・」という議論が始まったわけです。

 

二人の議論の経過をまとめると、

国民の生命と財産を守るのは、警察や消防の行政サービス

のようなもので、「国防白書」にある「独立と安全」も

「安全」というのがよくわからない。

この時、二人は無意識のうちに、

平時と有事のどちらにも当てはまる概念を探していました。

歴史的に見れば、「国益」の一言で片づけられそうですが、

少なくとも現在の日本にはピタリと当てはまらない。

そして、ようやくたどり着いた結論は、

それは「国家としての意思」というものでした。

言い換えれば、「敵対勢力の企図を挫く」ということ、

さらに詳しく言い換えると、

「日本の国体つまり“国のありよう”を暴力的に革命しようとする

勢力の企図を挫く」ということで、

それが自衛隊の存在意義ではないかということになりました。

人体に例えれば「免疫機能」のようなものではないかということです。

 

議論はそこで一段落したのですが、

今考え直してみると、

個々の自衛隊員は、もっとシンプルに割り切っていると思われます。

つまり、「身を挺して指揮官の命令に従う」といったふうにです。

指揮官の最高位は総理大臣ですから、それはつまり「国家の命令に従う」

ということになります。

また、そうでなくては困ります。

 

しかしながら、ここで大きな問題にぶつかります。

もし隊員が有事を前にして、「私退職します」といった場合、

或いはもっと過激に、例えば逃亡を図ったときはどうなるのでしょう。

入隊時の「宣誓」を盾に、それを食い止められるのでしょうか。

そして、この隊員をいかに裁くのでしょうか。

おそらく、「懲戒免職、退職金なし」が関の山で、

それ以下はあっても、それ以上はないのではないでしょうか。

それでは、コロナ対策の「自粛」とさほど変わりません。

 

だからやはり「自衛隊」ではだめなのだ、

「○○軍」でなければ根本解決にならないのだ」という人がいます。

当ブログの「どうにもならない憲法の違和感」を読んで、

そのことを指摘してくれた読者もいます。

確かに、それは正論かもしれません。

現行法規上、自衛隊は行政機関のひとつとして位置づけられており、

隊員は「国家公務員特別職」という身分ですから、

軍あるいは軍人として、世界的に見れば常識的に備わっている

権限や責任・義務に重大な欠陥があります。例えば、

もし奇襲攻撃を受けても警察官のように、正当防衛と緊急避難で

対応するしかないのです。

「国民の生命と財産・・・」という発言も、おそらく

「行政機関」というイメージから生まれているのだと思います。

 

戦後70年を経て、日本国民の防衛意識はずいぶん

‘ましな‘方向に変化してきました。

しかし、さすがに「非武装中立論」などのファンタジーを唱える人は

いなくなりましたが、「平和憲法が日本を守ってきた」と信じている人は、

まだまだ多数多く存在しています。

そういった現状にあって、「陸海空軍」という表現を使った改正案が

国会、ひいては国民投票の壁をクリアするとはとても思われません。

姑息な手段であるかもしれませんが、私は絶対に廃案とならないためにも

自衛隊という名の軍隊」で妥協するしかないと考えています。

民主主義とは、理想を遠くに見ながら(方向修正をしながら)

妥協を重ねていくものだと思うからです。

 

さて、二人の議論は、さらに発展して、

「それでは日本人として最後まで守るべきものは何だろう」

と続きます・・・・。

 

これからが本論ですが、この続きは、次回(その2)で述べたいと思います。